二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

99人のクラスター

2021年12月18日 02時44分45秒 | ニ言瓦版
これ、共同通信よむと、怖い。
基地の中、また、武漢風邪、のよに、広がる。
オミクロン株の進化。感染。




「沖縄県の玉城デニー知事は17日、記者会見し、米海兵隊キャンプ・ハンセン(金武町など)の50代の日本人男性従業員が新型コロナウイルスのオミクロン株に感染したと発表した。県内でオミクロン株が確認されたのは初めて。これとは別に、県は同基地で17日までに海兵隊員ら99人のクラスター(感染者集団)が発生していることも明らかにした。
 県側はオミクロン株かどうかの確認を求めたが、米側は解析の実施を明言していない。
 県によると、男性従業員はワクチン接種歴がある。他にも県内の2人がオミクロン株に感染した可能性があるとみて検体を調べている。」




考えると、基地が感染していれば、基地の地域は、感染するわ。

都内、そして、交通が感染。
何か、同じこと繰り返すのかもしれない。
経済より、閉鎖だろう。

木戸でも、作らないと、感染は、地方、都内から、関東、東北、九州。
いや、沖縄から、また。同じこと。

政治の怠慢と、対策は、総理変わって、変わらない、公務員、失態。


何か感染の核分裂のように、見える。
凄い感染力。

いや、鳥インフルエンザのように、閉鎖することしかない。
鳥処分のように。空気感染だろう。

結核のように、特効薬、作らないと、止まらない。
ワクチンは、効くのか、分からない。

オミクロン株には、効かないだろう。

今まで、ワクチンの在庫処分に見えてならない。

ワクチン打っても、感染するのは、意味があるのか。
分からない。

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問われる、建物には、警備か、古いビルは、建て直すことだ。

2021年12月18日 02時16分28秒 | ニ言瓦版
NHKの記事みると、大阪の近くではないか。
問われるは、建物の構造と、非常階段は別のあるのが普通、
でも、建物が古いから起きる。
いや、最近、滅多に火事がない。
あるのは、放火。
よくよく、最近の火事は、放火だろう。



「17日午前、大阪 北区の繁華街のビルで起きた火災で28人が病院に搬送され、このうち24人の死亡が確認されました。
警察はビルの中にあるクリニックを訪れた50代から60代くらいの男が火をつけたとみて殺人と放火の疑いで捜査本部を設置しました。
捜査関係者によりますと、男は病院に搬送されて治療を受けていて、容体はかなり危険な状態だということです。
17日午前10時20分ごろ、大阪 北区の曽根崎新地で「ビルの4階が燃えている」と複数の人から消防に通報がありました。

警察と消防によりますと、火元は8階建てのビルの4階部分にある心療内科と精神科などが専門のクリニック「働く人の西梅田こころとからだのクリニック」とみられています。

消防車80台が出て消火活動にあたり、およそ30分後に火はほぼ消し止められ、ビルの4階、25平方メートルが焼けたということです。

警察によりますと、この火災でこれまでに28人が病院に搬送され、このうち24人の死亡が確認されたということです。

男性が14人、女性が10人だということです。

身元は確認されていませんが24人は20代から60代くらいとみられるということです。

出火当時、24人はいずれも、4階のクリニックのなかにいたということです。

また、ほかの4人については、3人は搬送時に意識がなく、もう1人は軽傷だということです。

この火災について警察はクリニックを訪れた男が火をつけたとみて殺人と放火の疑いで捜査本部を設置しました。

警察によりますと、出火当時、現場のクリニックの待合室にいて逃げ出した患者の女性2人は紙袋を持った50代から60代くらいの男がクリニックに入ってきて待合室の暖房器具の近くに紙袋を置いて蹴り倒し、漏れ出た液体が引火したと話しているということです。

捜査関係者によりますと、男は病院に搬送され、治療を受けているということで、容体はかなり危険な状態だということです。

クリニックの患者によりますと「リワークプログラム」と呼ばれる職場に復帰するためのリハビリが行われる日は多くの人が訪れるということです。

クリニックのホームページによりますと金曜日の午前中には「リワークプログラム」が予定されていました。

現場はJR北新地駅からほど近い、ビルや飲食店が建ち並ぶ繁華街の一角です。
「紙袋を蹴り倒し漏れ出た液体に引火」の目撃情報
警察によりますと、火事のあったクリニックでは「紙袋を持って訪れた50代から60代くらいの男が、暖房器具の近くに紙袋を置いて蹴り倒し、漏れ出た液体に引火した」という目撃情報があるということです。

男は、エレベーターでビルの4階にあるクリニックを訪れ、すぐに置いた紙袋を蹴り倒したということです。

こうしたことから、警察は放火の疑いがあるとみて捜査しています。

警察によりますと、男は現場にとどまり救急隊に搬送された可能性が高いとみられるということです。
入り口付近が激しく燃える 救助された人の多くは建物の奥に
警察によりますと、現場のクリニックは入り口付近が激しく燃えているということです。

救助された人たちの多くは建物の奥のほうでみつかっていて、損傷が激しかった入り口から遠ざかるように逃げたとみられるということです。
「リワークプログラム」とは
「リワークプログラム」は心の病で休職し、職場復帰を目指している人たちの体調が回復しているかを確認し、再び体調を崩して休職することを防ぐのが目的で、日本うつ病リワーク協会によりますと全国200を超える医療機関で実施されているということです。

ホームページによりますとこのクリニックでも毎週金曜日の午前10時から午後1時までは「リワークプログラム」が予定され、カウンセリングのほか、職場に近い状況でパソコンを使った資料作成や、グループワークなどが行われていたということです。

クリニックの患者によりますと「リワークプログラム」が行われる日は多くの人たちが訪れていたということです。
院長の父親は…
火災が起きたクリニックの院長で医師の西澤弘太郎さんの父親は、取材に対し、「息子とは連絡が取れておらず、警察もわからないと言っている。どういう状態なのか一切わからないので、警察に聞いてほしい」と話していました。

また、院長に仕事上のトラブルがあったかどうかとの問いかけに対して、「息子から相談はあったが、誰がどういうふうになっているかは、一切知りません」と話していました。
院長の知人は…
クリニックの院長で医師の西澤弘太郎さんと面識があり、発達障害のある人たちへの福祉的な支援などを行う「Kaien」の鈴木慶太代表がNHKの取材に応じ、西澤さんについて、「発達障害をみる大阪のクリニックでは有数、もしかしたらいちばんかもしれません。先生は実直な方で、偉ぶらず、本当に腰の低い方です。なぜ先生のクリニックなのかと思ってしまいます」と話しました。

そのうえで、安否がわかっていないことについて、「診察に対する評価もよかったので、助かっていてほしいです」と述べました。

また、鈴木さんはおよそ3年半前にクリニックを訪れたことがあるということで、「少し狭いクリニックで、先生は診療に時間をかけるほうだと思うので、訪れたときにも待合室に結構、人がいた印象があります。クリニックのホームページをみると、きょうは午前中に復職を考えている方がグループワークを行っていたと思うので、それでクリニックにいた人数が多かったのではないかと思います」と話していました。
現場のビルはJR北新地駅の南側に位置
 火災のあったビルは、JR北新地駅の南側にあり、交通量の多い道路に面しています。

鉄筋コンクリート造り、地上8階建ての雑居ビルで、昭和45年に建てられました。

管理する会社によりますと、テナントが入っているのは6階までで、現在は5つのテナントが入居しているということです。

火が出た4階には心療内科のクリニックが入っていて、1階には衣料品店が入っているほか、英会話スクールやエステサロンなどが入居しています。
ビル設備に消防法上の不備なし 去年9月の立ち入り検査で
大阪市消防局によりますと、火事のあったビルについて、おととしの3月19日に4年に1度の定期的な立ち入り検査を実施しましたが、ビルの設備に消防法上の不備はなかったということです。

その後、去年の9月25日にも、消防が委託した消防振興協会が立ち入り検査を実施しましたが、この際も不備はなかったということです。

一方、このビルでは毎年、管理者が消防設備が実際に作動するかどうかを検査し、結果を消防局に報告する必要があったものの、平成26年10月以降は報告書が出されていなかったということです。

これについて大阪市消防局は、「報告書を出していない施設は少なくなく、重大な違反ではない。立ち入り検査では設備があるかどうかを確認しており、実際に設備が作動するかどうかまでは確認していない」と話しています。
総務省消防庁 原因調査のため職員9人を派遣へ
大阪 北区の繁華街のビルで発生した火事について、総務省消防庁は火災の原因を迅速に調べる必要があるなどとして、消防庁や消防研究センターの職員合わせて9人を現地に派遣しました。
専門家「逃げ場が無くなったか」
火災のメカニズムに詳しい東京理科大学の関澤愛教授は、「大変衝撃的な火災だ。新宿・歌舞伎町での44人が亡くなったビル火災から20年となるが、それ以来多くの人が犠牲となるようなビル火災は起きていない」と述べました。

そのうえで、「火災の詳細がわからないので、まだはっきりしたことは言えないが、いわゆる小規模な雑居ビルの場合、避難階段が1つしかないこともあり、避難階段の途中に物があったり、出口の付近で火災が起きたりすると、逃げ場が無くなり、火と煙にまかれてしまう可能性も考えられる。どういう状況だったのか調査も必要だ」と話していました。
過去に多数の死者が出た火災は…
 繁華街のビルなど、人が多く集まる場所で多数の死者が出た火災は、これまでにも起きています。

2001年には東京 新宿区の歌舞伎町で雑居ビルから火が出て飲食店などが焼け、客や従業員など合わせて44人が死亡しました。

この火災では、避難経路となっていた階段に物が置かれているなど悪質な違反が放置されていたことが被害の拡大につながりました。

また、2008年には大阪 浪速区で雑居ビルの1階にある個室ビデオ店が放火され、客など16人が死亡しました。おととしには京都市伏見区にある「京都アニメーション」のスタジオが放火され社員36人が死亡しました。」


ビルの中の診療所は、問われるかもしれない。
医者の診断、待っている人は、死んでしまう時代。
ビルも、管理が問われるかもしれない。
ビル管理の怠慢、オーナーの怠慢にならないものか。
そう、熱海の盛り土も、そうだが、管理者と、行政と、築何年のビルは、建て直すことかもしれない。
警備のできる、ビルが必要だ。

医者も、ビルの四階では、なく、
一階か、二階か、平屋建てか、
完全な病院にすることだ、一つのビル。

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環境、男も、女も。

2021年12月18日 01時37分25秒 | 名言、珍言。
名言、珍言。

「人は、不幸のときは一を十にも思い、
幸福のときは当たり前のようにそれに馴れて、
十を一のように思います。」



瀬戸内寂聴


勝手な解釈
慣れていくものだ。
問題は、どうする。
不幸は、災難は、記憶と、経験と、どうする。
忘れるのは、幸運か、幸福になると。
 ーーーーーーーーー
名言、珍言。


「ほんとうに他人の人柄がわかるのは、
その人と大喧嘩したときだということです。
そのときこそ、
そしてそのときはじめて、
その人の真の人柄が判断できるんです。」



アンネ・フランク 

勝手な解釈
環境の中に、いると、人は、見える。見ていると、知る。
喧嘩も、あるしないのが、可笑しい。
夫婦、兄弟、恋人、上下関係。
それは、最後は、人柄は、本心の見えるときは、あるものだ。

騙され、女、騙す、女。
男は、騙す、、騙されるで、また、女の勉強になるか、
変な女に、引っかからないか。
歴史は、男と女の歴史は、環境の中で、知るのかもしれない。
人は、最後は、男関係、女関係で、
生死に影響する。
悪党につくと、男も、女の処刑を覚悟。
善人につくと、聖人になるかもしれない。男、女。
マザーテレサか、空海か。
ーーーーーー

「アンネ・フランク(アンネリース・マリー・フランク、ドイツ語: Annelies Marie Frank ( 発音[ヘルプ/ファイル]), 1929年6月12日 - 1945年3月上旬)は、『アンネの日記』の著者として知られるユダヤ系ドイツ人の少女である。 

ドイツ国のフランクフルト・アム・マインに生まれたが、反ユダヤ主義を掲げる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の政権掌握後、迫害から逃れるため、一家で故国ドイツを離れてオランダのアムステルダムへ亡命した。しかし第二次世界大戦中、オランダがドイツ軍に占領されると、オランダでもユダヤ人狩りが行われ、1942年7月6日隠れ家での生活に入ることを余儀なくされた(フランク一家の他にヘルマン・ファン・ペルス一家やフリッツ・プフェファーもこの隠れ家に入り、計8人のユダヤ人が隠れ家で暮らした)。ここでの生活は2年間に及び、その間、アンネは隠れ家でのことを日記に書き続けた。
1944年8月4日にナチス親衛隊(SS)に隠れ家を発見され、隠れ家住人は全員が強制収容所へと移送された。アンネは姉のマルゴット・フランクとともにベルゲン・ベルゼン強制収容所へ移送された。同収容所の不衛生な環境に耐えぬくことはできず、チフスを罹患して15歳にしてその命を落とした。1945年3月上旬ごろのことと見られている。
隠れ家には、アンネがオランダ語でつけていた日記が残されていた。父・オットーの会社の社員で隠れ家住人の生活を支援していたミープ・ヒースがこれを発見し、戦後まで保存した。8人の隠れ家住人の中でただ一人戦後まで生き延びたオットーはミープからこの日記を手渡された。オットーは娘・アンネの戦争と差別のない世界になってほしいという思いを全世界に伝えるため、日記の出版を決意した。この日記は60以上の言語に翻訳され、2,500万部を超える世界的ベストセラーになった。

アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所[編集]
1944年9月3日、隠れ家メンバー8人、ド・ヴィンテル一家、ヤニ-とリーンチェのブリレスレイペル姉妹はまとめてアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所へ向かう移送列車に乗せられた。移送中のアンネは、マルゴー、ペーター、ユーディーと一緒に話をしたり、ときどき小窓によじのぼって外の光景を眺めていたという[216][217]。

「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」のうちのビルケナウ収容所。


3日後、列車はビルケナウ収容所に到着した。到着と同時に男女が分けられた。アンネは、父・オットーとはここで今生の別れとなった[218]。さらにその後、SS医師団による働ける者と働けない者の選別が開始された。この移送でアウシュヴィッツへ送られてきた1,019人のうち、549人が労働不能と判断されてガス室送りとなった。しかしアンネたち隠れ家メンバーは、全員労働可能と認定され、ガス室送りを免れた[219][220][221]。
女子供はビルケナウ収容所の中にある女子収容施設へ入れられ、男性は3キロ離れた場所にあるアウシュヴィッツ強制収容所へ向けて歩かされた。アンネとマルゴーとエーディトは女子収容施設である第29号棟に入れられた[222]。アウシュヴィッツでは男子も女子も丸刈りにしていたため、アンネも短髪から丸刈りにされた。またアウシュヴィッツでは囚人の左腕に囚人ナンバーの入れ墨を入れていた。アンネの左腕に入れられた正確な囚人番号は分かっていない。
A25060からA25271までの間のいずれかの番号であった[223][224]。
ビルケナウでのアンネはエーディトとマルゴー、ローザとユーディーのド・ヴィンテル母子などと固まって暮らしていたという。まもなくアンネやマルゴーはシラミやダニに喰われて傷口が化膿した。エーディトは娘たちに献身的につくし、自分に支給されたパンも娘たちに分け与えていた[225]。
ソ連赤軍の接近に伴うアウシュヴィッツ強制収容所撤収作戦の一環で10月28日にベルゲン・ベルゼン強制収容所へ送る者の選別が行われた[226]。ローザ・ド・ヴィンテルによると選別を行ったのはヨーゼフ・メンゲレ親衛隊大尉であったという。この選別でアンネとマルゴーは母・エーディトと切り離されてベルゲン・ベルゼンへ送られることとなった。母・エーディトとはここで最期の別れとなった。ローザはこのときのアンネを「15歳と18歳、痩せこけて、裸でしたが、それでも堂々として選別デスクに向かいました。アンネはマルゴーを励まし、マルゴーは背筋をしっかり伸ばして、ライトの中を進みました。姉妹2人、裸で、丸坊主という姿でした。ふとアンネの目がこちらに向けられました。曇りのない目で、まっすぐこちらに視線を向けて、まっすぐ立って」[227]と回想している。
ベルゲン・ベルゼン収容所での死[編集]

ベルゲン・ベルゼン強制収容所跡地の墓碑。


アンネたちのベルゲン・ベルゼンへの移送は4日に及び、その間、食料はほとんど与えられず、アンネたちはますます弱っていった。
到着したベルゲン・ベルゼン強制収容所は恐ろしく不潔な収容所で病が大流行していた。食料もほとんど与えられず、餓死者と病死者が続出する収容所だった。この収容所でアンネはチフスに罹患して命を落とすことになる。
この収容所でアンネはリーンチェとヤニーのブリレスレイペル姉妹と再会したという。ブリレスレイペル姉妹はフランク姉妹より10歳以上年長だったが、同じアムステルダム出身であり、親しくなって一緒に過ごすようになったという。リーンチェはのちにこのときのアンネについて「アンネはよく就寝後に話を聞かせてくれた。姉のマルゴーも同様だった。馬鹿げた小話だの、ジョークだの、いつも4人(アンネ、マルゴー、リーンチェ、ヤニー)で交代で話し役を受け持った。たいがいは食べ物の話だった。アムステルダムのアメリカン・ホテル(オランダ語版)に行き、豪華なディナーを食べるという話をしていたところ、いきなりアンネが泣き出したことがあった。もう2度とあの街へ戻ることはできないだろうと考えたのだろう。みんなで空想のメニューをこしらえ、すばらしい御馳走を考え出した。そしてアンネはいつも言うのだった。『私にはまだ学ばなくちゃいけないことがたくさんある』と」[228]と証言をしている。食事の話ばかりになったのは食料がますます減らされたためだった。リーンチェによるとアンネの顔は痩せこけて、まるで目だけになってしまったようだったという[229]。
1944年11月終わりにはアウグステ・ファン・ペルスがベルゲン・ベルゼンに移送されてきてアンネたちと再会した。アウグステは別の区画にアンネの親友ハンネがいたことをアンネに告げた。1945年初めには有刺鉄線越しだがアンネはハンネと再会できたという。2人は互いの無事を喜び涙を流しあったという。アンネはこのとき、ようやく実はスイスに亡命したのではなくて隠れ家で隠れていたことをハンネに打ち明けた。また両親とは離れ離れになったことを告げ、「私にはもう両親がいないの」と涙ながらに語っていたという。その後も3、4回会ったというが、2月末ごろからアンネの姿を見なくなったという[230]。
しかしこのころのアンネの詳細については、このような数少ない目撃者たちの断片的な証言を残すのみであり、はっきりとはしていない。体力の衰えた姉妹はやがてチフスにかかり、先にマルゴーが、2、3日遅れてアンネが息を引き取ったとされている。オランダ赤十字は1945年3月31日を死亡日としているが、これは特定されたものではなく、生き残った者の証言などにより、それよりも早い2月の終わりか3月の始めごろに亡くなったものと推測される[231][232]。
友人たちのうち、スザンネ・レーデルマンやイルセ・ヴァーハネルも犠牲になったが、ハンネリ・ホースラル、ナネッテ・ブリッツ、ケーテ・エヘイェディは生還し、ジャクリーヌ・ファン・マールセンも戦後を迎えることができた。」


15歳で、あの世に行った。
こういう、女性、女の子だ。写真初めて、見た。


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やっと、か。分からない、あの国は。

2021年12月18日 01時37分13秒 | ニ言瓦版

五輪に行けるのか、カーリング、女子。




◆カーリング ▽22年北京五輪最終予選 プレーオフ第1戦(17日、オランダ・レーワルデン)
 世界ランクの7位の女子日本代表、ロコ・ソラーレの北京五輪出場が決まった。前回平昌五輪銀メダルで同3位の韓国とのプレーオフで8―5で勝利。最終予選2位となり、日本代表として7大会連続、チームとしては2大会連続の五輪出場となった。
 5―3で迎えた第7Eでは先攻ながら、相手のミスにも乗じて、ハウスの中心に石を集め、韓国スキップの“眼鏡先輩”こと金恩貞の最終ショットが短くなり、2点をスチールに成功。7―3と大きくリードすると、第8Eも同様にハウス中央に石を集めて相手の進路をふさぐ作戦が奏功。3つを中心近くに収めて相手にプレッシャーをかけ、再びミスを誘い、1点の連続スチール。第9Eでも相手の得点を2点に抑え、勝利をたぐり寄せた。
 リードの吉田夕梨花は「ようやく私たちが望んでいた舞台に戻れる。やることはカーリング。五輪でも私たちらしい試合をひとつずつ重ねていけたら」と歓喜の涙。セカンドの鈴木夕湖は「シンプルに五輪にいけるのがうれしい。(リザーブの石崎)琴美ちゃんが12年ぶりの五輪なのでそれも楽しみです」と語った。
 北京五輪では、2008年夏季五輪で水泳の会場だった国家水泳センターを改修した「氷立方」で開催。女子は今年4月の世界選手権上位だったスイス、ロシア連盟、米国、スウェーデン、カナダ、デンマークと開催国の中国と、今予選から英国、日本が確定。18日に行われるプレーオフ最終戦で韓国―ラトビアの勝者の10チームで開催。女子初戦は2月10日の予定となっている。」



これで、五輪、あるといいが。
あの、国は、分からない。


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