二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

違うような気がする

2016年12月14日 04時01分33秒 | ニ言瓦版
週刊大衆の記事。
そうなのか。何か、違う気がする。



「“政権の要”と“首都のトップ”。相克の向こうに透けて見える利害の対立。策士の名も高い実力者、渾身の勝負手とは?

「小池さんね、クリスマスまでにまだ何をおやりになるんですか?」 東京五輪組織委員会の森喜朗会長(元首相)は、11月29日の4者協議(国際オリンピック委員会・国・組織委員会・東京都)の席上、小池百合子東京都知事をこうチクリと皮肉り、「協議後、ニンマリしていました」(全国紙都庁担当記者)。

 費用が当初より削減されたとはいえ、森氏が目論んでいた通り、ボート・カヌー会場と水泳会場が新設されることになったからだ。「押し込まれた小池知事にしたら、“最後の抵抗”という意味もあったのでしょう。バレーボール会場を、森会長が求める新設の有明アリーナではなく、なんとか既存の横浜アリーナでやれないかと、“クリスマスまでに最終の結論を出したい”と決定延期を申し出たのです」(前同)

 その小池知事に森会長が嫌味をカマしたわけだが、これまで順風満帆だった知事に、この五輪会場問題で逆風が吹き始めたのは事実。「一時、小池知事がボート・カヌーの代替施設にあげた長沼ボート場(宮城県登米市)周辺では“小池劇場に翻弄された”という怒りの声が沸騰しています。地元ではわざわざ、小池知事の視察に向け、選手村用モデルハウスまで作っていただけに、“単なるパフォーマンスだったのか”という批判が沸き起こるのも、うなずけます」(地元紙記者)

 この綻びが見え始めた小池劇場に、ほくそ笑んでいるのは森会長だけではないという。誰あろう、菅義偉官房長官その人だ。風向きの変化を敏感に嗅ぎ取り、この策士がいよいよ動き出したという。「森会長は、菅氏に悪い印象を持っていません。むしろ、安倍晋三首相をよく支えてくれているという印象を持っているはずです」(政治評論家の浅川博忠氏)

 そもそも森会長と菅官房長官の2人は、都知事選に小池氏が立候補した際、猛反発していた同志だ。「菅氏は都知事選挙へ相当力を入れていました。まず、候補者の選定にしてからがそう。最初に出馬が取り沙汰された“桜井パパ(元総務事務次官の桜井俊氏=人気グループ『嵐』櫻井翔の父)”は総務大臣時代の直接の部下です。実際に出馬した増田寛也氏(元総務相)にしても、やはり総務大臣時代の人脈から絞り込みました」(菅氏に近い関係筋)

 つまり、都知事選は“菅人脈”VS小池氏という構図だったわけだ。「菅氏は、街頭演説に立つ機会こそ少なかったものの、選挙中、夕方以降は業界団体の締めつけに奔走していました」(前同)

菅氏は、増田氏の個人演説会で「劇場型の人に大事な都政を託すことはできない」と小池氏を激しく批判。しかし、結果は惨敗。それだけに、以降、「あの女だけは許せない!」というドス黒い怒りが渦巻いているという。その菅氏は、第二次安倍政権誕生以来、史上最長の在任期間を誇る官房長官。“菅詣で”は絶えることなく、“最強の官房長官”“ミスター自民党”とまでいわれる。

「菅氏は若い頃、板橋区の段ボール工場で働き、叩き上げで政治家になった苦労人。徹底した原理主義者でもあります。安倍政権で首相や閣僚が問題発言しても、原理原則を掲げて、それを収めてしまう能力に長けています。一方の小池氏は“女性初の都知事”と持て囃されますが、菅氏にしたら、そういうことは関係ない。すべて、国にとってプラスになるかどうかなんです」(政治評論家の有馬晴海氏)

 パフォーマンスに長けた小池氏とは、そもそもウマが合わないのみならず、「2012年の自民党総裁選で安倍氏を擁した菅氏を裏切り、小池氏が石破茂元防衛相を推して以来、“小池憎し”の思いが強い」(元自民党幹部)という。

 それでなくても、“国政の要”である菅氏にとって、“首都のトップ”というのは厄介な存在だ。「かつて石原慎太郎都知事時代、当時の小泉(純一郎)政権も、石原氏が政権の政策に辛らつな発言をすると、それだけで世論がなびき、政権の支持率に影響したほどでした」(前出の菅氏に近い関係筋)

 小池氏が定例会見で安倍政権の政策にコメントする機会が増えてくると、安倍政権の支持率に影響が出る恐れもある。「ボスの安倍首相は今のところ、高い支持率を持つ小池氏と協調路線を取っています。しかし、菅氏にとっては、より現実的に、小池氏を潰しておかなくてはいけない決定的な理由があるんです」(前同)

 それが、11月30日に法案が審議入りしたカジノ問題だという。別の菅氏周辺から、こんな声が洩れてくる。「カジノ構想はアベノミクスの中心になりえる政策。もともと石原都政時代から、お台場にカジノを作る構想がありました。ところが、舛添要一前都知事が任期途中にカジノ反対を訴え、その予定地(都有地)を民間企業にリース。構想は一気に萎んでしまうんです」 そこで代替地として浮上してきたのが、菅氏の地元・神奈川県だという。「横浜の山下埠頭地区に京浜急行も参入して、カジノを中心とするIR(総合型リゾート)を建設する構想があります。カジノ法案が成立したら、大阪(夢洲)と横浜で日本初のカジノが誕生する運びとなっていました」(IR議連関係者)
この構想を実現するには、まず、横浜のライバルである東京のトップに、意思疎通できる人材を配置しておく必要がある。「だからこそ、“最強官房長官”と呼ばれる人が都知事選で裏方に徹し、周囲の人たちが驚くほど汗を流したのです。まさに、執念のひと言に尽きます。で、その背景にはカジノ構想があると、もっぱらでした」(前出の菅氏に近い関係筋)

 ところが、小池知事誕生後、“第三の候補地”が急浮上する。それが豊洲だった。築地中央卸売市場の移転予定地だが、新市場の施設内に盛り土がなされていない問題が発覚し、移転は早くて1年後になった。「小池知事は、そもそもカジノ推進派。側近からは、豊洲への移転そのものを取り止め、豊洲新市場跡地をカジノにしたらどうかという案も出されているようです」(都庁関係者)

 一発逆転で“豊洲カジノ”が誕生すれば、「首都圏に2か所もカジノは必要ない」(カジノ反対派議員)という理由から、実現寸前だった横浜カジノ構想が吹っ飛びかねない。「小池氏が高い支持率をキープするためには、新たな政策を矢継ぎ早に発表する必要があります。豊洲新市場への移転が先延ばしになった事実そのものが、次のカードとなります。つまり、移転が停滞しているように見えることこそ、“豊洲カジノ案はまだ生きている”という菅氏への“宣戦布告”になるわけです」(前同)

 もはや、菅氏にとっては一刻の猶予も許されないだろう。そこで、権謀術数渦巻く永田町から聞こえてくるのが、菅氏による小池氏の「抹殺指令」だという。「東京五輪の会場問題で森会長に押し込まれ、長沼ボート場問題で逆風が吹き始めた今、菅氏が荒れ狂う“牝馬”の手綱を握り、まずは意のままに動くよう飼いならそうとする。それがポシャれば、政治的に“抹殺”する腹だというんです」(官邸筋)

 カジノ法案が審議入りし、ここにきて国会の会期が延長されたのも、菅氏の「指令」と無関係ではないという。

「一時騒がれた“年明け総選挙説”は、トランプ氏のアメリカ大統領選勝利後、萎んだ印象があります。しかし、会期を延長するということはすなわち、抜き打ち解散の可能性が再び浮上した事実を裏づけています。年明け総選挙の狙いの一つに、小池氏の“新党立ち上げ→国政進出”という動きを封じ込める意図があるのは間違いありません」(全国紙官邸担当記者)

 それでも小池知事は「グリーンTokyo」という名の地域政党を旗揚げし、来年夏の都議選に大量の候補者を擁立するという噂がある。しかし――。「新党となると、資金や選挙の人材確保など、決して容易な道ではありません。また、新党への有権者の意識も不安定。小池人気にはあやかりたいが、不安もあるという議員が多いのではないかと思います」(前出の浅川氏)

 政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏も、こう続ける。「小池氏が、都議選前に地域新党を発足させ、自身の純粋な与党を作ろうとするのは確かです。ただ、小池氏が最終的に目指す介護特区や環境都市構想には、国の協力が不可欠なんです」

 つまり、菅氏が最終的には、暴れ馬の小池知事をうまく御すことになる? 「とはいうものの、小池知事にも女の意地があります。小池氏が4者協議(前出)後、都庁近くのホテルで行われた民進党都連のパーティに出席し、蓮舫代表とエールを交換したのも、自民党、すなわち菅氏を牽制する狙いからですよ」(都議会自民党関係者)

 一寸先は闇の政治の世界。菅氏の「抹殺指令」は完遂されるのだろうか……。




経済が問われるのに、違う気がする。
の記事、デフレに戻った数字。
支持率より、経済の疲弊は、現実なのに。


結局、墓穴を掘るのは、小池さんでなく、
維持した人は、だんだん、ばれていく。
そろそろ、官房長官の交代か、安倍政権の経済の失敗が出てくる。
デフレに戻ったのが現実、消費税あげたのが、
五輪の景気も、逆なで。

建物は、安くするしか、経済の疲弊が、現実。
五輪の建物の経費カットは、成功したことが、小池さんの目論見。
勘違いしているのは、森氏と、官房長官。
今に、衆議院解散が、遅れて、都議会の選挙近くになると、
どんな構図になるか。
面白いことだ。

すべては、来年のアメリカの政権で、どんなことに、なるか、
それで、経済、外交が、変化する。
五輪の建物の問題より、怖いのは、トランプ氏の政権だろう。

今年は、今年、日本で、サミットに出た、要人が、何人、消えたか。
来年のサミットに、すべて、新しい要人になるよな、気もする。


五輪、小池さんのこと、批判するより、自分の地位、政権の問題が、
来年、出る気がする。
ドンでもない、台風が、吹く予測は、見て入れば、解る。

ソフトバンクではないが、アメリカに投資すること、しないと、
生き残れない、世界になるかもしれない。
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凄い、家電販売が、ホテル

2016年12月14日 03時48分09秒 | ニ言瓦版
凄い。
倒産、倒産寸前の企業が、中国の資本と、経営が変わると、
ホテルまで、出店するのか。
経営は、無能がすると、破産。
賢い人が、すると、増殖する。成長する。


「中国系家電量販大手、ラオックス(東京)は13日、福岡市のヒルトン福岡シーホークに小型店を出店すると発表した。ホテルへの出店は初めてで、16日に開業する。

 新店舗は店舗面積が約90平方メートルで、化粧品や旅行用品など約1000点を並べる。売り場が制限される小型店のため、従来扱っているブランド品のバッグや玩具など一部商品領域は販売しない。

 一方、有田焼など九州らしい商品は取り扱う方針。同社は「地域の特産品の魅力を掘り起こし、訪日外国人などのホテル客を中心に買い物を楽しめる環境を提供したい」としている。」



凄いことだ。
家電の販売も、ホテルは、いいかもしれない。
住宅産業で、苦労している家電販売。

家電以外に投資するのは、必要なことかもしれない。

他の分野に、投資するのは、必要なことかもしれない。

セブンイレブンも、考えることだ、
百貨店の閉鎖するより、ホテルにするのがいいのかしれない。

他分野に、行くのが、生き残る道。自動販売機で、コーヒー買うのと、
店内で、コーヒー、自動販売機で、売るのと、同じ。
食品の販売は、ホテルの経営も、簡単なこと。

家電でも、出来る。
面白いことだ。

五輪と、観光と、家電売るも。
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2016年12月14日 02時31分21秒 | ニ言瓦版
名言、珍言。


「あら楽や 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし」

大石内蔵助
 
勝手な解釈
死、覚悟も、長すぎる、生き様は、
辛い。
過去の楽しいことが、思い出されるものだ。
悪いことしないこと。
楽しいことのすることが、最後の断末魔に、
思うことかもしれない。
自然の中で、自分の過去の姿、思い出が、
この世から消えるとき、蘇るものかもしれない。

いいこと、楽しいこと、することだ。
それが、この世から消える、思い出になる。

=============
名言、珍言。
 
「極楽の 道はひとすぢ 君ともに 阿弥陀をそへて 四十八人」


大石内蔵助

勝手な解釈
あの世は、どんな場所がわからない。
死んでみない。
だか、団体で死んだは、一つ怖くないことかもしれない。
人は、死ぬときは、何人も、その日に、死んでいる。
生まれている。
神は、残酷だろう、日々、死ん行くのは、天罰のように、
消え、何一つ残さないこと、残すことが、死んだあとに、残る。
戒めか、教訓か、死の後は、何か、あるものが、生前の生き様。
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赤穂浪士の話。いい。

2016年12月14日 02時24分41秒 | ニ言瓦版
赤穂浪士の話。
登場人物、調べた。




「大石内蔵助良雄
おおいしくらのすけよしお(よしたか)
国家老、1500石(譜代)。討ち入りの指導者。享年45。辞世は「あら楽や思ひは晴るゝ身は捨つる浮世の月にかゝる雲なし」。
大石主税良金
おおいしちからよしかね
部屋住み。大石良雄の長男。討ち入りのときは裏門の大将をつとめる。最年少の同志。享年16。辞世は「あふ時はかたりつくすとおもへども別れとなればのこる言の葉」。
原惣右衛門元辰
はらそうえもんもととき
足軽頭、300石(新参)。早くから江戸の急進派に同調していた。享年56。辞世は「君がため思もつもる白雪を散らすは今朝の嶺の松風」。
片岡源五右衛門高房
かたおかげんごえもんたかふさ
側用人・児小姓頭、350石(譜代)。忠臣蔵では浅野長矩切腹の際に最後の対面をした。仇討ちを強硬に主張し独自の行動をとっていた。享年37。
堀部弥兵衛金丸
ほりべやへえかなまる(あきざね)
前江戸留守居、前300石、隠居料20石(譜代)。同志のうち最年長者。享年77。辞世は「雪はれて思ひを遂るあしたかな」。
堀部安兵衛武庸
ほりべやすべえたけつね
馬廻、200石。越後国新発田藩出身、旧姓中山。父の代に新発田藩を放逐となり浪人していたが、高田馬場の決闘での活躍により、堀部金丸の婿養子となり、赤穂浅野家の家臣となる。仇討ち急進派の中心人物。討ち入りでは大太刀を持って大いに奮戦したと伝わる。享年34。辞世は「梓弓ためしにも引け武士の道は迷はぬ跡と思はば」。
吉田忠左衛門兼亮
よしだちゅうざえもんかねすけ
足軽頭・郡奉行、200石役料50石(譜代)。浪士の中では大石内蔵助に次ぐ人物として、これを補佐した。享年64。辞世は「かねてより君と母とにしらせんと人よりいそぐ死出の山道」。
吉田沢右衛門兼貞
よしださわえもんかねさだ
部屋住み。蔵奉行吉田兼亮の長男。享年29。
近松勘六行重
ちかまつかんろくゆきしげ
馬廻、250石(譜代)。討ち入りの際に負傷する。享年34。
間瀬久太夫正明
ませきゅうだゆうまさあき
大目付、200石役料50石(二代)。享年63。
間瀬孫九郎正辰
ませまごくろうまさとき
部屋住み。間瀬正明の長男。享年23。
赤埴源蔵重賢
あかばねげんぞうしげかた
馬廻、200石(譜代)。忠臣蔵では「徳利の別れ」で有名。享年35。
潮田又之丞高教
うしおだまたのじょうたかのり
郡奉行、絵図奉行、200石(譜代)。享年35。辞世は「武士の道とばかりを一筋に思ひ立ぬる死出の旅路を」。
富森助右衛門正因
とみのもりすけえもんまさより
馬廻・使番、200石(二代)。享年34。辞世は「先立し人もありけりけふの日をつひの旅路の思ひ出にして」。
不破数右衛門正種
ふわかずえもんまさたね
元馬廻・浜奉行、元100石(譜代)。浪人していたが懇願して義盟に加わる。討ち入りでは最もめざましい働きをしたと伝わる。享年34。
岡野金右衛門包秀
おかのきんえもんかねひで
部屋住み。美男で忠臣蔵の物語では大工の娘を通じて吉良屋敷の図面を手に入れている。享年24。辞世は「その匂ひ雪のあさぢの野梅かな」。
小野寺十内秀和
おのでらじゅうないひでかず
京都留守居番、150石役料70石(譜代)。享年61。辞世は「今ははや言の葉草もなかりけり何のためとて露結ぶらむ」。
小野寺幸右衛門秀富
おのでらこうえもんひでとみ
部屋住み。小野寺秀和の養子。享年28。辞世は「今朝もはやいふ言の葉もなかりけりなにのためとて露むすぶらん」。
木村岡右衛門貞行
きむらおかえもんさだゆき
馬廻・絵図奉行、150石(譜代)。享年46。辞世は「おもひきや我が武士の道ならで御法のゑんにあふとは」。
奥田孫太夫重盛
おくだまごだゆうしげもり
武具奉行・江戸定府、150石(新参)。仇討ち急進派の中心人物。享年57。
奥田貞右衛門行高
おくださだえもんゆきたか
部屋住み。奥田重盛の養子。近松勘六の異母弟。享年26。
早水藤左衛門満尭
はやみとうざえもんみつたか
馬廻、150石(二代)。刃傷事件の第一報を江戸から赤穂へ伝える。享年40。辞世は「地水火風空のうちより出し身のたどりて帰るもとのすみかに」。
矢田五郎右衛門助武
やだごろうえもんすけたけ
馬廻・江戸定府、150石(二代)。享年29。
大石瀬左衛門信清
おおいしせざえもんのぶきよ
馬廻、150石(譜代)。享年27。
礒貝十郎左衛門正久
いそがいじゅうろうざえもんまさひさ
物頭・側用人、150石(新参)。享年25。
間喜兵衛光延
はざまきへえみつのぶ
勝手方吟味役、100石(二代)。享年69。辞世は「草枕むすぶ仮寐の夢さめて常世にかへる春の曙」。
間十次郎光興
はざまじゅうじろうみつおき
部屋住み。間光延の長男。吉良上野介に一番槍をつけ、その首級をあげた。享年26。辞世は「終にその待つにぞ露の玉の緒のけふ絶えて行く死出の山道」。
間新六郎光風
はざましんろくろうみつかぜ
間光延の次男。養子に出されたが養父と折り合いが悪く江戸に出て浪人になっていた。願い出て義盟に加えられた。享年24。辞世は「思草茂れる野辺の旅枕仮寝の夢は結ばざりしを」。
中村勘助正辰
なかむらかんすけまさとき
書物役、100石(譜代)。享年46。辞世は「梅が香や日足を伝ふ大書院」。
千馬三郎兵衛光忠
せんば(ちば)さぶろべえみつただ
馬廻、100石(二代)。享年51。
菅谷半之丞政利
すがやはんのじょうまさとし
馬廻・郡代、100石(譜代)。享年44。
村松喜兵衛秀直
むらまつきへえひでなお
扶持奉行・江戸定府、20石5人扶持(二代)。享年62。辞世は「命にもかえぬ一をうしなはば逃げかくれてもこゝを逃れん」。
村松三太夫高直
むらまつさんだゆうたかなお
部屋住み。村松秀直の長男。享年27。辞世は「極楽を断りなしに通らばや弥陀諸共に四十八人」。
倉橋伝助武幸
くらはしでんすけたけゆき
扶持奉行・中小姓、20石5人扶持(二代)。享年34。
岡嶋八十右衛門常樹
おかじまやそえもんつねしげ
札座勘定奉行、20石5人扶持(二代)。原惣右衛門の弟。享年38。
大高源五忠雄
おおたかげんごただお(ただたけ)
金奉行・膳番元方・腰物方、20石5人扶持。小野寺秀富の兄。吉良家出入りの茶人に接近して12月14日の吉良屋敷で茶会があることを聞きつけた。俳諧をよくして俳人宝井其角と交流があり、これをもととして「松浦の太鼓」の外伝が作られた。享年32。辞世は「梅で呑む茶屋もあるべし死出の山」。
矢頭右衛門七教兼
やとう(やこうべ)えもしちのりかね
部屋住み(譜代)。父長助ともに義盟に加わったが仇討ち決行前に父は病死した。享年18。
勝田新左衛門武尭
かつたしんざえもんたけたか
札座横目、15石3人扶持(譜代)。享年24。
武林唯七隆重
たけばやしただしちたかしげ
馬廻、15両3人扶持(二代)。吉良義央の養子吉良義周と切り結び負傷させ、炭小屋に隠れていた吉良義央を討ち取った。享年32。辞世は「三十年来一夢中 捨レ身取レ義夢尚同 双親臥レ病故郷在 取レ義捨レ恩夢共空」(「レ」は漢詩文訓読の返り点)。
前原伊助宗房
まえばらいすけむねふさ
金奉行・中小姓、10石3人扶持(二代)。江戸で呉服屋を開き吉良屋敷を探索した。享年40。辞世は「春来んとさしもしらじな年月のふりゆくものは人の白髪」。
貝賀弥左衛門友信
かいがやざえもんとものぶ
中小姓・蔵奉行、10両3人扶持(新参)。吉田兼亮の弟。享年54。
杉野十平次次房
すぎのじゅうへいじつぎふさ
札座横目、8両3人扶持(二代)。享年28。
神崎与五郎則休
かんざきよごろうのりやす
徒目付、5両3人扶持(新参)。享年38。辞世は「余の星はよそ目づかひや天の川」。
三村次郎左衛門包常
みむらじろうざえもんかねつね
台所奉行・酒奉行、7石2人扶持(二代)。享年37。
横川勘平宗利
よこかわかんべいむねとし
徒目付、5両3人扶持(新参)。12月14日に吉良屋敷で茶会があることを調べる。享年37。辞世は「まてしばし死出の遅速はあらんともまつさきかけて道しるべせむ」。
茅野和助常成
かやのわすけつねなり
横目付、5両3人扶持(新参)。享年37。辞世は「天の外はあらじな千種たに本さく野辺に枯るると思へは世や命咲野にかかる世や命」。
寺坂吉右衛門信行
てらさかきちえもんのぶゆき
吉田兼亮の足軽、3両2分2人扶持。足軽では唯一の参加者。討ち入り後に一行から立ち退いている。討ち入り時は38歳。事件後に幾つかの家に仕えた後、江戸で没。享年83。
その他関連人物[編集]
赤穂藩[編集]

浅野内匠頭長矩
赤穂藩主。松之大廊下で吉良義央に刃傷に及び即日切腹。辞世は「風さそふ花よりも猶我はまた春の名残をいかにとか(や)せん」。
瑤泉院
浅野長矩の正室。事件後に赤穂浪士の遺児の赦免に尽くした。
浅野大学長広
浅野長矩の実弟。浅野長矩の養嗣子となる。刃傷事件後に閉門となり、後に領地召し上げ、浅野宗家へ永預けとなる。この処分を受け大石良雄は吉良殺害を決意する。
大野九郎兵衛知房
国家老650石。有能な経済官僚として重用されたが、刃傷事件後に開城恭順を主張して大石良雄と対立し、逐電している。後世に不忠臣の代表として悪名を受けた。
安井彦右衛門
江戸家老650石江戸扶持9人半。勅使御馳走役となった主君浅野内匠頭の補佐に失敗する。
藤井又左衛門宗茂
家老800石。勅使御馳走役となった主君・浅野内匠頭の補佐に失敗する。
近藤源八正憲
1000石。大石良雄の縁者。義盟には参加していない。
岡林杢之助直之
組頭1000石。開城恭順派で義盟には不参加。討ち入り後、親族に不参加を責められて切腹した。
寺井玄渓




やはり、歌に出てくる。
蕎麦屋か、杉野十平次次房。
https://www.youtube.com/watch?v=R3g26KkxA9E
https://www.youtube.com/watch?v=JGEbU2TTxHY


そして、「赤埴源蔵重賢
あかばねげんぞうしげかた
馬廻、200石(譜代)。忠臣蔵では「徳利の別れ」」の話がいい。
国本武春氏の浪曲は、いい。去年、亡くなった。
残念。いい。徳利の別れ。

https://www.youtube.com/watch?v=ycT-0PlGdaY
https://www.youtube.com/watch?v=w8zIoiWUa_8


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