二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


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そこまで、

2014年01月13日 06時39分15秒 | ニ言瓦版
この話、聞いて、そうかもしれない。
正月、3日に死ぬも、それは、世間は、正月の楽しい時期。
先まで、考えているのかもしれない。

親族は、関係ないが、世間は、そうかもしれない。



「3日に亡くなったタレント、やしきたかじんさん(享年64)の冠番組で、9日に収録された関西テレビ「たかじん胸いっぱい」(土曜正午)が11日に放送され、タレントの遙洋子(年齢非公表)が“最期のエピソード”を明かした。正月明けに新居に1人だけ呼ばれ、昨秋結婚した新妻(32)から「3日に亡くなった」と知らされたことを激白。7日に発表されたが、正月明けが遺志だったという。

 あふれそうな涙をグッとこらえていた。遙がたかじんさんの“最期の思いやり”を気丈に語りだした。

 「去年秋の闘病中、お誕生日に私だけ招かれました。たかじんさんと奥さんの判断で。私がたかじんさんと飲む機会も話す機会もなかったので、配慮だと思っているんですけど…」

 9日収録で、この日放送の「-胸いっぱい」の最後。昨年10月5日のたかじんさんの誕生日に自身だけ招かれたことを初告白した。そこで夫人と出会ったといい、夫人の手料理を振る舞われ、「たかじんさんはあの女性によって2年間生かしてもらえたのだなと」と吐露。夫人を通じて「お前はもっとしゃべれ」などと連絡を受けていた。そして、天気のいいある日だった…。

 「『茶飲みたいとたかじんさんが言っている』と奥さんからメールが来たので喜んで新居に行った。『結婚、おめでとう!』というと、奥さんから笑顔で『1月3日に亡くなった』と。結婚祝いの花束を渡したときに告げられました。なんでと聞くと、ご遺志で『洋子だけには1人で家でニュースで俺の死を聞かせるな』と」

 長年共演してきたパートナーを「あいつはよう頑張っとる」とかわいがっていたたかじんさん。独り身の遙が自分の死をテレビで知ったら、どうなるか-。「たかじんさんは亡くなる直前まで、亡くなった後の私の気持ちまでフォローしてくれました」。あふれんばかりのやさしさに、声を詰まらせた。

 正月を避けて7日に公表したのも、めでたい気分を自分のことで悲しませたくない思いがあったためだと説明。棺の中の写真を夫人に見せてもらったといい、番組1000回記念(昨年12月14日放送)にサプライズ乱入しようと準備した真っ赤なジャケットを着ており、「大変幸せそうでおだやかなお顔でした」というと、こらえてきた涙腺が決壊した。

 死の間際までみせた気遣いに、共演者の涙も止まらない。「帰りに『たかじんさんから』といって、お小遣いをもらいました」とも告白。目を真っ赤にしたハイヒールリンゴ(52)は、「なんぼもらったん?」。冠番組を湿っぽく終わらさない粋な計らいだったが、お前ナニ聞いとんねん! たかじんさんの声が聞こえてきそうだった。

 やしきたかじんさんの“最期の思いやり”を激白した遙洋子。自らの死後の遙の胸中もフォローしていた

 この日の放送では、たかじんさんの最期の言葉「ちょ~、飲み行ってくるわ」を披露。昨年2月に携帯電話に収めた歌声を流した後に紹介。新地を、人を、酒をこよなく愛した人柄を表していた。

 また、たかじんさんは復帰への情熱を燃やし続けており、番組ではその証として「病院ネタ」など分類されたネタ帳が紹介された。昨年大みそかには病室でテレビのリモコンを放さずテレビチェック。「(司会の)綾瀬はるか、どやねん」とあまり出ない声でツッコミを入れるなど最後までダメ出し。復帰の暁には、紅白ネタをやろうとしていたという。」




遙洋子さんの話は、そうかもしれない。
死ぬも、生きるも、自分の勝ってだが、世間が、楽しいときは、
それは、そこまで、、考えるのかもしれない。

気配りがあるならば、
健康管理が、出来なかったのか。
酒、煙草が、原因に見えてならない。

誰か、管理する人が、いれば、まだ、長生きできたかもしれない。

東京か、どこかで、住替えで、
尊敬できる師でも、あれば、長生きしたかもしれない。

中村勘三郎氏と、やしきたかじん氏は、管理できる人が、いれば、まだ、
生きていたかもしれないと、感じることだ。


コメント
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