二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

やはり

2014年01月07日 18時44分25秒 | ニ言瓦版
やはり、あまちゃんは、凄い。

「歌唱直後に、北島が何度も「ありがとう」と感謝を述べながら「歌の仲間たちも熱く盛り上げてくれました。北島はこれで紅白を卒業させていただきます」とあいさつした場面で、瞬間最高50・7%を記録。過去10年間の紅白歌手別視聴率1位となる数字でラストを飾った。

 例年以上に見どころ満載となった紅白。北島に続く高数字をマークしたのは「あまちゃん」の“続編・第157話”として上演された特別企画だった。

 後半スタート時に40・7%だった視聴率は、ヒロイン役の能年玲奈(20)と橋本愛(17)が劇中ユニット「潮騒のメモリーズ」を再結成するなり跳ね上がり、母親役を演じた小泉今日子(47)と薬師丸ひろ子(49)が劇中歌「潮騒のメモリー」をリレー歌唱した場面で46・0%まで上昇。最後に全員で「地元に帰ろう」を合唱したシーンで50・0%を記録し、
“あま人気”健在ぶりを示した。」


後半は、あまちゃんの人気だ。


現実は、歌手の視聴率なのに、紅白で、ドラマの最終回の視聴率みたいな番組。
157話か、それは、そうかもしれない。

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思う

2014年01月07日 04時28分56秒 | ニ言瓦版
デーリー東北新聞のコラムも、面白い。
落語の話と、よく、出すなか。



「落語の五代目古今亭志ん生(故人)は、どんな演目でも人物や情景をまざまざと浮かび上がらせる芸があった。一方、高座で何を言い出すか分からない天衣無縫さも受け、人気は絶大。当時まだ駆け出しだった次男の志ん朝が、どうしたら面白く演じられるのか尋ねてみたそうだ
▼志ん生は「面白くやろうと思わないことだ」と答えたという。柳家小三治が『落語家論』(ちくま文庫)に書いている。「落語はもともと面白くできてるから、素直にそのままやればいいのだ。無理に笑わせようとするな」という意味ではないかと
▼はなし家の世界に限らないだろう。本質をないがしろにして無理やりものごとを進めようとしても、いつかはどこかで続かなくなる。地味でも素直が一番いい。それが道理である
▼東京・築地の初競りで、230キロの大間産クロマグロが最高値736万円で競り落とされた。昨年の1億5千万円余に比べ20分の1の安値。ご祝儀相場の高騰ぶりに期待した向きには、残念な思いも残るだろう
▼ただ、ブランドの魅力は脂の乗りや鮮度などの品質にあったはず。本質と別の無理な「過当競争」だったとしたら、長く続くとも思えない。素直に値を付けてもらえばいい。ことしで3年連続日本一。世界に堂々と胸を張れる魚であり、産地である
▼ところで、ことしは大間産マグロにどれだけお目にかかれるだろう。地元で食べる身としては、そっちが気になったりして。」



クロマグロの値段と、落語の話は、目先で、善くだしても、
イメージが、酷いなると、それは、ブランドではなく、高い酷い商品。

大間も、朝ドラが合ったの時期は、マグロより、あの風景と、物語。
去年のあまちゃんのように、人気だった。

クロマグロの値段の競争の地域では、賭博みたいな、猟師ではないか。
テレビで、クロマグロ、取る船の話していたが、
暮れにかけて、若い猟師が、船から、落ち、多くの船が、漁船が、捜索、
一列に並んで、光照らすに、漁船が並んでいる映像は、切ない。

何か、736万か、去年1億5千万だろう。

自業自得に見えてならない。
普段の荒れてない、海で、マグロ、取るのが、価値があると、
感じる。
欲に目がくらむと、死があることを感じる。
736万のマグロを得た船。
一割でも、若い猟師の花代か、冥福、祈り会でも、
しているのだろうか。


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面白い

2014年01月07日 04時08分09秒 | ニ言瓦版
東奥日報のコラムは、面白い。
江戸の火事か。
今年も、江戸、東京の火事で、新幹線が、大変だった。
 


「「火事とけんかは江戸の華」と言われるほど、江戸では火事が多かった。それに立ち向かったのが「町火消し」だ。多くが家の建築・解体に携わる鳶(とび)職だった。燃える家の隣の家を破壊し延焼を防ぐのが当時のやり方だから、炎の中、命がけの消火活動だった。

 八戸藩でも町人が協力して風下の家を壊すのが慣例だった。
だが、1806年の大火ではわが家が危ないと見たか、
町人は各自の家財を運び出し、
消火の手伝いに出なかった。この事態に時の町奉行は「不思議の次第到来」と嘆いた(三浦忠司著「八戸藩の歴史をたずねて」)。やはり町火消しが頼りだったのだ。

 今の消防団も仕事のかたわら、火災現場に急行し、消火に当たる。
かつての町火消し同様、ありがたい存在だ。県内では昨年末から火災が続き、おとといは平内町で2人が亡くなった。年末年始も気が休まらなかったに違いない。

 きょうは全国的に消防出初め式が行われる日だ。1657年の明暦(めいれき)の江戸大火(振袖(ふりそで)火事)では10万人も死者が出た。その2年後の正月、火消しの人たちが上野の東照宮で顔合わせしたのが式の始まりとされる。

 平内町ではきのう行われた。前日の悲しい火事に団員たちは使命の重大さを噛(か)みしめたことだろう。県民も一人一人が火事の恐ろしさを噛みしめなければ。」



歴史、見てるように、火事で庶民の心がわかる。
家が燃えても、財産が、確保。
江戸は、警備、いろいろ、事件、火災、天変地異も、
武士、幕府の指示でも、庶民が動かないと、何一つ、できない。
勘違いしているのは、平成時代の政治家、都知事かもしれない。

町奉行の心境は、人、町の人が頼りが本当である。
少ない、管理者で、町が、犯罪もないで、いられる。
平和なことは、人。

「1657年の明暦(めいれき)の江戸大火(振袖(ふりそで)火事)」も、
1806年の大火も、庶民は、助け合いしたことだろう。
それと、大地震、富士山の爆発も、江戸庶民は、いろいろ、助け合っていたのかもしれない。
名奉行、名老中が、出てくると、庶民は、平和に暮らせるのかもしれない。
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