二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

綺麗だが

2014年01月30日 04時20分43秒 | ニ言瓦版
綺麗な人だが、疑問。
何か、審査と、人材不足に見える。



「2014年度ミス日本コンテストの各部門受賞者たち。左からミス着物・尾崎優子さん、『海の日』・花岡麻里名さん、グランプリ・沼田萌花さん、『水の天使』・神田れいみさん、ネイチャー・長谷川舞衣さん、準ミス・臼田美咲さん


 2014年度ミス日本コンテストの最終審査が27日、東京都内のホテルで行われ、大分県出身の大学生沼田萌花さん(21)がグランプリに輝いた。沼田さんは「本当にうれしくて涙が出そうになりました」と笑顔で喜びを語った。

 将来の夢は、日本文化を海外に広めるため「フランスに住んで(特技の)書道を子どもたちに教えること」と話し、「理想の男性は(俳優の)谷原章介さん。品があってジェントルマンで、りんとしている姿がすてき」とほほ笑んだ。」



何か、女優の道もないかもしれない。
ミス着物のが、まだ、タレントか、将来の有望ではないか。
世界で、通じる、美女には、見えない。

テレビ局に、採用で終わる人材かもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

面白い

2014年01月30日 03時51分45秒 | ニ言瓦版

「オバケのQ太郎」誕生50年。Q太郎のQはどこから来たのか」は、面白い。

勿体無いことだ。
組織で作った作品。
今ならば、継続して、できるものだろう。


「オバケが居候する家庭には子供が二人、名前は兄が伸ちゃん、弟が正ちゃんと、スタジオゼロのメンバーである鈴木伸一と石森章太郎の名前からとった。オバケの登場のしかたについては、恐竜好きの藤本が卵から生まれるというアイデアを出す。さらにオバケと正ちゃんが出会うシチュエーションは、スタジオゼロの社屋の近所で、子供たちが忍者ごっこをしていたのを使うことにした。当時、白土三平『サスケ』や横山光輝『伊賀の影丸』などのマンガやテレビ番組によって、子供たちのあいだで忍者ブームが起こっていたのだ。

こうして決まった骨格にもとづき、藤本がQ太郎、安孫子が正ちゃん、石森がガキ大将のゴジラ(雑誌掲載時には「ユウちゃん」となっていた)はじめ脇役という具合に分担しながら、第1回を描きあげた。以後も合作が続き、正ちゃんのガールフレンド・よっちゃんなどの少女キャラはあきらかに石森タッチだし、「オバケ大会」(全集版『オバケのQ太郎1』所収)という話では、スタジオゼロのメンバーとかかわりの深い園山俊二が描いたと思しきゴリラ顔の中年男まで登場する。個性の強いマンガ家たちによる合作であることこそ、初期『オバQ』の醍醐味ともいえるかもしれない。ついでにいえば、「Qちゃんのおつかい」(同上)で初登場する、おなじみの藤子キャラ「ラーメンの小池さん」は、鈴木伸一をモデルにしている。

この時期、トキワ荘時代の仲間の一人・赤塚不二夫(のちスタジオゼロにも参加)が、同じく「少年サンデー」連載の『おそ松くん』で大躍進を続けていた。安孫子と藤本はそれを尻目に、《おれたちは地味な漫画家だから、コツコツ当てて打率を稼ごう。一発狙うと三振するから》と冗談めかして言っていたという。が、本音ではやはり大ホームランを打ってみたかった(『二人で少年漫画ばかり描いてきた』)。『オバケのQ太郎』はそこへ飛び出したまさに特大ホームランであり、雑誌連載開始の翌年、1965年にはテレビアニメ化され(スタジオゼロはパイロット版こそつくったものの、本放送は東京ムービーの制作であった)、関連商品も多数出て大ブームを巻き起こす。

ただしアニメ化は結果的に『オバケのQ太郎』の連載終了を早めてしまうことになる。というのも、作品自体はまだ十分に人気はあったものの、アニメのスポンサーだった菓子メーカーが、オバQ関連の商品の落ちこみから新しいキャラクターの検討を求めたためだ(大野茂『サンデーとマガジン』)。…
これを受けて「少年サンデー」での『オバQ』の連載は1966年末をもって終了、翌年1月からは新たな藤子作品として『パーマン』(藤本作)が始まった。

『オバQ』の連載終了をもって、藤本と安孫子は「藤子不二雄」のペンネームはそのままにしつつ、以後、おのおの作品を発表していくことになった。1971年から73年にかけて小学館の学年誌で連載された『新・オバケのQ太郎』は藤本の単独作品である。

ちょうど『新・オバケのQ太郎』の連載が終わった1973年には、青年誌「ビッグコミック」に藤本の異色短編「劇画・オバQ」(全集版『SF・異色短編1』などに収録)が発表されている。これは、Q太郎と大人になった正ちゃんたちとの久々の再会を通じて子供時代の終わりを描いた、ちょっとほろ苦い作品だ。

思えば、『オバケのQ太郎』という作品自体、藤本にとっては、安孫子との関係からいえば少年時代からの夢の一つの到達点を、トキワ荘の仲間たちとの関係からすれば、青春の終わりを象徴するものといっていいだろう(スタジオゼロも1970年に解散している)。そう考えるにつけ、「劇画・オバQ」には、藤本の『オバQ』に対するさまざまな感慨が込められているような気がしてならない。」


オバケのQ太郎は、めいめいの作家の原点かもしれない。
勿体無い作品である。
サンデーも、今の酷い売れ方と、違う。
原点、忘れているのかもしれない。
売れる本は、作品の継続と、
進化ではないか。

サンデー、マガジンは、考えることだろう。
出版社の総責任者も、失敗があるきがする。

作家中心から、組織、中心のアニメ、漫画が、当時から、
できていたのに、継続しなかったのが、問題に見える。
作家が死ぬと、終わる時代ではなく。
アニメのサザエさんのように、継続していくことができないのかと、
組織で、内部の交代でできないのかと、いいたい。


「オバケのQ太郎」は、知らない人が多すぎる時代。

アニメも、漫画も、最後は、脚本かもしれない。
脚本の書く人がないと、それは、
漫画は、売れない。

巨人の星、あしたのジョー、など、脚本家が、いいからである。
変な賞を貰って、作家になり、売れない作品、作るより、
漫画の脚本で、売れる作家が、本当の漫画、アニメの生き残る道かもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする