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釜山お墓参りをパクったブロガーに画像一覧をいたずらされ見られない記事がありますが発見次第修正していますのであしからず。

夢追う冒険家永遠に 板橋在住・阿部さん死去 「功績残す」科学館展示検討   板橋区  

2024年05月14日 | ニュース

2024/05/14  読売新聞オンライン

南極点で記念撮影する阿部さん(2019年1月、人力チャレンジ応援部提供)

阿部雅龍さん

世界中で様々な冒険活動にチャレンジし、脳腫瘍によって3月に41歳の若さで亡くなった板橋区在住の阿部 雅龍まさたつ さんについて、功績や人柄を伝えようと、板橋区立教育科学館は関連資料の展示コーナー設置などを検討している。

◇植村直己賞受賞

阿部さんは秋田県出身。秋田大在学中から冒険活動を始め、南米自転車縦断、北米ロッキー山脈縦貫トレイル踏破、アマゾン川いかだ下りなど数々の挑戦を成功させた。2019年には日本人としては初めて南極の「メスナールート」(約918キロ)を単独で踏破した。

21年からは「大和雪原」から南極点までの白瀬ルート(約1300キロ)を単独で歩くという前人未到の目標に挑んだ。同年11月に出発したが、悪天候の影響で22年1月に断念した。しかし、食料などを積んだ重さ約150キロのそりを自分で引いて約780キロを歩いたことが評価され、同年に植村直己冒険賞を受賞した。

◇若者の挑戦支援 

阿部さんは、日本人で初めてエベレストに登頂した植村直己さんがかつて住んでいたことから、16年頃に板橋区に転居した。「自分なりの美意識に純粋に生き、周囲の人を深く引きつける力があった。区内に多くの応援隊がいた」と話すのは同館の清水輝大館長(40)だ。

 

 同館では昨夏、阿部さんの冒険だけでなく、その活動を応援する人たちを題材にした企画展を実施。阿部さんのソリ「赤龍」について、区内の金属加工会社社長の呼びかけによって、様々な町工場が連携して共同開発したことや、凍傷を防ぐ独自の装備品をつくる区内の裁縫チームといった陰で支えた人たちを紹介した。

阿部さんは、俳優や弁護士といった夢を追う若者の支援も区内で行っていた。同区で不動産開発会社会長を務める鈴木雄二さん(56)とともに、若者が無償で暮らせるシェアハウス事業を21年に開始。鈴木さんは「入居者たちも大きな夢に挑む阿部さんの後ろ姿に刺激を受けたと思う。精神的な支柱として自分の胸の中に生き続けている阿部さんとともに、これからも一緒にシェアハウスを続けていきたい」と語る。

◇人生伝える 

阿部さんは自然体験活動をしたり、冒険に必要な知見を学んだりできる「冒険学校」の設立を目指していたという。その先駆けとして、同館での企画展の会期中に、阿部さんとトレーニングなどを体験できる親子向けイベントを予定していた。

 

 しかし、イベント開始直前の昨年8月中旬、阿部さんは緊急入院。白瀬ルートへの再挑戦を間近に控えていた時期での病の判明に、自身のフェイスブックで<自分が望んだ冒険ではないけど、病気という冒険に自ら勇気を持って立ち向かいます>とつづっていた。

闘病の末に阿部さんは3月に帰らぬ人となった。阿部さんの功績を残そうと、同館では今後、親交があった人たちへのインタビューなどを通じて生き方を伝える展示の実施を検討している。清水館長は「冒険家としての活動だけでなく、人とのつながりを通して見えてくる阿部さんの本質を残していきたい」と力を込めて語った。

 

 

 

 

 

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