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釜山お墓参りをパクったブロガーに画像一覧をいたずらされ見られない記事がありますが発見次第修正していますのであしからず。

「都市計画路線補助26号線」 10月に都市計画決定

2017年01月30日 | 26号線&クロスポイント
「都市計画路線補助26号線」 





10月に都市計画決定へ/18年6月に本組合設立/大山町クロスポイント再開発準備組合





 東京都板橋区の大山駅周辺で総延べ約4万㎡の再開発を計画する大山町クロスポイント周辺地区市街地再開発準備組合(山本好文理事長)は、10月の都市計画決定に向けて協議を進めている。スケジュールを見直し、2018年6月の本組合設立、19年7月の工事着手、21年12月の完成を目指す。16年10月時点では18年5月の本組合設立、19年3月の工事着手、21年8月の完成を予定していた。

 施行区域はA-Dの4街区に分割する。A街区は27階建て、D街区は26階建て、B街区は13階建てとし、それぞれ住宅や店舗を整備する。C街区は3階程度の店舗などを想定している。

 設計は久米設計、コンサルタント業務は佐藤不動産鑑定コンサルティング、事業協力者は住友不動産とフージャスコーポレーション。

 検討区域は大山町25-28、38、40ほかの約0.9ha。東武東上線大山駅直近のハッピーロード大山商店街を中心とした地域で、商店のほか、マンションや住宅、駐車場などがある。地権者数は45人。
 対象地の中央には、ハッピーロード大山商店街と交差する形で、補助第26号線が整備される予定だ。東京都は同線を木密地域不燃化プロジェクトの特定整備路線に位置付け、周辺地域の防災性向上を進めている。

[ 2017-01-30 建設通信新聞]



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《板橋区ニュース》 10月に都市計画決定へ/18年6月に本組合設立/大山町クロスポイント再開発準備組合

2017年01月30日 | 26号線&クロスポイント



 東京都板橋区の大山駅周辺で総延べ約4万㎡の再開発を計画する大山町クロスポイント周辺地区市街地再開発準備組合(山本好文理事長)は、10月の都市計画決定に向けて協議を進めている。スケジュールを見直し、2018年6月の本組合設立、19年7月の工事着手、21年12月の完成を目指す。16年10月時点では18年5月の本組合設立、19年3月の工事着手、21年8月の完成を予定していた。

 施行区域はA-Dの4街区に分割する。A街区は27階建て、D街区は26階建て、B街区は13階建てとし、それぞれ住宅や店舗を整備する。C街区は3階程度の店舗などを想定している。

 設計は久米設計、コンサルタント業務は佐藤不動産鑑定コンサルティング、事業協力者は住友不動産とフージャスコーポレーション。

 検討区域は大山町25-28、38、40ほかの約0.9ha。東武東上線大山駅直近のハッピーロード大山商店街を中心とした地域で、商店のほか、マンションや住宅、駐車場などがある。地権者数は45人。
 対象地の中央には、ハッピーロード大山商店街と交差する形で、補助第26号線が整備される予定だ。東京都は同線を木密地域不燃化プロジェクトの特定整備路線に位置付け、周辺地域の防災性向上を進めている。
[ 2017-01-30 建設通信新聞]
  

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麺屋 いっこく 思い出のエスニック 【閉  店】

2017年01月24日 | 閉 店
麺屋 いっこく 【閉 店】
 思い出のエスニック




(2009 8月7日の記事を再編集)

昔のページを編集していて、いっこくで食べたエスニックが出てきました。
はっきりとは思い出せなかったものの複雑にからみあったラーメンの味が
なつかしく舌に響いてきました。

また食べてえ!!



住所: 板橋区大山東町21-8
TEL:
時間:
休み:





この日、お店の前を通りかかると新しい看板が出ています。





最近、新たなメニューの登場が無く期待していただけにうれしい限りです。

実は昨年あたりからなにか試行錯誤しているのでは?・・・と期待を抱いていました。

マスターのことだから中途半端なメニューは出して来ないはず。

お店オープンした際も長い時間をかけて作り上げたメニューが気に入らず、一から作り直すためにオープンを1ヶ月近く先延ばししたという経緯があります。


密かに期待していたのは(担々麺)か(カレーつけ麺)

カレー味、満を期して登場してきました。



 エスニック 850円(御飯つき) ・・単品 800円





パクチーがたっぷり乗っていますが更に小皿にも入れてくれました。

スープがなんとも複雑な色合いを見せています。







麺は中太麺、腰の強さはいつも通り。

マスターから

「真ん中のパクチーの間に見えるひき肉は一気に食べずにスープを少しずつ飲みながら混ぜていき味を変えながら楽しんで下さい。」との事。

下側に黒っぽく見えるのは揚げ油、左手には赤っぽいスープも見えます。



かなり複雑な味が交差しています。

食べる前は(インド風?)(ベトナム風?)(タイ風?)なのか気になっていましたが

さすが「いっこく」(いっこく風)で攻めてきました。

この色合いはそのまま「エスニック」の味だと思ってください。



御飯がついてきます。

食べ方は色々あるでしょうが今回は最後まで残しておき、スープを御飯にかけて食べました。




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<在日中国人のブログ>東京板橋区の巨大団地、「少年時代をここで過ごした」気分になるのはなぜだろう?

2017年01月01日 | 板橋区

板橋区 高島平団地




忘年会の帰り道、私はほろ酔い気分で電車に乗った。意外なことに席が空いている。「ラッキー」と思って私は腰を下ろした。毎年この時期になると、東京の人々は帰省を始める。いつも混雑している電車の中もガラガラになって、通勤途中でも座れる日があるくらいだ。そういえば、新橋の飲食店でも同じ。いつもなら昼のピーク時は並ばなければならないが、年末になると注文までにそう時間はかからなくなる。日本のお正月シーズンは航空券が高値だし、中国のお正月シーズンに日本での仕事を休むことはできないので、もう3、4年も中国の故郷に帰って両親と一緒に新年を迎えていないことに改めて気付いた。

日本で住んでいる家のすぐ近くに、高島平団地と呼ばれる巨大な団地がある。この団地は1970年代、日本の高度経済成長期におけるモデル事業として作られた団地だ。年上の友人から教えてもらったのは「建設当時、ここには毎日のように観光客が観光バスに乗って見学に来ていた」ということ。ここに住むことは当時の若者たちにとって1つの人生の目標だったのだ。

あれからあっという間に40年余りが過ぎた。現在も団地はよく整備されていて、素朴だが住み心地の良い場所となっている。毎回、ここを通ると以前ここで生活していたような幻覚を覚える私。あの窓の向こうに私の両親の同僚たち、そして私の少年時代の友達が住んでいるような気分になるのだ。

少年時代、私は両親と5歳年上の姉と一緒に新しく建てられた政府の宿舎で暮らした。コンクリートの壁にまったく色のない、ソ連式の3階建ての建物だ。今考えると狭いし、日当たりも十分ではなかったが、中国に平屋建てが多かった80年代初頭はここに住むことに誰もが憧れを抱く時代だった。

日本の高島平団地にしても、私が少年時代を過ごした宿舎にしても、当時の住人はすでに高齢になっている。彼らの子どもたちも成人となり、親から離れてそれぞれ自分の人生目標に向かっているはずだ。

異なる国の同じような境遇。これは恐らく人類社会の変遷の軌跡であり、全ての繁栄が最後は穏やかな段階を迎えるということなのだろう。どの家にもそれぞれのストーリーがあり、登場人物の一人一人に思い出があるはずだ。「あの温かな記憶が永遠に私たちに寄り添ってくれますように」―。こんな思いが頭をよぎった私はスマートフォンを取り出してみた。開いたのは旅行サイトのページだ。どうやら、年内の中国便にはまだ空席があるらしい。

■筆者プロフィール:呂厳
4人家族の長男として文化大革命終了直前の中国江蘇省に生まれる。大学卒業まで日本と全く縁のない生活を過ごす。23歳の時に急な事情で来日し、日本の大学院を出たあと、そのまま日本企業に就職。メインはコンサルティング業だが、さまざまな業者の中国事業展開のコーディネートも行っている。1年のうち半分は中国に滞在するほど、日本と中国を行き来している。
(レコードチャイナ)

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