2011/03/19
クロアチアの反政府デモ行進の映像です。途中、日本大使館の前でデモ行進を中断しろうそくに火を灯し、日本の東北関東大震災の被災者に黙祷を捧げるシーンです。
3/12(金) 20:41産経新聞
参照記事
https://news.yahoo.co.jp/articles/5499b1fc5e6dab77943e42b271daf07810af75c7
東日本大震災から2カ月後の平成23年5月。宮城県石巻市の避難所で、「どんな顔をして被災者に会えばいいのか」と当惑した。街は空襲の跡にも例えられた荒れ果てた状態。日常のすべてを奪われ、身を寄せ合って過ごす人々から、痛切な思いを聞き取る-。背負った任務を前に、身体が一瞬、固まったことを覚えている。
「力になりたい」
3月11日。当時所属していた警視庁特科車両隊の新宿区内の庁舎で、揺れに見舞われた。即日、被災地派遣が決まった先発隊のため、食料などをバスに詰め込み、送り出した。ひと息ついたころで、テレビで被災地の惨状を目の当たりにした。日を追うごとに明らかになっていく未曽有の被害。
「何か力になりたい」。警察官を志した当初から持つ思いが、自然と湧いて出た。人命救助とは異なり、被災者の不安軽減や心のケアを企図して発足した「警視庁きずな隊」のメンバーとして、現地に入った。
当時24歳。避難所に多かった高齢者は、孫のような年齢の自分からの声かけで、せきを切ったように話し始めた。「意を決し、こちらから自己紹介をすると、あとは本当に、ワーッと」。自宅を襲った津波で顎まで水につかったこと、長年の伴侶の遺体が見つかっていないこと-。気づけば数時間が過ぎ、さっきまでの不安は、杞憂(きゆう)に終わった。
約2週間の滞在中、印象深かった出会いがある。
「夢、もう一度」
市内の避難所の共有スペースで、少女が1人、パソコンの画面を眺めていた。背中から、元気のなさが見て取れた。何気なく声をかけた。
地元の高校に通う3年生で、剣道が2段の腕前であること。将来、警視庁の警察官を目指していることを打ち明けてくれた。自身も剣道4段で話がはずみ、次のきずな隊に、採用案内の書類を持ってきてもらうようお願いした。「被災し、夢をあきらめかけていた。もう一度、頑張ります」
少女は目に涙を浮かべ、以前、母親に買ってもらったという公務員試験の参考書を見せてくれた。
力になれたのかもしれない-。少女が今、どうしているかは分からないが、「元気でいてくれれば」と願う。
変わらない姿勢
この10年で、結婚し、子供にも恵まれた。今は池袋署交通課の交通執行係として、路上駐車など交通違反の取り締まりに当たる。 被災地での経験を経て、大事にしているのは、冷静に、淡々と、相手の言葉に耳を傾けることだという。
「違反に納得がいかず、怒る方もいます。言い分は、じっくり聞くようにしています」。ただ-。
「事実に基づき、切符はしっかり切ります」と笑った。職務への実直さは、あのときと変わらない。
たなか・ひろみ 埼玉県出身。平成18年9月入庁。志村署、特科車両隊、練馬署を経て池袋署。
2013/10/12 D7130さん(作者)
東日本大震災時、道路や交通機関が軒並み被害を受けた被災地では深刻な燃料不足に見舞われた。そのとき被災者の生活、救助活動や救援物資の輸送を確保するため、ある会社が立ち上がった。
JR荷物と時には揶揄されることもあったJR貨物だった。JR貨物はJR東日本を中心に結集した
JR各社、関連する多くの会社に支えられ不眠不休で復旧・緊急石油列車運行に全力を注いだ。
「縁の下の力持ち」の言葉通り、表に立つことなく仕事を黙々とこなして、その後の復興の
足掛かりにつなげた人々がいたことを紹介したいと思います。
*何度見ても感激する場面です。
2011/03/19 Sakanersさん
クロアチアの反政府デモ行進の映像です。途中、日本大使館の前でデモ行進を中断しろうそくに火を灯し、日本の東北関東大震災の被災者に黙祷を捧げるシーンです。