黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

本は読むもの

2017年11月08日 15時10分33秒 | ファンタジー

 久しぶりに読書にいそしんだので、その辺りの事情について若干コメントしてみたい。
 この10日間で読んだのは、「アイヌ学入門」(瀬川拓郎、講談社現代新書)、「オホーツクの古代史」(菊池俊彦、平凡社新書)、「中国の神話」(白川静、中央公論社)。私がこれらの本を読む気になったのは、先日ブログに書いたように、先史人類形態学のM教授から縄文人の系譜に関し、インパクトの強い講義を受けたからだ。
 白川先生の本を手に取ったのは、中国に勃興した民族の拠りどころとなった神々たちの物語を調べることによって、民族の興亡が一定程度、想定できると思ったからだ。40年振りにその本を開くと、詳細な書き込みが最終ページまで続いていた。
「アイヌ学入門」を読んで、アイヌ民族の輝きに満ちたいにしえの歴史とその後訪れた過酷な運命、とりわけ東北地方の奥深くまで印された彼らの足跡には改めて感慨を深くした。この本には気にかかった点がいくつかある。アイヌの祭りや祓い、宗教上の用語などに和人と共通性があることについて、アイヌがそれらを和人から受け取ったと単純に解釈しているところ。両民族の文化の基底部に共通する概念、つまり縄文的なルーツを探求してみるべきなのではないか。
 また、陰陽師や修験道が蝦夷地に入り込み活発な活動を繰り広げたのは、宗教的な伝道活動のためだけだったのだろうか。この本では、金属精錬技術を持って入植した渡来人について言及しているが、その技術を習得したアイヌや和人たちの財力は想像を越えるものだったと考えると、また別の視野が開けるのではないだろうか。
「オホーツクの古代史」によると、モヨロ遺跡の担い手であったオホーツク人は現在のニヴフ人(旧くはギリヤークと呼ばれた)であり、彼らはサハリン北部やアムール川下流域を本拠地とし、遠くは千島列島、奥尻や佐渡にまで、活動の形跡を残しているという。まさに彼らは北方狩猟民の雄だった。アイヌは彼らから生業や文化的な影響を受けたとされるが、勢力争いも激烈だったようだ。アイヌはニヴフを追って大陸まで攻め込み、元軍と幾度も衝突した記録さえある。元との戦いを回避した和人の武士より、彼らの方が明らかに強かった。
 別の本によれば、アイヌはニヴフから、熊送りの習俗を学んだとされる。私見にすぎないが、両者は飼い熊を儀礼に用いる点では同じだが、儀式の細部はそれほど似ていないと思われる。一例をあげると、初日の室内での祭礼において、上座に置かれる熊の姿がまったく異なる。アイヌは皮をたたんでその上に装飾された頭蓋を載せるが、ニヴフは高く組み上げたやぐらの天辺に、皮をつけたままの頭蓋を安置する。頭蓋から垂れ下がってやぐらを覆う皮は光輝き、生きていたときよりいや増して神々しい姿なのだ。その熊の姿形が甲骨文の竜字に通じるであろうことは、私の「龍」の物語に詳細に記述した。殷という国は、シベリアの北方に住していた種族の南下によって建てられたとも言われている。確かに白川先生らが指摘するように、殷人には、北方から中原に侵入した騎馬民族の風貌が感じられる。
 今週、日本古代史の講義を受けに行く予定なので、急ぎ、山尾幸久先生の「古代の近江」を読み出したところ。300ページもの学術論文に、最近得意になった斜め読みが通用するかどうか。こういう本はゆっくり読みたい気もする、ピアスの「トム」や、カミュの「最初の人間」のように。(2017.11.8)

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