黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

泣ける映画

2014年09月09日 16時34分12秒 | ファンタジー

 高畑監督のアニメ「火垂るの墓」を思い出すと、ただでさえ感情が高ぶりやすい性格の私としては、どこまで冷静にこのブログを書けるか自信がまったく持てない。このアニメは一九八八年公開とあるので、その翌年か翌々年、職場の方から勧められて、ビデオを借りて観た。野坂昭如の原作をずいぶん前に立ち読みしたことはあるが、彼のごてごてと泥臭い作品の中では地味だったためか、読後の印象はほとんどない。
 ところがアニメの内容は想定していたものとまったく違い、鮮烈だった。戦争が激しくなるころ、二人の幼い兄妹は親戚の家を出て、食い物も事欠く生活を送る。兄は、次第に体力が衰えていく小さな妹を思い、盗みまでするようになる。私は辛くなって、画面から目をそむけ一息入れようと思う。しかしできない。けなげな妹への兄の気持ちがひしひしと痛いほど伝わってきて、嗚咽が始まる。もう止められない。こういう悲惨を目の当たりにすると、五官によって得られるものが解釈不能になるのだろう、たいがいの場合、言葉の前に感情が先行して出てきてしまう。
 原作者自身、亡くした妹に対し自分はこんなに優しくなかったと述懐しているという。高畑アニメを観て、やっと過去を正視できるようになったとも言っている。このように、自身の思いを言い尽くせないことや、思っていても言えないことはよくあることだ。ヒトには言葉が先天的に身についているという学説があるが、本物の言葉とは、文化という土壌の中で、長い年月かけて深く豊かに醸成されるものだと思う。
 蛇足だが、文化ヒトの端くれとしては、大勢に迎合して思ってもいないことをしゃべったり、意図的に言葉を正しく使わなかったりすることは、できる限り差し控えようと自らに言い聞かせている。(2014.9.9)




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