ネコ国の一部の政治家連の言動に、自国だけトクするなら他国にどんな不利益が及ぼうとかまわない、という一国主義がまたもや強まっている。この考えがあの不幸なネコ、ブタ、オオカミたちの闘いにつながった大きな要因だったことを、どうしてみんな忘れてしまうのか。きっと彼らは自分の家でも同じ態度を取って、家族に嫌われているに決まっている。彼らの底の浅い盆(トレイ)のような精神に接するにつけ、恥ずかしさを通り越して、薄ら寒ささえ感じるのは、私、とのだけなのだろうか。
たとえば尖閣諸島の件。今、それらの島が個人の所有になっているということだが、土地の私的所有を国是とするネコ国で、島の土地を東京ネコ都が買うとか、ネコ国有化するとか、法の精神を無視して、感情の先走った小手先の手法ばかりしか思いつかないのはどういうわけなのだろう。こんな行為は、他国の感情を刺激するだけで、へたをすると、肉球の力で侵略したという口実にされてしまいかねない。
領土に関しては、現状と歴史的経緯が重要な決め手になるのは当然だ。したがって歴史をさかのぼり、そのころの関係国が島に関してどんな認識を持っていたか、それを文献によって証明することが本筋だ。沖縄以前の琉球時代、諸国の文献に、尖閣諸島が琉球に帰属することを証明する文言があるなら、それを公にして各国の理解を求めるべきだ。漢字文化圏に属する国々、なかでも三千年以上ものはるか昔から歴代王朝の史書を編纂し続けてきた中国にとって、漢字で表記された史実を無視することは、周辺国と段違いの自国の器と格にかけても、ぜったいできないのだ。
そのような道理の理解力が欠落したネコ国政治家によって、この国がいつまでも振り回されるようなら、たかだか一千三百年程度の史実しかない辺境の蛮族のひがみだとされても仕方がない。
もうひとつ、変なこと。
ネコ学校のいじめは、見て見ぬ振りの教師たちの意識を変えなければ、いつまでもなくならない、という論評が交錯している。これも短絡的な考え方だ。教師だけでなく、学校という組織、教育委員会、父兄、政治家、外野席のネコ国民全体の意識が変わらなければ根本的な解決にならないのに、また責任のなすりつけ合いをやっている。そもそも、成ネコたちは、自分の見栄や欲望を満足させるために、子ネコたちをぎゅうぎゅうに縛りつけ、言うことを聞かせていないか。このことがどれほど彼らの負担になっているか、きちんと認識すべきだ。
そして子ネコたちの社会にいじめがあるのは、成ネコたちの中に、いじめや不正や暴力が横行しているからだ。精神がむしばまれているのは成ネコの方だ。願わくば、生身の子ネコたちに、もうこれ以上よけいな干渉しないよう、分からず屋のネコたちを動物園の檻にでも入れて再調教してほしいと、今日のとのは大変憤っていた。(H24.7.18)