BIN山本の『映画にも程がある』

好きな古本との出会いと別れのエピソード、映画やテレビ、社会一般への痛烈なかくかくしかじか・・・

産 婆

2010年02月05日 | 時と事
 雪が多くて深く、寒い占冠村は、4日にあっさりと今年の最低気温を記録更新した。
氷点下34,4度になった。落語などでよく「言葉を発した瞬間に凍ってしまう」と
あるが、それは本当だ。つまり言葉すら発することが出来ないという例えでだ。
 そこでアタシは占冠のある想いに巡りつく。

 その人が村の村長だったことは、歴代村長一覧で調べても確認できた。
1967年から1977年までの10年間で、多分3期目の任期なかば、病に倒れてあ
っけなく逝った。村長選挙があって当選したのかどうか、そこまでの記憶はアタシには
ない。ただ相手が誰であれ、当選したのには違いない。なんしろ当時約3千人の村民
のほとんどが、その人の奥さんの世話になっていたからだ。つまりその人の奥さんは
産婆(助産師)さんで、その村で生れてくる命の大多数に係わっていた。その村で唯一
の助産師さんは、時に看護婦さんであり、保健婦さんであり医者でもあっただろう。
村人の健康や生活相談にもハキハキとした物言いで行動し、頼られ信頼されていた。
勿論村長本人も人格ある知識人で、豪快な話しぶりを憶えている。
 90歳を越えたチヨ叔母さんは、晩年を隣町の富良野市の息子の元にに移り住んだ。
だが昨年末、正月を目前にして力尽きた。ことしの寒さには耐えられないかのように。
 占冠村の村長だった小川 一男さんと、見事な生きっぷりの産婆だった小川 チヨさん
をアタシは忘れない。