帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

新・帯とけの「伊勢物語」 (十八)  なま心ある女ありけり

2016-05-04 16:44:03 | 古典

             



                         帯とけの「伊勢物語」



  紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観で、在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を読み直しています。歌を中心にした物語なので、歌の真髄に触れれば、物語の「心におかしきところ」も、今の人々の心に伝わるはずである。


 

 伊勢物語(十八) なま心ある女ありけり

 

 昔、なま心ある(生半可に歌心ある…生な心が表出する)女がいたのだった。男(夫)、ちかうありけり(近所に住んでいた…近くの他の女の許に居たのだった)。女は歌を詠む人だったので、夫の・心みむ(心ためそう…心の奥を見よう)として、菊の花のうつろへる(盛り過ぎた女花…盛り過ぎた女)を、おりて(折って…へし折って)、夫の許へ、遣る(使いに届けさせる)。

 紅ににほふはいづら白雪の 枝もとをゝにふるかとも見ゆ

(紅に色づいているのは・どこの秋の草花? 雪が枝もたわむほ降るかと見える・秋なのに……いまだ果てず・暮れない色しているのは・どこの女、おとこ白ゆきが、身の枝もたわわに降っているのかと見える)

 男、しらずよみによみける(女の歌の生な嫉妬心を・知らぬふりして詠み返した)、

 紅ににほふが上のしらぎくは おりける人のそでかとも見ゆ

 (紅に色づく上々の白菊は、折った人の、別れに振る・袖かとも見える……はてることなく匂う色香の上の・紅色のおんなの白いものは、わがものを折った女の身の端かとも、見えるよ)


 
 
「言の心」を心得え「言の戯れ」を知る

 「菊の花…秋の草花…女花…長寿な花(桜などとは比べようもなく長い)…散る前に白菊は薄紅色になるという」「うつろへる…移ろえる…衰える…色香が変化する…(女花の)色艶衰える…盛り過ぎる」「おりて…折って…(他の女に見たて)へし折って」。

「紅ににほふ…紅色に染まる…紅潮している…薄紅色に色づく…暮れないで色づく」「白雪…白逝き…白ゆき…男の情念」「枝…身の枝…おとこ」「見ゆ…見える…思える…みている」「見…覯…合…まぐあい」。

「紅ににほふ…紅色に染まる…乙女のしるしに染まる」「紅…紅色…鮮血色」「折りける人…(菊を)へし折った女…(わが身の枝を)逝かせた今の女」「そで…袖…別れに振るもの…端…身の端…おんな」。

「しらずよみ…知らず読み…心にをかしきところや深い心を知らずに歌の姿だけを読むこと。知らずにそうするのは幼いか、言うかいのない者。わざと本意を外して読むのは詠み人に対するからかいや侮辱である」「よみける…読んだ…詠んだ…詠み返したことよ」。

 

この時代の世の中は、数人の妻を持つのが普通だったので、嫉妬心や独占欲をむき出しにして、他の妻との関係をうまく保てない女は、男にとってまことに困った人なのである。別れの原因となる。

 「歌論」や「言語観」の他に「倫理観」も違うので、浮気する男が悪い、不倫する男が悪い、それを容認するのは許せないなどと、今の人々よ、きめつけないでください。この時代、女の品を定めれば、他の妻を侮辱したり罵倒する行動は最悪なのである。