帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

新・帯とけの「伊勢物語」 (三十七)  色ごのみなりける女にあへりけり

2016-05-23 19:18:57 | 古典

             



                         帯とけの「伊勢物語」

 

紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観で、在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を読み直しています。

公任より、「深い心」と「清げな姿」と「心におかしきところ」があるという、歌の表現様式を学んだ。歌言葉には、貫之のいう言の心(その文脈でのみ通用していた意味)があったことを、また、清少納言からは、そもそも我々の言葉は、聞き耳異なるもの(聞く人の耳によって意味の異なるもの)であるという超近代的言語観を学んだ。また、俊成は、歌言葉は「浮言綺語」のように戯れて多様な意味があり、そこに歌の深い趣旨が顕れると言った。以上のようなことを心得て和歌を聞く。


 

伊勢物語(三十七)色ごのみなりける女にあへりけり

 

むかしおとこ(昔、男…武樫おとこ)、色ごのみなりける(好色だった…色事好んだ)女に、あへりけり(出合ったことがあった…身を合わせたことがあった)、うしろめたくや思ひけむ(男は・気がかりだったのだろうか…気がとがめたのだろうか)、

我ならで下紐とくな朝顔の 夕かげ待たぬ花にはありとも

(我でないのに、下紐解くなよ、あなたは・朝顔のように、夕方の吾が影待てぬ、花ではあっても……我でないのに、下ひも解くなよ、我が・浅彼おが、果て方の待てない、おとこ花であっても)

返し、

二人して結びし紐を一人して あひ見るまでは解かじとぞ思ふ

 (二人して結んだ絆よ、一人では、相見るまでは、解かないと思うわ……二人して結んだ身の端を、一人では、また・合い見るまでは、解き離さないぞ、と思っているわ)


 

貫之のいう「言の心」を心得、俊成のいう「言の戯れ」を知る

 「下ひも…衣の下紐…身の下のお」「ひも…紐…緒…お…おとこ」「あさがほ…朝顔…夕方待てず昼には萎む花…浅彼お…浅はかなおとこ(この浅はかさを男はうしろめたいと思う)」「花…草花…言の心は女…木の花…おとこ花」「むすびし…契りを結んだ…身の端結んだ」「あひ見る…相見る…対面する…和合する」「見…覯…媾…まぐあい」。

 

この章、女性の当然の欲求に応えらえない、はかない、おとこの性(さが)を、男が「うしろめたく思う…心配する…気がひける…気がとがめる」話である。

 

女歌の本歌は万葉集 巻第十二 「正述心緒」にある。

二為而 結之紐乎 一為而 吾者解不見 直相及者

(二人して、結んだ絆を、一人して、わたしは解こうと思わない、君に・直に逢うまでは……二度、為して結ぶおとこを、一度、為しては、わたしは解かないぞと思う、直なる、貴身に・二たび相合うまでは)

 

 「二…二人…二度…二回」「紐…愛の絆…緒…おとこ」「を…対象を示す…感嘆を表す…お…おとこ」「解不見…解き見じ…解こうと思わない…解かず見る」「見る…思う」「見…覯…媾…まぐあい」「相…逢う…相合…和合」「直…じか…直接…直立」。 

 

女は正直に心緒を述べている。色好み歌の見本のような歌。「伊勢物語」の作者は、意識して「本歌」の意味も、女の返歌に込めたのである。


(2016・5月、旧稿を全面改定しました)