帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

新・帯とけの「伊勢物語」 (二十六)  もろこし船の寄りしばかりに

2016-05-12 19:03:36 | 古典

             



                         帯とけの「伊勢物語」



 紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って、在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を読み直しています。

「いせの物語」は、女と男の心と身を、とり繕うことなく語ってある。その生々しさは、言葉の戯れを利用し「清げな姿」に包まれてある。清少納言が「包まなければならない」と認識した、和歌の表現様式と同じである。


 

伊勢物語(二十六) もろこし船の寄りしばかりに

 

 昔、男、五条わたりなりける(五条辺りにいた…強情だった)女を、得られなくなったことよと、わびたりける人の返りごとに(嘆きを言い伝えた友人の返事に)・あった歌。

 おもほえず袖に港の騒ぐかな  もろこしふねの寄りしばかりに

 (思いもしなかったよ、別れに振る・袖に、港は騒いでいるなあ、大海原渡って・もろこし船が寄港したとき程に……思いがけない、君の・身の端に、みな門が騒ぐのだなあ、おうな腹わたる・大きな夫根が、寄って来ただけでよ)


 

「言の心」を心得え「言の戯れ」を知る

 「五条わたりなりける女…行き通えない所に隠れたひと…来る勿れと裏切ったひと…五条の后の姪…太政大臣藤原忠房の姪…藤原基経の妹」「人…他人…友人…男が成りすました人」「袖…歓迎や別れに振るもの…身のそで…おとこ」「みなと…湊…水門…おんな」「かな…感嘆・詠嘆の意を表す」「もろこし舟…唐船…大海原渡る大船…大夫根…をうな腹をわたる大おとこ」「よりし…寄港した…言い寄った…身を寄せた」「ばかりに…その程度で…それだけの理由で」。

 

この男、第四章~六章にある「東の五条辺り」にいた女に、いと忍びてに通っていたとき、裏切られた恨みは消えないようである。貶したり、腐したくなる表現となって、時々、噴出する。

おのれのおとこの特長というか、過ぎたるは及ばざるが如きありさまを、他人が詠んだ歌にして、自嘲的に心におかしく、女が逃げた原因は、それだよなと表現した。自作の歌を自分に言って遣ったのである。

「土佐日記」の登場人物の歌のほとんどは、貫之作である。「源氏物語」の登場人物の歌は、すべて紫式部が、他人の人格に成りすまして歌を詠んだのである。「伊勢物語」の作者が、その先駆者であっても不思議ではない。


 (2016・5月、旧稿を全面改定しました)。