帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第九 雑上 (三百九十二)(三百九十三)

2015-09-12 00:12:36 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

平安時代の「拾遺抄」の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って読む。今の国文学的な和歌解釈の方法は棚上げしておく。やがて、平安時代にはあり得ない奇妙な方法であることに気付くだろう。


 

拾遺抄 巻第九 雑上 百二首

 

中納言敦忠まかりかくれてのち、ひえの西坂下の山庄に人人まかりて

はな見侍りけるに                   一条摂政

三百九十二   いにしへはちるをや人のいとひけん いまははなこそむかしこふらし

中納言敦忠、亡くなられた後、比叡の西坂下の、敦忠の・山荘に人々・女達も、やって来て花見した時に (一条摂政・藤原伊尹・敦忠は父の従兄弟にあたる人・風流人で若くして亡くなった)

(古くは、散るのを人々が嫌っただろうか、今は、花の方が、あの人の居た・昔を恋しがっているにちがいない……逝きし辺は、散るのを、女が厭うただろう、井間は、お花の武樫を恋うからに違いないなあ)

 

言の戯れと言の心

ちる…散る…花が散る…果てる…亡くなる」「を…対象を表す…お…男…おとこ」「や…疑いの意を表す…詠嘆の意を表す」「人…人々…男…女」「いとひけん…厭いけむ…避けただろう…嫌がっただろう」「いま…今…井間…おんな」「はな…花…木の花は男花…おとこ花」「むかし…昔…武樫…強く堅い」「こふ…恋う…乞う」「らし…確実な推定の意を表す…にちがいない」

 

歌の清げな姿は、故中納言敦忠を哀悼する歌。拾遺集では巻第二十「哀傷」に置かれてある。

心におかしきところは、女達よ、ゐまこそ、武樫を、こふに違いないだろう。

 

 

さくらの花さきて侍りけるころに、もろともに侍りける人の後の春

ほかに侍りけるに、そのはなををりてつかはしける   読人不知

三百九十三   もろともにをりし春のみ恋しくて ひとりみまうき花にもあるかな

桜の花咲いていた頃に、一緒だった男が後の年の春、他所に居たので、その花を折って遣わした (よみ人知らず・女の歌として聞く)

(諸共に居た春のみ恋しくて、独り見ている間、憂き花であることよ……君と共に折った春の情だけが恋しくて、独り見る間には、つらく、うらめしい花であることよ)

 

言の戯れと言の心

「もろともに…諸共に…全て一緒に」「をりし…居た…(髪挿し用に)折った…ものが逝った」「春…(去年の)春…(あの頃の)春情…張るもの」「みまうき…見間憂き…見物している時間の憂鬱な…見るおんながつらくうらめしい…見る間浮き浮き」「見…花見…覯…媾…まぐあい」「ま…間…時間…おんな」「うき…憂き…辛くてくるしい…浮き…心浮き浮きする」「花…桜花…木の花…男花…おとこの花」「かな…感嘆・感動・詠嘆の意を表す」

 

歌の清げな姿は、他の女の許へ去った男へ未練ありそうでなさそうな折枝の贈り物。

心におかしきところは、張るの身恋しい独りの間が、浮き浮きする、お花だことよ。

 

 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。


 

和歌解釈の変遷について述べる(再掲)


 江戸時代の国学から始まる国文学的な古典和歌解釈は、平安時代の歌論や言語観から遠く離れてしまった。

和歌は複数の意味を孕むやっかいな言葉を逆手にとって、歌に複数の意味を持たせる高度な文芸のようである。視覚・聴覚に感じる景色や物などに、寄せて(又は付けて)、景色や物の様なども、官能的な気色も、人の深い心根も、同時に表現する。エロチシズムのある様式のようである。万葉集の人麻呂、赤人の歌は、明らかに、この様式で詠まれてある。

歌は世につれ変化する。古今集編纂前には「色好み歌」と化したという。「心におかしきところ」のエロス(性愛・生の本能)の妖艶なだけの歌に堕落していた。これを以て、乞食の旅人は生計の糧としたという。歌は門付け芸と化したのである。歌は「色好みの家に埋もれ木」となったという。そこから歌を救ったのは、紀貫之ら古今集撰者たちである。人麻呂、赤人の歌を希求し、古今集を編纂し、歌を詠んだ。平安時代を通じて、その古今和歌集が歌の本となった。三百年程経って新古今集が編纂された後、戦国時代を経て、再び歌は「歌の家に埋もれ木」となり、一子相伝の秘伝となったのである。

江戸時代の賢人達は、その「秘伝」を切り捨てた。伝授の切れ端からは何も得られないから当然であるが、同時に「貫之・公任の歌論や、清少納言や俊成の言語観」をも無視した。彼らの歌論と言語観は全く別の文脈にあったので曲解したためである。それを受け継いだ国文学の和歌の解釈方法は、序詞、掛詞、縁語などを修辞にして歌は成り立っていたとする。それが、今の世に蔓延ってしまった(高校生の用いる古語辞典などを垣間見れば明らかである)。平安時代の人が聞けば、奇妙な解釈に、笑いだすことだろう。

公任の云う「心におかしきところ」と「浮言綺語の戯れ似た戯れの内に顕れる」と俊成の云う事柄と共に、和歌のほんとうの意味は、埋もれ木のままなのである。和歌こそは、わが国特有の、まさに、文化遺産であるものを。