帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第九 雑上 (三百八十四)(三百八十五)

2015-09-08 00:09:10 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

平安時代の「拾遺抄」の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って読む。

 

拾遺抄 巻第九 雑上 百二首

 
                    
天暦御時に大盤所のまへのつぼにうぐひすを紅梅の枝につくりて
          
すゑてたてたりけるを見侍りて           一条摂政

三百八十四 花の色はあかず見ゆともうぐひすの ねぐらの枝にてななふれそも
           
村上天皇の天暦の御時に、台盤所(女達の詰所)の前の花壺に、作り鶯を紅梅の枝に付けて据え置いたのを見て (一条摂政・藤原伊尹)

(花の色は飽きることなく見えるとも、鶯の巣の枝に、手を触れてはならぬぞ……この男花の色艶は、飽きることなく見ていても、浮く秀すという女の寝ぐらの、小枝に手を触れるな、だめだぞ・女ども)

 

言の戯れと言の心

「花…紅梅…男木の花…おとこ花」「色…色艶…色香…色情」「あかず…飽かず…厭きず…見捨てることなく…尽きることなく」「見ゆ…見える…見ている)「見…覯…まぐあい」「うぐひす…鶯…春の鳥…鳥の言の心は女…春を告げる女…浮くひす…浮く漬す…受く秀すもの」「ねぐら…巣…寝ぐら…寝床」「枝…おとこ花の木の枝…男の身の枝…おとこ」「な…禁止する意を表す…汝…親しき物」「なふれそも…触れること禁止だよ」

 

歌の清げな姿は、紅梅観賞歓迎、鶯の巣の小枝に手触れ禁止。

心におかしきところは、浮くひすと春を告げさせる物に、手を触れるなよ・羨ましいだろうがな。

 

 

康保三年二月廿一日、梅のはなのもとに御扆子たてさせたまひて

宴せさせ給ひけるに、殿上のをのこども和かつかまつりけるに

   源のひろのぶ

百八十五 をりて見るかひも有るかな梅のはな いまここのへのにほひまさりて

村上御時・康保三年(966)二月廿一日、梅の花の許に御椅子を据えられて宴をなさった時に、殿上の男達が和歌を奉ったので(源寛信・四位左京大夫)

(折って観賞する価値があるなあ、梅の花、今、九重の・宮中の、香気、増しているようだ……折り逝って見る、貝も有るかなあ、井間、ここの辺の・九重の、色艶、香気、増しているようなので)

 

言の戯れと言の心

「をり…折り…逝き」「見…見物…覯…まぐあい」「かひ…甲斐…値打ち…効果…貝…言の心は女」「梅のはな…木の花…男花…おとこ花」「いま…今…井間…「ここのへ…九重…三重でも愛でたいのに七重八重の上…此処の辺」「にほひ…色艶の美しさ…匂いの香ばしさ…風情・気品」「まさり…増さり…優さり…勝さり」「て…状態を表す…原因理由を表す」

 

歌の清げな姿は、梅花、香気・気品が宮中に一段と増している。

心におかしきところは、折って見る女もいるかなあ、いま、九つ重ねの魅力、優って居るので。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。

 

 

和歌解釈の変遷について述べる(再掲)


 江戸時代の国学から始まる国文学的な古典和歌解釈は、平安時代の歌論や言語観から遠く離れてしまった。

和歌は複数の意味を孕むやっかいな言葉を逆手にとって、歌に複数の意味を持たせる高度な文芸のようである。視覚・聴覚に感じる景色や物などに、寄せて(又は付けて)、景色や物の様なども、官能的な気色も、人の深い心根も、同時に表現する。エロチシズムのある様式のようである。万葉集の人麻呂、赤人の歌は、明らかに、この様式で詠まれてある。

歌は世につれ変化する。古今集編纂前には「色好み歌」と化したという。「心におかしきところ」のエロス(性愛・生の本能)の妖艶なだけの歌に堕落していた。これを以て、乞食の旅人は生計の糧としたという。歌は門付け芸と化したのである。歌は「色好みの家に埋もれ木」となったという。そこから歌を救ったのは、紀貫之ら古今集撰者たちである。人麻呂、赤人の歌を希求し、古今集を編纂し、歌を詠んだ。平安時代を通じて、その古今和歌集が歌の本となった。三百年程経って新古今集が編纂された後、戦国時代を経て、再び歌は「歌の家に埋もれ木」となり、一子相伝の秘伝となったのである。

江戸時代の賢人達は、その「秘伝」を切り捨てた。伝授の切れ端からは何も得られないから当然であるが、同時に「貫之・公任の歌論や、清少納言や俊成の言語観」をも無視した。彼らの歌論と言語観は全く別の文脈にあったので曲解したためである。それを受け継いだ国文学の和歌の解釈方法は、序詞、掛詞、縁語などを修辞にして歌は成り立っていたとする。それが、今の世に蔓延ってしまった(高校生の用いる古語辞典などを垣間見れば明らかである)。平安時代の人が聞けば、奇妙な解釈に、笑いだすことだろう。

公任の云う「心におかしきところ」と「浮言綺語の戯れ似た戯れの内に顕れる」と俊成の云う事柄と共に、和歌のほんとうの意味は、埋もれ木のままなのである。和歌こそは、わが国特有の、まさに、文化遺産であるもを。