帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第三 秋 (百三十三)

2015-04-04 00:31:02 | 古典

        


 

                     帯とけの拾遺抄



 藤原公任『新撰髄脳』の優れた歌の定義「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って拾遺抄の歌を紐解いている。

江戸時代以来の和歌の解釈は、紀貫之・藤原公任・清少納言・藤原俊成らの、平安時代の歌論や言語観を無視して、独自の解釈方法を構築した。歌を字義通りに聞き、言の戯れは、序詞、掛詞、縁語などと名付けて、和歌はそのような修辞で巧みに表現されてあるという。

このような解き方が定着すれば、平安時代の歌論や言語観を無視するか曲解するしかない。これは本末転倒である。近世以来の学問的解釈方法の方を棄てたのである。


 

拾遺抄 巻第三 秋 四十九首

 

くれのあき源重之がせうそくし侍りけるかへり事に             兼盛

百三十三 くれて行くあきのかたみにおくものは  わがもとゆひのしもにぞ有りける

暮の秋、源重之が消息をたずねた返事に                  平兼盛

(暮れて行く秋が、形見に、遺し置くものは、我が髪の元結の霜ふりだったよ……果てて逝く飽きの、思い出のよすがとなる・形見に、妻へ・遺し置く物は、わがもと結ひの、下・肢毛、だよ)

 

歌の清げな姿は、白髪まじりの我が元結が形見という。

 心におかしきところは、飽き満ち足り時のわが白きしもが、妻への形見という。


 兼盛の辞世の歌かもしれない。暮れゆくあきの歌、秋歌の巻末に相応しい。

 

歌言葉の言の心と言の戯れ

「くれて行く…暮れてゆく…晩秋になる…果てて逝く」「かたみ…形見…遺品…片見…不満の残るまぐあい」「おく…(霜が)降りる…(形見に)遺し置く…(妻に)贈り置く…(この世に)残し置く」「もとゆひ…元結ひ…髪を束ねたところ…本結ひ…下結ひ…身の下結び…身の下かさね…みとのまぐあひ」「しも…霜…白いもの…白髪…下…肢・毛…おとこ・毛」「ける…けり…気付き・詠嘆の意を表す」。いつものことながら、汚げな説明になってしまった。


 

紫式部は「結びつる心も深きもと結ひ」と表現する。これで、誰でも何を意味するかわかる。この人こそ、如何なる情況でも紫の濃き色の褪せない人である。この人を「紫の上」とあだ名で呼んだのは公任である。「紫…高貴な色…上品な色…澄んだ色」の「上…女の尊称」。

 

清少納言は何と表現したかなと、枕草子を俗にいうアナログにて検索しているとあった。「下がさね」と直感した。

したがさねは、冬はつつじ、さくら、かいねりがさね、すはうがさね。夏はふたあゐ、しらがさね。(二六五段

(男の衣・下襲は、冬の色目は、つつじ、さくら、搔練襲、蘇芳襲。夏の色目は、二藍、白襲……男の下襲い・下重ねは、冬は十とき、放くら、搔練り重ね、す這う重ね。夏は二合い、白重ね)


 「つつ…十」「じ…時…とき」「さくら…咲く状態…放く情態」「ら…状態を表す」「搔…おしやる・かきまわす」「練…ゆっくりゆく」「かさね…重ね…繰り返し…合体…重ね寝」「す…洲…女」「あゐ…あひ…合い…合体…和合」「白…おとこの果ての色」

 

したがさね(下襲)は、束帯のとき下に着る後ろに長く据をひきずった衣。季節などより色目(表と裏の色の配合)は、ほぼ決まっていて、名が付いていた。それを羅列したのが、この文の清げな姿である。表現様式は歌と同じで、その戯れに趣旨が顕れる。

名は戯れ、その意味による「心におかしきところ」こそ、この文のほんとうの意味である。「下重ねは、冬は一夜に十とき、放く情態、搔練りかさね、す這うかさね。夏は暑いので、二合い、白らかさね」。

清少納言周辺の女達は読んで笑っただろう。紫式部は「得意顔して、いみじう侍る(とってもお上手ですこと…ひどい侍りざまだこと)」と批判するだろう。


 

これにて、「拾遺抄」巻三秋は終り。江戸時代の国学以来の学問的解釈が見捨ててしまった、和歌の「心におかしきところ」を求めて、搔練り歩みは続ける。わが国の和歌を中心にした古典文芸は、人の奥深い心をも表現しているのに、今、人々に見えているのは氷山の一角の清げな姿のみである。

 


 『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。