帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第五 賀 (百七十)(百七十一)

2015-04-27 00:09:50 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任『新撰髄脳』の優れた歌の定義「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って『拾遺抄』の歌を紐解いている。

もとより和歌は秘事となるような裏の意味を孕んでいた。鎌倉時代に歌の家に埋も木となって戦国時代を経て秘伝となり江戸時代には朽ち果てていたのだろう。歌言葉の戯れの中に顕れる「心におかしきところ」が蘇えれば、秘事伝授などに関わりなく、和歌の真髄に触れることができる。


 

拾遺抄 巻第五 賀 五十一首

 

三善佐忠がかうぶりし侍るに                  能宣

百七十  ゆひそむるはつもとゆいのこむらさき  ころものうらにうつれとぞ思ふ

三善佐忠が初冠するときに                  (大中臣能宣)

 (結び始める初元結の濃紫・紐の色、衣の裏に色移りせよと思う・青や緋の衣にとどまるな……身を・結び初める、初もと結びの清く澄んだ恋色、心身の心に移れとぞ思う・初心忘るべからず)

 

言の心と言の戯れ

「ゆひそむる…結び初める…身を結び初める」「はつもとゆい…初元結…初めて結ぶもとどりの紐…初めて結ぶ身」「こむらさき…濃紫…高貴な衣の色…衣の色は位を表す、青は六位、緋は五位、紫はそれ以上の位」「ころも…衣…心身を被うもの…心身の換喩…身と心」「うら…裏…心」「うつれとぞ思ふ…(色)移りせよと思う…(位の高い人に)成れと思う…澄んだ初心忘れるなと思う」

 

歌の清げな姿は、将来は濃紫の衣をと思いやる心。

心におかしきところは、初の契りを結んだときの澄んだ恋色に心を染めておけと思いやるところ。


 

歌言葉には字義とは別の意味がある。それを心得るのは、やはり歌からである。

伊勢物語(四十一)

むかし、姉妹がいた。一人は賤しく貧しい男を、一人は高貴な男を夫に持っていた。いやしい男を持った方が、夫の衣を洗い張りしていて、破れてしまった。どうしょうもなく、ただ泣きに泣いていると、高貴な男が聞いて、心苦しかったので、新しい青の上着を求めてきて遣ると言って、

むらさきの色濃き時はめもはるに 野なる草木ぞわかれざりける

(紫草の色濃きときは、芽も張るので・根も張るので、野にある草木ぞ、一面緑で・分けられないなあ……澄んだ心の女、色濃きときは、めも春・おも張る、下野の男と女ぞ、それくらいの事で・別れはしないよ)


  色好みな男が、我が妻との絆により、妻の妹を澄んだ心で、下心なく物心両面で助け慰めたお話だろう。

「聞き耳異なるもの、男の言葉、女の言葉」と清少納言は言う。「歌言葉は、浮言綺語の戯れに似たれども、ことの深き旨も顕れる」と藤原俊成はいう。「紫…色の名…澄んだ心色」「め…芽…女」「はる…春…張る」「草…女」「木…男」と心得て、ほぼ間違いないだろう。


         
        
天暦のみかど四十にならせ給ひけるとし山しな寺に金泥寿命経四十巻をかの寺

にかき供養して御巻数をそへたてまつらせたりけるに、すはまをつくりてつる

をたてて御巻数くはせたりけり、その洲浜のだいのしきもののあしでにあまた

の歌をかけりける中に                      兼盛

百七十一  山しなの山のいはねに松をうゑて ときはかきはにいのりをぞする

   天暦の帝、四十におなりになられた年、山階寺に金泥寿命経四十巻を書き供養して、御巻数を添えられたので、洲浜をつくり鶴を立てて御巻数をくわえさせた。その洲浜の台の敷物に、葦手に書かれた多くの歌があった中に  兼盛

(山階の山の岩根に、長寿の・松を植えて、身は・常に盤石堅牢にとお祈りをする……山の階段の山ばの岩の峰に、久しき女、お、植えて、永久不変堅固なままに、井乗りぞする)

 

言の心と言の戯れ

「山しな…山階…所の名…名は戯れる。山品、山がつ程のおの品格、山の階段」「山…山ば」「いはね…岩根…岩峰…岩山の頂上」「松…長寿…久しい…言の心は女」「を…対象を示す…お…おとこ」「うゑて…植えて…植付けて」「ときはかきは…常磐堅盤…永久不変堅牢堅固」「いのり…祈り…井乗り」「井…言の心は女」「を…お」「ぞ…強く指示する」「する…為す…擦る」

 

歌の清げな姿は、写経して経供養し長寿の御祈りする御姿。

心におかしきところは、ものの峰で常磐堅固なものが井乗り擦るというところ。

 

歌は、水の流れや葦の葉の線描に似せたひらがなで書かれてあった。判読の容易でない遊戯的な書体は歌の裏の内容に相応しい。さて、村上の帝、この歌をお読みになられ、兼盛を睨みつけ、お怒りになられただろうか、心よりお笑いになられたと思うが如何。「心におかしきところ」が有ってこそ優れた歌である。人の心を和ませるのが和歌である。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。