帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第三 冬 (百四十二)(百四十三)

2015-04-10 00:22:52 | 古典

        


 

                     帯とけの拾遺抄



 藤原公任『新撰髄脳』の優れた歌の定義「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って『拾遺抄』の歌を紐解いている。

近世以来の学問的解釈によって見捨てられてしまった歌の「心におかしきところ」が蘇えるだろう。和歌を中心にした古典文芸は、人の「奥深い心」をも表現しているのに、今、人々に見えているのは氷山の一角、「清げな姿」のみである。


 

拾遺抄 巻第四 冬 三十首

 

一条のおほいまうちぎみの家の障子に               元輔

百四十二 たかさごの松にすむつる冬くれば  おのへのしもやおきまさるらむ

一条の太政大臣(藤原伊尹・謙徳公)の家の障子に          (清原元輔・清少納言の父)

(高砂の松に住む・澄む、鶴、冬くれば、尾の上の霜やおき、汚れなき白さ・増さるだろう……高砂の山ば待つ女に、済んでしまう終り来れば、峰の上の、しも、おき、増さるだろうか)

 

言の心と言の戯れ

「たかさごの…枕詞」「たかさご…高砂…地名…名は戯れる。洲、高い砂山、砂上の峰」「松…待つ…言の心は女」「すむ…住む…澄む…汚れなきさま…済む」「つる…鶴…鳥の言の心は女…完了を表す…してしまう…し終える」「冬…四季の終わり…ものの終わり」「おのへ…をのへ…尾の上…峰の上…絶頂」「しもや…霜や…白ゆきや…身の下や」「や…疑いを表す…しもを詠嘆的に強調する」「おき…置き…(霜など)降り…沖…奥…言の心は女」「まさる…増さる…白さ増さる…清さ増さる…澄みわたる…心地増さる」「らむ…現在の事実について想像・推量する意を表す」

 

歌の清げな姿は、高砂の松に鶴の冬景色。

心におかしきところは、砂上の峰の上の女、こと済み、白く、清く、心澄みわたるさま。

 

一条の太政大臣は、天禄二年(971)、摂政太政大臣まで急速に上り詰めたが、一年足らずで、四十九歳で亡くなった謙徳公。残された女たちを弔う歌のようである。


 歌の言葉の戯れぶりが、十全ではないが上のようだとすると、清少納言は枕草子で「聞き耳(により意味の)異なるもの、男の言葉(漢字)、女の言葉(かなの言葉)」と言語観を述べた後に、枕草子を書いたと言える。このような言語観に立たないと、歌も枕草子も解釈できないのである。

「枕草子」花の木ならぬは(三七段)で、松だけではなく、かつら、まゆみ、他多くの木の名を示して、その戯れの意味を暗黙の内に読者と確認しつつ、「さらにもいはず(今更言うまでもない)」などと述べる。そして「おかし」「おかしけれ」「いとおかし」を連発する。同感できる良き読者になるには、「言の心と言の戯れ」を、あらかじめ知っていなければならない。それは和歌から学び心得るほかないのである。鳥は(三八段)も同じで、女と心得て読めばかろうじてそれらの意味を知るきっかけがつかめるだろう。「さすがにをかしけれ」などと言いながら、「すべていうもおろかなり(全て言うのは愚かである・一々言わなくともわかるでしょう)」と、言語圏外の者は、冷たく突き放された気がする。我々は、この言語圏内に一歩足を踏み入れたことは間違いない。

 

 

題不知                           貫之

百四十三 冬さむみさほのかはらのかはぎりに ともまどはせる千鳥なくなり

題しらず                          (紀貫之)

(冬寒くて、佐保の河原の川霧に、友惑はせる千鳥が鳴いている……終焉、心寒くて、佐保姫の河原の、川霧に・幻想の中に、友、惑わせる女たち・君恋しく群がって頻りに、泣いている)

 

言の心と言の戯れ

「冬…四季の終り…臨終…終焉」「さむみ…寒いため…心寒いため…肌寒いため」「さほ…佐保…地名…名は戯れる。佐保姫、春の女神…華やかな所の幻想か」「かはら…河原…三途の河原…佐保の河原…華やかな極楽の幻想か」「かはぎりに…川霧…幻想をかもすか」「とも…友…千鳥の群れの仲間…いとこの紀友則、古今集編纂時に病死した。哀傷歌は古今集にあるが、この歌は公任だけが知る貫之の作歌ノートにでもあったのだろうか」「まどはせる…惑わせる…現世に未練を残させる…三途の河原の渡りを惑わせる」「千鳥…群がりしば鳴く小鳥…群がり頻りに泣く女達…佐保姫の侍女達…鳥の言の心は女」

 

歌の清げな姿は、佐保川の河原で千鳥しば鳴く風景。

心におかしきところは、佐保姫とその侍女たちに惜しまれ、惑いつつ逝ったと、友を愛で讃えるところ。

 

友則を弔う歌のようである。

 

 

この歌は「拾遺集」と別系統の「拾遺抄」の伝本にはなく、代わりに次の歌がある。題知らず、紀友則の作、

夕されば佐保の河原の川霧に 友まどはせる千鳥鳴くなり

(夕方になると、佐保の河原の川霧の中に、仲間たちを惑わせる千鳥、頻りに鳴いている……たそがれると、佐保姫の河原の霧の中で、人恋しい・女達を惑わせる、千鳥、頻りに泣いているようだ)


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。