帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第三 冬 (百五十八)(百五十九)

2015-04-20 00:17:53 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任『新撰髄脳』の優れた歌の定義「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って『拾遺抄』の歌を紐解いている。

近世以来の学問的解釈によって見捨てられてしまった歌の「心におかしきところ」が蘇えるだろう。そうすれば、和歌の真髄に触れることができ、この時代の歌論や言語観が内部から見えるようになる。それを簡単に言えば、貫之は「歌の表現様式を知り、言の心を心得る人は、歌が恋しいほどおもしろくなるだろう」と述べ、清少納言は「聞き耳(によって意味の)異なるもの、それが我々の言葉である」と述べ、俊成は「歌の言葉は浮言綺語の戯れに似ているが、その戯れに歌の主旨や趣旨が顕れる。それはいわば煩悩である」と述べたのである。

 

拾遺抄 巻第四 冬 三十首

 

題不知                         兼盛

百五十八 山里は雪ふりつみてみちもなし けふこん人をあはれとは見む

       題しらず                        平兼盛

(山里は雪降り積り道も無し、今日来るだろう人を、しみじみ感動すると思って会うだろう……山ばの女は、白ゆきふり積みて、路もなし・道理も無し、京・絶頂、来るだろう、人を、あはれと・いとおしいと、見るだろう)

 

言の心と言の戯れ

「山里…人里離れた所…山ばの女」「山…ものの山ば」「さと…里…言の心は女…さ門…戯れておんな」「雪…白雪…おとこ白ゆき…逝き」「みち…路…道…人の道…道理…通い路」「路…言の心は女」「けふ…今日…京…山の頂上…山ばの絶頂」「人…訪問者…男」「あはれ…しみじみと感動する…瞬時感動する…あゝはれと感じる…愛おしい」「見む…思うだろう…会うだろう…見るだろう」「見…覯…媾…まぐあい」「む…推量を表す」

 

歌の清げな姿は、雪深い山里に住む人についての感想。

心におかしきところは、白ゆきふり積んで京に至った女を想定し、今日来る男を、愛おしいと見るだろうというところ


 

『拾遺抄』の和歌と同じ文脈に在るに違いない『枕草子』に、この歌を引用した場面があるので、その中で、この歌がどのように聞こえていたか聞く

「宮にはじめてまいりたるころ」(177段)、要約すればこの様な場面である。

 

恥ずかしこと数知れず。夜々に参る。絵などお御覧になられる、とっても冷たい頃なので、差し出された(中宮の)お手が、灯に艶やかな薄い紅梅色に見える。限りなく愛でたしと、里人(の私)には、このような女人がこの世におられたのかと、驚きながらお見守り申しあげている。

夜が明ける前に下がる。(実は縮れ髪なので、長い黒髪の、かつらを着けている。明るいところは苦手なのである。中宮は勿論ご承知で、葛城の神(かつら着の髪)というあだ名をお付けになられたが、心遣いはされて)、暁の前に、すぐに下がりなさい、そのかわり明日は早めにいらっしいと仰せになられる。

明くる日、昨夜からの雪が降り続く、昼ごろ「やはり、すぐにいらっしやい。今日は雪に曇って顕わにはなるまい」ということで、お召しになられ、参る。他の女房達は、慣れて安らかな様子なのも羨ましい。慎ましげではなく、もの言いながら笑っている。しばらくして、殿(父君の道隆)が参られる。几帳の後に下がって、隙間から見ていると、大納言殿(兄の伊周)が参られる。「昨日今日、もの忌みですが、雪のいたく降り侍りつれば、おぼつかなさになん(雪がひどく降るので、気がかりでね……白ゆきがひどくふるので、見るのが・待ちどうしくてね)」と申される。「道もなしと思ひつるに、いかで(道も無しと思っていましたのに、どのようにして?……白ゆきつもり・みちもなしと思っているのに、どのように思って?)」とお応えになられる。うち笑ひ給ひて(兄君・お笑いになられて)、「あはれともや御覧ずるとて(しみじみ感動して私を御覧になられるかと思って……愛しい人よと、山里の女・新入りの女・は、見るだろうかと思ってね)」とおっしる。これより何事が優るだろか、物語で、(男女が)口にまかせて言うセリフに違いは無いと思える。

 

今、和歌が一義な「清げな姿」だけのものとすると、枕草子のこの場面、どのように読むのだろうか。少なくとも大納言殿の「笑い」は空虚な笑いとなり。清少納言の中宮讃美の記述は空回りするか、上滑りするだろう。

 

 

ただまさのいもうとのかういに              

百五十九 としふればこしのしら山おいにけり  おほくのふゆの雪つもりつつ

ただまさの妹の更衣に          (兼盛・よみ人しらず。拾遺集では題しらず忠見)

(歳、古れば、越の白山、老いたことよ、多くの冬の雪、積もり続けて……疾し、経れば、越しの白い山ば、感極まったことよ、多くの白ゆき積り、つつ)

 

言の心と言の戯れ

「とし…年…年齢…疾し…早い…荒い…おとこのさが(性)」「ふれば…降れば…古れば…盛り過ぎれば…経れば」「こしのしら山…越しの白山…越した白い山ば」「おい…老い…追い・迫る…極まる…物事が極まる…感極まる」「ふゆ…冬…終…ものの果て」「雪…白雪…白髪…おとこ白ゆき…おとこの情念」「つつ…継続、反復を表す…筒…中空…空しきおとこ」

 

歌の清げな姿は、悠久に巡りくる冬を越した白山の雪景色(屏風絵)。年齢経れば白髪となり盛りの山ばも老いたことよ、多くの冬の雪、積り続けて(詠み人の思い)。

心におかしきところは、疾し、経れば、越した白い山ば感極まった、多くの果ての白ゆき積り、筒。

 

屏風歌と思われるが、詞書きの「ただまさ」「更衣」は不知。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。