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帯とけの枕草子〔二百十三〕五月の菖蒲の
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言枕草子〔二百十三〕五月のさうぶの
文の清げな姿
五月の菖蒲(五日に軒や柱などにつけたあやめ草)が、秋冬過ぎるまであるのが、たいそう白み枯れてみすぼらしいのを、ひき折り開いたところ、その折りの香が残って包まれてある、とっても趣がある。
原文
五月のさうぶの、秋冬すぐるまであるが、いみじうしらみかれてあやしきを、ひきおりあけたるに、そのおりのかのゝこりてかゝへたる、いみじうおかし
心におかしきところ
さつきの壮夫が、飽きふゆ過ぎるまであるが、たいそう白み涸れて並々ではないおを、ひき折り果てたところ、その折の色香が残っていて、抱えている、とってもおかしい。
言の戯れと言の心
「五月のさうぶ…端午の節句の菖蒲…さつきの壮夫」「さ…接頭語」「月…つき…突き…尽き…壮士…壮子」「さうふ…菖蒲…壮夫…血気体力盛んな壮年の男」「秋…飽き」「冬…心寒い…心冷え…終」「あけたる…開いた…明けた…ことがおわった」「そのおりのか…五月五日の香…さ突きの折りのおとこの色香」「おり…をり…時…折り…逝」「かゝへたる…抱えている…香りが包まれてある」「おかし…をかし…風情がある…賞賛に値する…すばらしい…おとこだことよ」「お…を…おとこ」「かし…強調する意を表わす」。
「菖蒲…壮夫…あやめ草…綺麗な妻」などという言の戯れは、用いられ方から、それと知るほかない。
あやめ草(菖蒲)を詠んだ歌を聞きましょう。
藤原公任撰「和漢朗詠集」端午、大中臣能宣
きのふまでよそに思ひしあやめ草 けふわがやどのつまとみるかな
(昨日までよそ事に思っていたあやめ草、今日、葺いて・我が宿の軒のつまと見ることよ……昨日までよそよそしく思っていた綺麗な女、京、我がやどの妻と共に、見ることよ)。
「あやめ草…家の軒に葺かれた菖蒲…五月五日に飾る邪気除け…綾め…美女」「けふ…今日…端午の節句…京…山ばの頂上…絶頂」「やど…宿…や門…女」「つま…家の軒ば…つれあい…妻」「と…と思って…と一緒に」「見…覯…媾…まぐあい」。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人知らず (2015・9月、改定しました)
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。