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帯とけの枕草子〔二百九〕賀茂へまいる道に
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言枕草子〔二百九〕賀茂へまいる道に
賀茂へ参る道で、田植えるといって、女が、新しい、おしき(折敷…盆)のようなものを笠に着て、たいそう大勢立って歌を唄う、折れ伏すように、また、何事をするとも見えず後ずさりする、何なのでしょう。興味をもって見るときに、ほとゝぎすを、いとなめううたふ、きくにぞ心うき(ほととぎすを、ひどく無礼に唄う、聞くと不愉快なことよ)。
ほとゝぎす、をれ、かやつよ、をれ、なきてこそ、我はたうふれ
(ほととぎす、まぬけ、そこの奴よ、まぬけ、鳴いている、我は田植えている……ほと伽す、折れ逝く、そこのやつよ、折れ逝く、泣いてこそ、われは、多飢えている)。
と唄うのを聞くが、如何なる人か、「いたくなゝきそ(ひどく鳴かないでよ…)」とは言ったようだ。
忠仲(宇津保物語に登場する人物)の、わらはおひ(童生い…おい立ち)を言い落とす人と、ほととぎす、うぐひすに劣るという人こそ、いとつらうにくけれ(我慢ならないほど気に入らないことよ)。
言の戯れと言の心
「ほととぎす…鳥の名…女…ほと伽す…郭公…且つ恋う…且つ乞う」「をれ…痴れ…まぬけ…折れ…折れ逝く」「田…女…多…多情」「うふ…植える…種うえつける…まぐあう…飢える…乞う」。
このように言葉が戯れていると、田植え歌が「いとなめううたふ、にくきにぞ心うき(とっても無礼に唄う、聞き辛くて気分がわるい)」と思えるでしょう。
万葉集 巻八夏雑歌にある大伴坂上郎女の歌
かく公鳥いたくな鳴きそ独り居て いの寝らえぬに聞けば苦しも
(郭公鳥ひどく鳴かないで、独り居て、寝られないのに聞けば苦しいよ……ほと伽す、且つ恋う且つ乞うと・ひどく鳴かないでよ、独り居て眠れないのに、聞けば苦しいじゃないの)。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人知らず (2015・9月、改定しました)
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。