帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔二百十〕八月つごもり

2011-10-25 00:18:25 | 古典

  


                                 帯とけの枕草子〔二百十〕八月つごもり



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔二百十〕八月つごもり

 
 八月つごもり(秋も深まった頃)、うづまさ(太奏の広隆寺)に詣でるときに見れば、穂となった田を人が大ぜい見て騒いでいるのは、稲刈りだったのだ。「早苗とりしか、何時の間に――」。先ごろ賀茂に詣でるときに見たものが、あはれにもなりにけるかな(しみじみと思うころになったなあ…哀れなあきになったことよ)。

これは、をのこどものいとあかきいねのもとぞあをきをもたりてかる(男たちがたいそう赤い稲穂の根元の青いところを持って刈る…おとこどもが、とっても元気色のい根の、もともと青き木を、もっていてかりする)。何なのでしょうそれでもって、根元を刈る様子なのよ。たやすそうで、してみたくなるように見える。いかでさすらん(どのようにしてそうするのでしょう…おとこって・どうしてそうするのでしょうね)。  

ほをうちしきてなみおるもおかし(穂を無造作に敷き並べて居るのもおかしい…おを撃ち頻て汝身折るのもおかしい)。いほのさまなど(庵の様など…井ほの様など…女の様などもおかしい)。


 言の戯れと言の心

「ほ…穂…帆…抜きん出たもの…お…おとこ」「いね…稲…い根…おとこ」「折る…刈る…逝く」「いほ…庵…井ほ…やど…おんな」「あかき…赤き…元気な」「赤…元気色」「青…若い色」「しき…敷…頻…度重ね」「おる…居る…折る…逝く」。



 なぜ「稲刈り」が「あはれ」なのか、古今和歌集秋歌上の歌を聞きましょう。よみ人知らず

 昨日こそさなへとりしかいつのまに いなばそよぎて秋風のふく

(昨日だよ早苗採ったのは、何時の間に、稲葉そよいで秋風が吹くか……きのうよ、さ汝枝取りいれたのは、君は・いつの間に、い寝端ぞ、避けて厭き風吹かすのよ)。


 「さなえ…早苗…さ汝枝」「さ…接頭語…小」「枝…身の枝…おとこ」「いな…稲…井な…井の」「は…葉…端…身の端」「そよぎて…そそそよとそよいで…ぞ、避けて」「あき…秋…飽き…厭き」「かぜ…風…心に吹く風」。

 
なぜ「庵の様など」が「おかしい」のか、古今和歌集秋歌下の歌を聞きましょう。忠岑
  山田もる秋のかりいほにおく露は いなおほせどりの涙なりけり
 (山田守る秋の仮庵におりる露は、いなおほせ鳥の涙だったのだ……山ば多盛る飽き満ち足りた、かり井ほにおく白つゆは、否と仰せの女の涙だったのだ)。

 
「田…女…多」「かり庵…かり井ほ」「かり…仮…刈り…めとり…まぐあい」「井…おんな」「つゆ…露…白つゆ…あさつゆ…贈りおいて去るおとこの涙…厭きは否、別れは否の女の涙」「いなおほせ鳥…稲負背鳥…鳥の名…否仰せ鳥…いやと泣く女」「鳥…女」。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・9月、改定しました)


 原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。