帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔百九十九〕陀羅尼は

2011-10-14 00:14:07 | 古典

  



                      帯とけの枕草子〔百九十九〕陀羅尼は



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔百九十九〕だらには

 
 文の清げな姿

陀羅尼は暁、経は夕暮れ。

 
 原文

だらにはあかつき、経はゆふぐれ。

 
 心におかしきところ

足らずは赤つき、京はゆうぐれ(不足なのは暁の元気尽き、感の極みは果て方)


 言の戯れと言の心

「だらに…陀羅尼…原語のまま唱える経…たらに…足らに…足らぬ」「に…打消の意を表わす…ず…ざり…ぬ」「あかつき…暁…夜明け前…共寝の果てごろ…赤尽き…赤突き…元気突き」「あか…赤…元気色」「経…きゃう…京…山ばの頂上…絶頂」「ゆうぐれ…夕暮れ…日の果て方…ものの果てがた」。



 藤原公任撰 和漢朗詠集 巻下に「暁」と題する詩歌がある。その和歌を聞きましょう。

後撰和歌集 恋四「人のもとより帰りきて遣わしける 貫之」。

あかつきのなからましかば白露の おきてわびしき別れせましや

(暁が無かったならば、白露の降りると起きて、わびしい別れをするだろうか……あか尽きが無かったならば、白つゆ贈り置きて、わびしい別れをするだろうか・赤尽きなど無ければなあ)。


 「あかつき…暁…赤突きの尽き…おとこのさが」「白露…朝露…白つゆ…おとこ白つゆ」「おく…置く…露などがおりる…起く…寝床をでる…おくり置く」「わびし…もの足りずさみしい…つらい…やりきれない」「まし…仮定の上に推量する意を表わす、不満などが込められる」「や…反語…詠嘆」。


 ついでに、後撰集にある女の返歌を聞きましょう。

返し、よみ人しらず

をきて行く人の心を白露の 我こそまづは思消えぬれ

(起きて行く人の心よ、白露のように、われこそ、先ずは思いが消えてしまう……おくり置いて逝く君の心、お、白つゆのように、わたしこそ先に、思い火消えてしまうわ)。


 「行く…逝く」「を…詠嘆を表わす…お…おとこ」「ぬれ…ぬる…完了した意を表わす…濡れ」。

 和歌には藤原俊成のいう「言葉の戯れによる意味」がある。それは「清げな姿」から大真面目な理性では推し量ることはできない。言の戯れを知り言の心を心得て、先ず、和歌の「心におかしきところ」が甦らなければ、枕草子の「をかし」も埋もれたままになるでしょう。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・9月、改定しました)


 原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。