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帯とけの枕草子〔百九十九〕陀羅尼は
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言枕草子〔百九十九〕だらには
文の清げな姿
陀羅尼は暁、経は夕暮れ。
原文
だらにはあかつき、経はゆふぐれ。
心におかしきところ
足らずは赤つき、京はゆうぐれ(不足なのは暁の元気尽き、感の極みは果て方)
言の戯れと言の心
「だらに…陀羅尼…原語のまま唱える経…たらに…足らに…足らぬ」「に…打消の意を表わす…ず…ざり…ぬ」「あかつき…暁…夜明け前…共寝の果てごろ…赤尽き…赤突き…元気突き」「あか…赤…元気色」「経…きゃう…京…山ばの頂上…絶頂」「ゆうぐれ…夕暮れ…日の果て方…ものの果てがた」。
藤原公任撰 和漢朗詠集 巻下に「暁」と題する詩歌がある。その和歌を聞きましょう。
後撰和歌集 恋四「人のもとより帰りきて遣わしける 貫之」。
あかつきのなからましかば白露の おきてわびしき別れせましや
(暁が無かったならば、白露の降りると起きて、わびしい別れをするだろうか……あか尽きが無かったならば、白つゆ贈り置きて、わびしい別れをするだろうか・赤尽きなど無ければなあ)。
「あかつき…暁…赤突きの尽き…おとこのさが」「白露…朝露…白つゆ…おとこ白つゆ」「おく…置く…露などがおりる…起く…寝床をでる…おくり置く」「わびし…もの足りずさみしい…つらい…やりきれない」「まし…仮定の上に推量する意を表わす、不満などが込められる」「や…反語…詠嘆」。
ついでに、後撰集にある女の返歌を聞きましょう。
返し、よみ人しらず
をきて行く人の心を白露の 我こそまづは思消えぬれ
(起きて行く人の心よ、白露のように、われこそ、先ずは思いが消えてしまう……おくり置いて逝く君の心、お、白つゆのように、わたしこそ先に、思い火消えてしまうわ)。
「行く…逝く」「を…詠嘆を表わす…お…おとこ」「ぬれ…ぬる…完了した意を表わす…濡れ」。
和歌には藤原俊成のいう「言葉の戯れによる意味」がある。それは「清げな姿」から大真面目な理性では推し量ることはできない。言の戯れを知り言の心を心得て、先ず、和歌の「心におかしきところ」が甦らなければ、枕草子の「をかし」も埋もれたままになるでしょう。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人知らず (2015・9月、改定しました)
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。