帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第一 春歌上(57)色も香もおなじ昔にさくらめど

2016-10-28 19:29:36 | 日記

             


                        帯とけの「古今和歌集」

                ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――


 「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、歌の「清げな姿」だけではなく、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。
それは、普通の言葉では述べ難いエロス(性愛・生の本能)である。今の人々にも、歌から直接心に伝わるように、貫之のいう「言の心」と俊成の言う「歌言葉の戯れ」の意味を紐解く。

 

「古今和歌集」巻第一 春歌上57

 

 桜の花の下にて年の老いぬる事をなげきてよめる

  紀友則

色も香もおなじ昔にさくらめど 年ふる人ぞあらたまりける

(花は・色彩も香も、昔と同じように、新たに・咲くのだろうが、齢が経る人ぞ、老い・改まることよ……女は・色情も色香も同じく、以前のようにひらくのだろうが、疾し・早過ぎる一時、経る男ぞ、変わりゆくのだなあ)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「色…色彩…色情」「香…香り…匂うがごとき色艶…色香」「同じ…変わりない…盤石…常磐」「昔…いにしえ…以前」「さく…咲く…(花が)開く…(身のそで)開く」「らめど…だろうけれど(異性のことなので推量で述べた)」「ど…けれども…のに」「年ふる…年齢経過する…疾し経る…早過ぎる一時がすぎる・おとこのさが」「あらたまり…新たになって…改まり…(以前とは別物に)変わり」「ける…けり…詠嘆」。

 

花は・年毎に新たに、昔と同じく開くようだけれども、歳とる人は、変わりゆくことよ。――歌の清げな姿。

おんなは・色情も色香も常磐のようだけれども、疾し経るおとこは、別物に変わりゆくことよ。――心におかしきところ。

 

男花の下にて、初老の男の平凡な嘆き歌ようであるが、言語感を同じくすると顕れる「心におかしきところ」が添えられてあることを知る。

 

平安時代の歌論と言語観を再掲載する。

 

○紀貫之は、「歌の様」を知り「言の心」を心得る人になれば、歌が恋しくなるという。(古今集仮名序)

○藤原公任は、歌の様(表現様式)を捉えている、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしき所あるを、すぐれたりといふべし」と。優れた歌には複数の意味が有る(新撰髄脳)。

○清少納言はいう、「聞き耳異なるもの、それが・われわれの言葉である」と(枕草子)。発せられた言葉の孕む多様な意味を、あれこれの意味の中から、これと決めるのは受け手の耳である。今の人々は、国文学的解釈によって、表向きの清げな意味しか聞こえなくなっている。

○藤原俊成は「歌の言葉は・浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨も顕われる」という(古来風躰抄)。顕れるのは、公任のいう「心におかしきところ」で、エロス(性愛・生の本能)である。俊成は「煩悩」と捉えた。

 

これらを無視した国文学の和歌解釈に警鐘を鳴らし続ける。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本に依る)