帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第四 秋歌上 (212)秋風に声をほにあげてくる舟は

2017-04-27 19:05:53 | 古典

            

 

                       帯とけの古今和歌集

                       ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が全く無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直せば、仮名序の冒頭に「やまと歌は、人の心を種として、よろずの言の葉とぞ成れりける」とあるように、四季の風物の描写を「清げな姿」にして、人の心根を言葉として表出したものであった。その「深き旨」は、俊成が「歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる」と言う通りである。

 

古今和歌集  巻第四 秋歌上 212

 

寛平御時后宮歌合の歌        藤原菅根朝臣

秋風に声をほにあげてくる舟は 天の門わたるかりにぞありける

(寛平御時后宮歌合の歌)        藤原菅根朝臣(菅原道真が流罪となった時、太宰府に同行して、そのまま、太宰府の少弐(三等官)となったようである。のち都に復帰して参議となる)

(秋風吹く時に、声を帆のように張り上げてくる舟は、天の水門を渡る、雁であったことよ……飽き風の心に吹く時に、小枝を帆のように上げて、来る繰る夫根は、あまの門わたるかりであったなあ)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「秋風…季節風…飽き風…心に吹く飽き満ち足りた風」「に…時を示す」「こゑ…声…小枝…おとこ」「ほにあげて…帆のように張り上げて…張って」「くる…来る…行く…繰る…繰り返す」「舟…ふね…夫根…おとこ」「あま…天…吾女…女」「と…門…水門…身門…おんな」「かり…雁…刈・狩・めとり…まぐあい」。

 

秋風吹く時に帆を張り、船頭たちが・声張りあげ漕ぎ行く舟は、天の水門渡る雁の群れだったことよ。――歌の清げな姿。

飽き満ちた風が心に吹く時に、小枝を帆のように張って、ゆくくる繰り返す夫根は、女のみ門わたるかりだったなあ。――心におかしきところ。

 

ただ、おとこの、かりするありさまを、詠んだ歌のようである。藤原菅根の歌は、古今集にこの一首のみである。心深くはない歌で、伝承人麿歌と対比するために、ここに置かれたようである。

 

仮名序にいう「今の世の中、色につき、人の心、花になりにけるより、あだ(徒・婀娜・不実)なる歌、はかなき言のみ出で来れば、色好みの家に、埋もれ木の、人知れぬこととなりて、まめなる所には、花薄、穂に出だすべきことにもあらずなりにたり」という歌群に属する歌だろうか。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)