帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第四 秋歌上 (208)わが門にいなおほせ鳥のなくなへに

2017-04-22 19:14:17 | 古典

            

 

                      帯とけの古今和歌集

                 ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が全く無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直せば、仮名序の冒頭に「やまと歌は、人の心を種として、よろずの言の葉とぞ成れりける」とあるように、四季の風物の描写を「清げな姿」にして、人の心根を言葉として表出したものであった。その「深き旨」は、俊成が「歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる」と言う通りである。

 

古今和歌集  巻第四 秋歌上 208

 

題しらず                よみ人しらず

わが門にいなおほせ鳥のなくなへに けさ吹風にかりはきにけり
                             
(詠み人知らず、女の詠んだ歌として聞く)

(わが門に、いなおほせ鳥が鳴くとともに、今朝吹く風にのって、雁は飛来したことよ……わたしの門にて、否、嫌、離れるのは・いやよと、仰せの鳥・言うわたし、泣くとすぐに、朝、吹く色情の心風に、かりは再来したことよ)。

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「かど…門…と…身の門…おんな」「いなおほせ鳥…(国文学は、稲負鳥として、実体は不明とする。たぶん古今伝授などでその秘密の意味は伝えられたが、無常にも消えたのだろう。歌も意味不明となる)…稲穂背負った小鳥、秋の収穫時期の雀と思われる…(浮言綺語の如き戯れの意味は)否仰せ女…いやよいやよと泣く女」「鳥…言の心は神代から女」。「なく…鳴く…泣く」「なへに…とともに…とたちまち…とすぐに」「けさ…今朝…通い婚の夫が帰る時…夜のつとめ終えた後…朝あらためて」「風…季節風…心に吹く風・ここでは色情の心風」「かり…雁…狩・刈…めとり…まぐあい」「けり…感嘆・詠嘆を表す」。


  今の人々も、「古事記」などを読み直せば、草や鳥が女であることは心得られる。

八千矛の神が、賢く麗しい沼河姫を娶ろうと、その家の門前に立って、板戸を押したり引いたり乱暴なので、青山の「ぬえは鳴き、さぬつ鳥、きぎしはとよむ、庭つ鳥、かけは鳴く(要するに、女官、女房たちが泣き叫ぶので)、打ち止めさせろ」という。沼河姫は戸を開かず内よりお応えになられた、われらは「ぬえ草の女にしあれば、我が心浦洲の鳥ぞ、今こそは我鳥にあらめ、後は汝鳥にあらむを、命は、な死せたまひそ」。この神世、既に、草や鳥の「言の心」は女であった。

 

我が門口で、稲穂背負った小鳥が鳴くとともに、今朝吹く秋風にのって、雁は飛来したことよ。――歌の清げな姿。

わたしの門に、いやよ、離れるのはいやと仰せの小鳥が、泣くとたちまち、朝、吹く色情の風に、かりは再来した、あゝ。――心におかしきところ。

 

秋の朝の風情を清げな姿にして、朝、女の心に思う、珍しくも愛でたき情況を、言い出した歌のようである。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)