帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第四 秋歌上 (204)ひぐらしのなきつるなへに日はくれぬ

2017-04-18 19:07:37 | 古典

            

 

                       帯とけの古今和歌集

              ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が全く無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直せば、仮名序の冒頭に「やまと歌は、人の心を種として、よろずの言の葉とぞ成れりける」とあるように、四季の風物の描写を「清げな姿」にして、人の心根を言葉として表出したものであった。その「深き旨」は、俊成が「歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる」と言う通りである。

 

古今和歌集  巻第四 秋歌上 204

 

(題しらず)                   (よみ人しらず)

ひぐらしのなきつるなへに日はくれぬ と思ふは山のかげにぞありける

(詠み人知らず、女の詠んだ歌として聞く)

(日暮らし蝉の鳴くとともに、陽は暮れたと思ったのは、山の陰であったことよ……灯暗しの・背身の、泣いたのにつれ萎えて、灯は消えた、と・門が、思うのは、ものの山ばの陰り、だったことよ)。

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「ひぐらし…蝉の名…名は戯れる。日暮らし、陽暗し、灯暗し、期待薄い」「なきつる…鳴いた…泣いた…涙を流した…汝身唾を流した」「なへに…とともに…につれて…萎えに…萎えて」「ひ…日…陽…火…情念の炎…色情のともしび」「くれぬ…暮れた…果てた」「と…引用を示す…門…身の門…おんな」「山…ものごとの山ば…感情の山ば」「かげ…影…陰…かげり…消えかけ」「ぞ…強く指示する意を表す」「ける…けり…だった…だったことよ…気付き・詠嘆の意を表す」。

 

ひぐらしという蝉が鳴いたのにつれて、日は暮れた、と思ったのは、山の陰であったことよ。――歌の清げな姿。

ともしびの暗い背身が、汝身唾流すにつれて、のぞみは果てた、身の門、思うは、ものの山ばの陰りであったことよ。――心におかしきところ。

 

秋の日の急な夕暮れを「清げな姿」にして、おとこの汝身唾と共に感情の山ばの急激な陰りを、おんなが嘆いた歌のようである。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)