帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第四 秋歌上 (191)白雲にはねうちかはしとぶ雁の

2017-04-03 19:42:08 | 古典

             

 

                         帯とけの「古今和歌集」

                ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が全く無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直せば、仮名序の冒頭に「やまと歌は、人の心を種として、よろずの言の葉とぞ成れりける」とあるように、四季の風物の描写を「清げな姿」にして、人の心根を言葉として表出したものであった。その「深き旨」は、俊成が「歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる」と言う通りである。

 

古今和歌集  巻第四 秋歌上 191

 

題しらず             よみ人しらず

白雲にはねうちかはしとぶ雁の かずさへ見ゆる秋の夜の月

題知らず               (詠み人知らず・男の詠んだ歌として聞く)

(白雲に羽うち交わし飛ぶ雁の、数さえ見える秋の夜の月・明るいことよ……白けた色情に、端根、端音うち交わし、浮き天ゆく女の、かりの数さえ見える、厭きの夜の月人をとこ・尽きゆくことよ)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「白…色なし…しらけた」「雲…空の雲…心に煩わしくもわきたつもの…色情・色欲など…広くは煩悩、人の心にはいつも八雲が立つという」「はねうちかはし…羽うち交わし…男女の仲むつましいさま」「はね…羽…端根…おとこ…端音…はしたない声」「うちかはし…打ち交わし…射ち交わし」「うち…接頭語…射ち」「とぶかり…飛ぶ雁…浮き天をゆく女」「雁…鳥…鳥の言の心は女…狩り・刈り…めとり…まぐあい」「数…雁の数…見る数」「見ゆる…見えている…見ている」「見…覯…媾…まぐあい」「秋の夜の月…飽きの夜の月人壮士…厭きの夜の月人壮士」「秋…あき…飽き満ち足りる…厭きあきする」「月…月人壮士…月の言の心は男…突き・尽き…体言止めで余情がある」。

 

白雲に羽うち交わし飛ぶ雁の数さえ見える、秋の夜の月影・明るいことよ。――歌の清げな姿。

白けた色欲に、端根、はしたない音、うち交わし、浮天とびゆく女、かりした数さえ見える、厭きの尽き人おとこのありさまよ。――心におかしきところ。

 

これより月の歌が数首連なる。歌の様(表現様式)を知らず、月の言の心を「壮士・をとこ」と心得ない人は、和歌の「心におかしきところ」が全く見えないだろう。


 古今集の文脈で、「月」は「壮士・男・おとこ」であり、「つき」は「突き・尽き」と戯れていたことを心得ないと、この時代の言語圏外の人である。まして、優しい月光や、ムーンライトセレナーデやハニームーンの、優しく甘い女性的イメージのままに、万葉集や古今集の歌の「月」と言う言葉を聞くならば、愚かな言語観の人である。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)