帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第四 秋歌上 (210)春霞かすみていにしかりがねは

2017-04-25 19:09:55 | 古典

            

 

                       帯とけの古今和歌集

                 ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が全く無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直せば、仮名序の冒頭に「やまと歌は、人の心を種として、よろずの言の葉とぞ成れりける」とあるように、四季の風物の描写を「清げな姿」にして、人の心根を言葉として表出したものであった。その「深き旨」は、俊成が「歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる」と言う通りである。

 

古今和歌集  巻第四 秋歌上 210

 

(題しらず)             (よみ人しらず)

春霞かすみていにしかりがねは 今ぞなくなる秋霧のうへに
                                         
(詠み人知らず、女の詠んだ歌として聞く)

(春霞、かすんで去ってしまった、雁の声は、今、聞こえているでしょう、秋霧の上に……張るが済み、かすむように逝ってしまった、かりが根は今ぞ亡くなる・かりする女の声は井間ぞ泣くなる、厭き切りの、その果てに)。

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「春霞…戯れて、春が済み・春情が済み・張るが済み」「かすみて…霞んで…霞がかかったようになって…ぼやけてしまって」「かりがね…雁が音…雁の声…かりする女の声…かりが根…かりするおとこ」「かり…雁…鳥…女…刈・狩り…めとり…まぐあい」「ね…音…声…根…おとこ」「いま…今…井間…おんな」「ぞ…(いまを)強調」「なくなる…鳴くのが聞こえる…泣くのがきこえる…亡くなる…逝く」「あききり…秋霧…飽き限り…厭き切り」「きり…霧…限…切り…離れ・途絶え・尽き」「うへに…上で…そのうえに…そのあげく」。

 

 

春霞と共に帰って行った雁の声は、今、秋霧の上に聞こえている。――歌の清げな姿。

張るが済み、かすんで逝った、かりの根は、井間にぞ、無くなる、厭き切りのうえに。――心におかしきところ。

 

いと早くおとこ根は尽きて逝く、和合ならなかった女の、井間の思いを表出した歌のようである。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)