帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第四 秋歌上 (211)夜を寒み衣かりがね鳴くなへに

2017-04-26 19:01:27 | 古典

            

 

                       帯とけの古今和歌集

                            ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が全く無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直せば、仮名序の冒頭に「やまと歌は、人の心を種として、よろずの言の葉とぞ成れりける」とあるように、四季の風物の描写を「清げな姿」にして、人の心根を言葉として表出したものであった。その「深き旨」は、俊成が「歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる」と言う通りである。

 

古今和歌集  巻第四 秋歌上 211

 

(題しらず)            (よみ人しらず)

夜を寒み衣かりがね鳴くなへに 萩の下葉もうつろひにけり

この歌は、ある人のいはく、柿本人麿が也と

(夜が寒いのに、衣借りられず、朝・雁の鳴く声とともに、萩の下葉も色あせ散ったことよ……世の風が寒いので、衣借りられず、男泣き・汝身唾を流す、とすぐ、端木の下端も涸れ衰えたことよ)。

この歌は、或る人が云うには、柿木人麻呂の作であると


 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「夜…世…世間…世の風…男女の仲」「寒…肌身が寒い…みすぼらしい…心が寒い…心に寒風が吹く」「を――み…なので…なのに…原因理由を表す」「衣…心身を被うもの…心身の換喩…身と心」「かりがね…雁が音…雁の声…借りかね…借りられず」「かね…接尾語…し続けることが難しい…することができない」「鳴く…泣く…なみだを流す」「なへに…と共に…とすぐに」「はぎ…萩…草ながら端木と戯れて男木」「したは…下葉…下端…おとこ」「うつろひ…移ろひ…悪い方に変化すること…衰え・萎え・尽き」「けり…詠嘆」。

 

夜が寒いのに、衣借りられず、朝・雁が鳴くとともに、秋萩の下葉も枯れ落ちていたことよ。――歌の清げな姿。

妻との間が寒々しいので、身も心もかりすることできず、おとこ汝身唾流すとすぐさま、端木の下端も涸れ尽きてしまったことよ。――心におかしきところ。

世の風が寒いので、衣借りることもできず、男泣きしおとこ汝身唾流せば、たちまち、端木の下端も涸れ尽きたことよ。――歌の心深いところだろう。

 

妻とも遠く離された孤独な情況で詠んだ男の歌と聞いた。上のような多重の意味が、「よをさむみころもかりかね なくなへに はぎのしたはも うつろひにけり」の三十一文字に込められてある。

仮名序は「正三位柿本人麻呂なむ、歌のひじりなりける」。真名序は「先師柿本大夫者、高振神妙之思、独歩古今之間」と称賛する。作者の高ぶる思いが、不思議なほど抑制されて、聞き手の心に伝わる歌である。


 歌の「清げな姿」しか見えなければ、結局、何も見えなし、聞こえないのと同じである。(国文学は、上の句は序詞、雁と借りは掛詞と指摘するが、平安時代には、序詞とか掛詞という言葉さえない)。

 

 

古今集に収められた伝承・人麿の歌(七首)は、流人として流される船旅か流罪地かで、それ以外あり得ないような孤独な情況での歌のようである。これは(135)に次ぐ、第二首目。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)