帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第四 秋歌上 (194)久方の月の桂も秋は猶

2017-04-06 19:23:08 | 古典

             

 

                         帯とけの古今和歌集

               ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が全く無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直せば、仮名序の冒頭に「やまと歌は、人の心を種として、よろずの言の葉とぞ成れりける」とあるように、四季の風物の描写を「清げな姿」にして、人の心根を言葉として表出したものであった。その「深き旨」は、俊成が「歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる」と言う通りである。

 

古今和歌集  巻第四 秋歌上 194

 
         
(是貞親王家歌合の歌)          忠岑

久方の月の桂も秋は猶 もみぢすればやてりまさるらむ
                                                              
ただみね

(久方の月の桂樹も、秋はやはり紅葉するから、照り輝き増すのだろうか……久堅の月人壮士の、且つら木も、飽きは、汝おも、色づくからかな、ほてり増すのだろう)。

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「久方の…ひさかたの…枕詞…久堅の(万葉集にこの表記がある)…久しく堅い」「月…月人壮士(万葉集の歌語)…月の言の心は男…大昔の月の別名は、ささらえをとこ」「かつら…桂樹(月に生えているという伝説の木)…木の言の心は男…梅・桜などはその代表…且つら…すぐにまた」「ら…状態を表す」「秋…飽き(満ち足り)」「猶…なほ…やはり…なお…汝お…おとこ」「な…汝…親しいものをこう呼ぶ」「もみぢ…紅葉…秋色…飽きの色情」「てり…照り…日月の放つ光…ほてり…熱くなること」。

 

ひさかたの月の桂樹も、秋にはやはり紅葉するからかな、照り輝き増すのだろう。――歌の清げな姿。

久しく堅い月人壮士の、且つらおとこも、飽き満ち足りは、なおもまた色づくので、ほてり増すのだろうか。――心におかしきところ。

 

月人壮士という第三者のことのように、おとこは、このようでありたいという願望を表出した歌のようである。

詠み人の名を公表する男の「歌人」の歌合の歌は、恥や面目を棄てられないので、「心におかしきところ」で、本音を直には表出し難いのである。


 (古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)