帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集 巻第二 夏冬 (百二十三と百二十四)

2012-05-29 00:10:29 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第二 夏冬 四十首
(百二十三と百二十四)


 五月まつ山ほとゝぎすうちはぶき 今も鳴かなむこぞのふる声 
                                   
(百二十三)

(五月待つ、山郭公うち羽ばたいて、今にも鳴くでしょう、去年の鳴き慣れた声で……さ尽き待つ、山ばのほと伽す、うちもだえ、今にも泣くでしょう、来ぞのふるこゑ)。


 言の戯れと言の心
 「さつき…五月…夏…さ突き…さ尽き」「やまほととぎす…山時鳥…山郭公…山ばの女…山ばのほと伽す」「鳥…女」「うちはふき…打ち羽ぶき…はばたき…もだえ…ばたつき」「鳴く…泣く」「こぞ…去年…例年…来そ…来るよ…来るわ…その時が来るぞ」「ふるこゑ…古声…聞き慣れた声…ふるえ声…振る小枝」「小枝…おとこ」。



 神無月しぐれもいまだふらなくに まだきうつろふ神奈備のもり 
                                   
(百二十四)

(神無月、時雨も未だ降らないのに、まだその時でないのに枯れゆく、神奈備の森……かみの尽き、時のお雨も未だ降らないのに、はやくもうつろいゆく、かみ靡の盛り)。


 「かみなつき…神無月…十月…冬の初め…飽き過ぎた心の冬」「神…上…かみ…女」「な…無…の」「つき…月…尽き」「しぐれ…冬の雨…時雨…その時のおとこ雨」「まだき…まだその時ではない…はやくも」「うつろう…枯れる…色変わる…おとろえる…はてる」「神奈備…所の名、名は戯れる、神靡、女なぶ」「なぶ…靡ぶ…押し伏す…屈服する」「もり…杜…森…盛り」。

 


 歌の清げな姿は、山郭公が鳴く初夏の風情と、初冬の神奈備の杜の風情。


 心におかしきところは、両歌とも、和合の極致の妖艶な女のありさま。


 この撰集は、おとなの男たちの為に、女と男の情事の艶なる歌を抽出して配列してある。

 


 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず

 
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。