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帯とけの新撰和歌集
歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。
紀貫之 新撰和歌集巻第二 夏冬 四十首 (百二十五と百二十六)
五月こば鳴きもふりなむほととぎす まだしきほどのこゑをきかばや
(百二十五)
(五月来れば、鳴きに鳴いて新鮮ではなくなるでしょう、ほととぎす、未熟なほどの声を聞きたいね……さ尽き来れば、泣き降るでしょう、ほと伽す、まだその時でない小ゑを、受けたまわりたいわ)。
言の戯れと、紀貫之の云う「言の心」
「さつき…五月の異名、名は戯れる、小突き、さ尽き」「月…壮士…尽き…おとこ」「鳴き…泣き」「ふり…古り…降り」「ほととぎす…時鳥…郭公…鳥の名、名は戯れて、ほと伽す、且つ恋う、且つ乞う」「鳥…女」「こゑ…声…小枝…おとこ」「きく…聞く…受けたまわる…従う…効く…役立つ」「ばや…してみたい…願望を表す」。
神無月しぐれの雨は灰なれや 木々のこの葉を色に染めなす
(百二十六)
(十月、時雨の雨は染色の灰なのか、木々の木の葉を色に染めてゆく……かみ無尽き、時のお雨は、燃えかすなのか、男どものこの端お、枯れ葉色に染めてゆく)。
「神無月…十月の異名、名は戯れる、かみなつき、かみ無尽、かみは尽きない」「神…上…女」「しぐれ…時雨…その時のおとこ雨」「はひ…灰…染色の発色よくする椿などの灰…ものの燃えかす」「木…男」「このは…木の葉…子の端…身の端…おとこ」「を…お…おとこ」「色…枯葉色…涸れ端色…心の冬色」。
歌の清げな姿は、夏を告げるほととぎすの鳴き声の風情と、木々を枯葉色に染めてゆく時雨の風情。
歌の心におかしきところは、両歌とも、女の立場で、おとこのさがを弄んでいるところ、又は不満を述べているところ。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。