帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集 巻第二 夏冬 (百二十五と百二十六)

2012-05-30 00:03:55 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集巻第二 夏冬 四十首
(百二十五と百二十六)


 五月こば鳴きもふりなむほととぎす まだしきほどのこゑをきかばや 
                                   
(百二十五)

 (五月来れば、鳴きに鳴いて新鮮ではなくなるでしょう、ほととぎす、未熟なほどの声を聞きたいね……さ尽き来れば、泣き降るでしょう、ほと伽す、まだその時でない小ゑを、受けたまわりたいわ)。


 言の戯れと、紀貫之の云う「言の心」

 「さつき…五月の異名、名は戯れる、小突き、さ尽き」「月…壮士…尽き…おとこ」「鳴き…泣き」「ふり…古り…降り」「ほととぎす…時鳥…郭公…鳥の名、名は戯れて、ほと伽す、且つ恋う、且つ乞う」「鳥…女」「こゑ…声…小枝…おとこ」「きく…聞く…受けたまわる…従う…効く…役立つ」「ばや…してみたい…願望を表す」。



 神無月しぐれの雨は灰なれや 木々のこの葉を色に染めなす  
                                   
(百二十六)

 (十月、時雨の雨は染色の灰なのか、木々の木の葉を色に染めてゆく……かみ無尽き、時のお雨は、燃えかすなのか、男どものこの端お、枯れ葉色に染めてゆく)。


 「神無月…十月の異名、名は戯れる、かみなつき、かみ無尽、かみは尽きない」「神…上…女」「しぐれ…時雨…その時のおとこ雨」「はひ…灰…染色の発色よくする椿などの灰…ものの燃えかす」「木…男」「このは…木の葉…子の端…身の端…おとこ」「を…お…おとこ」「色…枯葉色…涸れ端色…心の冬色」。

 


 歌の清げな姿は、夏を告げるほととぎすの鳴き声の風情と、木々を枯葉色に染めてゆく時雨の風情。

 
 歌の心におかしきところは、両歌とも、女の立場で、おとこのさがを弄んでいるところ、又は不満を述べているところ。



 伝授 清原のおうな

 
 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。