帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集巻第一 春秋 (百十三と百十四)

2012-05-22 00:04:05 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集巻第一 春秋 百二十首(百十三と百十四)


 桜ちる花のところは春ながら 雪ぞふりつゝききがてにする 
                                    (百十三)

(桜散る花の所は春なのに、雪が降りつづいていて、人々は春を、聞き入れ難そうにしている……お花ちる端のところは張るながら、白ゆきふりつつ、ひとは、利き難そうにする)。


 言の戯れと言の心

 「さくら…桜…木の花…男花」「はな…花…端…先」「はる…季節の春…心の春…身の張る」「ゆき…雪…おとこ白ゆき…おとこの情念」「ふり…降り…経り…時が経つ」「きき…聞き…聞き入れ…承知…納得…利き…効果…役立ち」「がてにする…難そうにする…できなさそうにする…なさそうにする」。

 


 もみぢ葉の流れてとまるみなとには くれなゐ深き波やたつらむ 
                             
(百十四)

 (もみじ葉が流れて停泊する湊には、紅色の深い波が立つのだろうか……飽き色の流れて留まるみな門には、くれない深き、汝身や、波だつのだろうか)。


 言の戯れと言の心

 「もみぢ…紅葉…秋色…飽き色」「は…葉…端…身の端…ものの端くれ」「とまる…泊る…停泊する…止まる…留まる」「みなと…湊…水門…女」「水…女」「門…女」「くれなゐ…紅…真っ赤に燃える…暮れない…果てない…終わりにしない」「なみ…波…心波…汝身…その身…おとこ…おんな」「や…疑問の意を表す…詠嘆の意を表す」「らむ…しているのだろう…推量する意を表す」。



 散る桜の花びらを雪に見たてた景色は春歌の清げな姿。紅葉が流れて浅瀬などに留まる景色は秋歌の清げな姿。和歌は唯それだけではない。


 両歌とも法師の歌なので、人の果てしない煩悩を詠嘆して見せたと思われる、けれども、この撰集は、情欲の果てを承知できない妖艶な女のありさまを詠んだ歌として、「心におかしきところ」を楽しむように仕組まれてある。



 伝授 清原のおうな

 
 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず

 
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。