帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集 巻第二 夏冬 (百二十一と百二十二)

2012-05-26 01:28:41 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集巻第二 夏冬 四十首
(百二十一と百二十二)


 わが宿の池の藤なみ咲きにけり やまほととぎすいまや来鳴かむ 
                                   
(百二十一)

(わが宿の池の藤の花々咲いたことよ、山郭公、今に来て鳴くでしょう……わがや門の逝けの、不二汝身さきにけり、山ばのほととぎす、いまよ、来泣くでしょう)。


 言の戯れと言の心

 「やど…宿…女…やと…屋門…女」「池…逝け」「ふぢなみ…藤波…藤の花々…不二汝身…不二の見…唯一のおとこ」「さき…咲き…裂き…放出」「やまほととぎす…山郭公…鳥の名、名は戯れる、山ばの女、山ばのほと伽す、山ば且つ乞う」「鳥…女」「き…来る…時が来る…情況が来る」「鳴く…泣く」「む…推量の意を表す…意志を表す」。


 龍田川にしきおりかく神無月 しぐれの雨をたてぬきにして 
                                   
(百二十二)

 (龍田川、紅葉の錦、織りかける、神無月しぐれの雨を、たて糸よこ糸にして……多つ多川、にし木折りかく、神な尽き、時のお雨を立て、貫きにして)。


 「たつたかは…龍田川…川の名、名は戯れる、紅葉の川、多つ多女、多情女、絶つたかは」「た…田……女…多…多情」「川…女…かは…疑問の意を表す…詰問、反問の意を表す」「にしき…錦織…錦木…男木」「おり…織り…折り」「かんな月…神無尽き…かみ無尽き」「神…上…女」「な…無…の」「月…つき…突き…尽き」「しぐれ…冬の雨…時雨…その時のおとこ雨」「たてぬき…たて糸よこ糸…立て貫き…立て貫き通し」「ぬき…貫き…貫徹…最後までやりぬき」。



 歌の清げな姿は、池の辺の藤波にほととぎすが来て鳴く風情と、もみじ葉流れる龍田川に時雨の降る風情。心におかしきところは、両歌とも、女の立場で詠んだ和合の極致。


 巻第二は漢文序によると、「以夏什敵冬什」「各々相闘」(夏の什を以って冬の什に敵対せしめ、各々相闘わしめてある)という。「什…じゅう…十人一組の兵士…詩経の詩篇のこと…詩…歌」。


 余情妖艶な心におかしきところが勝っているのは、夏歌か冬歌か、どちらでしょう。

 


 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。