帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋 (百十五と百十六)

2012-05-23 00:04:52 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集巻第一 春秋 百二十首(百十五と百十六)


 花もみな散りぬるあとはゆく春の ふるさととこそなりぬべらなれ 
                                    (百十五)

(春の花みな散ってしまった跡は、去り行く春の、古里となってしまったようだ……お花も華もみな果ててしまった後は、逝く春の情が、古さとと、なってしまったようだ)。


 言の戯れと言の心
 「花…木の花…草花…おとこ花も女の華も」「ちる…散る…果てる」「ぬる…ぬ…てしまった…完了した意を表す」「あと…跡…後」「ゆく春…去る季節の春…逝く春の情」「ふるさと…故郷…古里…古い女…古妻…老婆」「さと…里…さ門…女」「べらなれ…べらなり…のようすだ」。



 みち知らばたづねもゆかむもみぢ葉を 幣とたむけて秋はいにけり 
                                    (百十六)

(路を知れば、訪ねても行こう、もみじ葉を幣と思って、手向けして、秋は去って行ったことよ……路知れば、訪ねて行こう、飽き色の端をぬさのつもりで、ひとに捧げて、飽きは過ぎ去ったなあ)。


 「もみぢ葉…飽き色の端」「ぬさ…幣…神にたむけるもの…女に捧げるもの…おとこ…おとこの情念」「と…と思って…のつもりで」「あき…秋…季節の秋…飽き満ち足り」。



 春の花がみな散ってしまった景色と、もみじ葉散らかして去った秋の景色は、歌の清げな姿。

 
 お花も女の華も果ててしまった春の暮れの気色と、厭き色の端をぬさのつもりで手向けて過ぎ逝く飽きの気色は、歌の心におかしきところ。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。