帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋 (百十一と百十二)

2012-05-21 00:03:52 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



  歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。


  紀貫之 新撰和歌集巻第一 春秋 百二十首(百十一と百十二)

 
 さくが上に散りもまがふか桜花 かくてぞこぞも春はくれにし 
                                    (百十一)

(咲く上に散りまぎれるか、桜花、こうしてだ、去年も春は暮れてしまった……放つが上に、果てては乱れまぎれるか、おとこ花、こうしてなのだ、こも、張るは暮れ西よ)


 言の戯れと言の心
 「さく…咲く…放つ…裂く…避く」「まがふ…わからなくなる…うやむやになる」「桜花…木の花…男花…おとこ花」「こぞ…去年…子ぞ…子の君ぞ…おとこぞ」「はる…季節の春…春情…ものの張る」「くれにし…暮れてしまった…果ててしまった…暮れ西」「にし…完了してしまった意を表す…日の沈む方…浄土の方…しにの方」。

 


 もみぢ葉を袖にこきいれてもていなむ 秋をかぎりと見む人のため 
                                    (百十二)

(紅葉を袖にしごきいれて、もってゆこう、秋を、今日限りだろうと思っている人々の為に……飽き色の端を、袖にしごき入れて持って寝よう、飽きおを、これっきりかと、見るだろう妻のために)。


 「もみぢ…秋色…飽き色」「は…葉…端…身の端…おとこ」「いなむ…往こう…去ろう…寝よう」「いぬ…往ぬ…去る…寝ぬ」「い…寝…ぬ…寝」「秋…飽き満ち足り」「を…何々を…お…おとこ」「かぎり…限度…此れっきり…これで最後」「見む…思うだろう…見るだろう」「見…覯…媾…まぐあい」「人…人々…女」。



 春歌の桜花の有様は清げな姿。自嘲気味に表わされたおとこのさがの劣性は、心におかしきところ。

 秋歌の紅葉の葉を云々は清げな姿。自棄(やけ)気味に表わされたおとこのさがの劣性は、心におかしきところ。


 「心におかしきところ」がより増すように、春秋二つの歌が並べられてある。それを楽しむ大人たちの為の撰集。
作者や詠まれた情況を表示しないので、歌には別に「深き心」があるかもしれないけれども、考慮しない。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず

 
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。