七技会のひろば

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逓信同窓会誌に掲載

2011年12月26日 | お話サロン

友野さんの計らいで第18回七技会総会の模様が「逓信同窓会会誌 WIND 2012年新年号」に掲載されました。
同窓会誌は必ずしも皆さん全員のお手元へ送付されているとは言い切れない状況と事務局の方から伺いましたので、念のため「七技会のひろば」にアップしました。
なお、逓信同窓会ホームページ(このブログからリンクしています。)で見ることもできます。

コピー版とテキスト版の両方を載せました。読みやすい方をご利用ください。









第七回高等部技術科(七技会)
卒業半世紀記念七技会総会

平成二十三年九月二十九日、卒業から五十年目に当たる日に第十八回七技会総会を行いました。
これまでは保養所や温泉旅館などで泊まり込みでしたが東日本大震災への遠慮も働き、
「五十年目の中央学園見学」をテーマに集いました。
当日午後一時、学園の本館ロビーに集合。参加者は二十三名でした。

一 学園見学
まずは学園の現役課長の案内で学園内の施設見学です。
在学中の木造教室や細長いプールは近代化された設備に取って変わり、更に次世代の教育施設に生まれ変わろうと桜並木の隣のグランドや野球場には大型土木機械が林立する工事の真っ只中で残念ながら近寄ることが出来ません。
それでも思案橋を渡って学生寮区域に入ると大浴場、食堂、学生寮の並びに五十年前の雰囲気を見出し懐かしい武蔵野の風情を楽しみました。
旧図書館前の素晴らしい花を咲かせていたコブシの木を探してみましたが残念ながら見当たりませんでした。
歴史資料館などを含めて一通り見学した後、本館前で全員の記念写真を撮り、マイクロバスで東京・銀座の「ホテル銀座ラフィナート」へ向かいました。
しかし、遙か遠方から「もうこう言う機会はこれが最後かも知れない」との想いから寸暇を惜しんで大きな事情を抱えながらも馳せ参じ、
皆との顔合わせと記念撮影をした後すぐにとんぼ帰りする一人を残しての発車でした。

二 七技会総会議事
冒頭、亡くなった十一名の同級生と東日本大震災の被害者の方々への黙祷を捧げました。続いて議事。
第一議題は「これからの七技会」。
卒業以来五十年、大半が「後期高齢者」となったことに伴い、今後の七技会の活動方針を確認しました。五月に事前配布した幹事提案に対するアンケート結果及び意見を加味した「これからの七技会」の審議です。
熱心な質疑の後、全員一致で承認可決。
内容は次のとおりです。
1 七技会は今後も活動を継続。
2 活動の主体は「会員相互の連絡及び交流の支援」と「二年に一回の懇親会」。
3 会の保有する活動資金は最小限に圧縮。
4 圧縮により生じた資金余裕は「高等部で学べた幸せ」に感謝し「あしなが育英会」へ寄付。(寄付の経緯等は後記します。)
続いて第二議題「会計報告」、第三議題「幹事選出」。
全て滞りなく終了。この間おおよそ四十分。
この後懇親会が始まりました。

三 懇親会
先ずは乾杯を皮切りにお喋りが始まりました。今回は時節柄を考慮し簡素なかたちのパーティーでお泊まりなし。
約二時間半、順繰りに相手を求めて移動しながらお喋りを続けました。
飲むのは程々です。話の内容は「元気?」に始まり、今回欠席の方々のこと、家族のこと、己の健康、・・・等々。
宴たけなわ、恒例の「起きろー」コールが一発、また臍の周りの切開傷を見せながらの病気克服報告が一件、
徐々にいつもの空気が戻って来ました。
でもでもでも・・・。以前の放歌高吟型を脱皮して浅酌低唱型に変化していました。
以前の杯盤狼藉が懐かしいくらいの静かで上品な懇親会でした。会場との約束の十九時三十分、
再会を約し別れを惜しみつつ家路に散りました。
正直な感想「次もまたやろうね!」

四 あしなが育英会への寄付
私たちの七技会は若干の積立金的な資金を持っていました。
目的は七技会総会の開催準備と連絡費用及び七技会内の慶弔(慶弔は平成七年廃止)で、出所は故人となった同級生を含む全員拠出の会費です。
一方総会への出席者は遠距離からの参加が少なくなりようやく半数に達するかどうかと言う状況で、顔ぶれも固定化しつゝあります。
そこで現在保有するこの資金を有意義に使うためにはどうしたらよいかとの趣旨で検討を始めました。
私たちの今日が在るのは、個々人の努力はもちろんですが、それと同等或いはそれ以上に「電電公社の高等部」が教育を受ける機会を与えてくれたことが大きいと感じていました。
私たちが学校を卒業した頃はより上級の学校へ進学する割合は現在のそれの半分にも満たず、
上級学校へ進めなかった無念を噛みしめながら毎日の仕事に精一杯励みました。そこへ夢を与えてくれたのが「高等部」でした。
企業にとって「中間管理職の確保」だったかも知れませんが、私たちにとっては教育を受ける機会を与えてくれる大変ありがたいものでした。
高名な先生に接することができ、また見聞を広めるチャンスを与えてもらいました。
翻って半世紀を経た今の世の中、高等学校は授業料を実質無料化し大学は鐘や太鼓で新入生をかき集めています。
反面、高等学校や大学を夢見ながら心ならずも進学を断念せざるを得ない若者がたくさんいるのも現状です。
経済的な事情で涙を飲む若者、それは将来を背負って立つ大物の卵かも知れません。
卒業五十周年を迎えるにあたり「後々に生きること」をしよう。
それはやはり「人への投資」→「恵まれない若者を支援する」これによって私たちの貴重な体験「学べた幸せ」に感謝の意を顕すことにしました。
そこでささやかではありますが当面の必要最小限の活動資金を残し約三十万円を十月三十一日「あしなが育英会」を訪ね寄付して来ました。

(幹事 友野 米田)