年賀状を書く
いつものように年賀状を書く(作る)時期である。郵便局は25日までに出
せとせっつく。
年賀状を作りながら「年賀状って面白いシステムだ」とつくづく思う。
例えば、ひと言、毎年同じように「元気ですか?」と書く。これに対して
「去年もお陰さまで無事元気で生き抜きました」と書いた年賀状を正月に受け
取る。
これでQ&Aが成立し、幸せな気持ちになる。
しかし、よく考えると、今書いている年賀状は、約一年前の今年の正月にい
ただいた年賀状を見ながら書く(のが普通だろう。)。
だから去年の暮に発したQに一年経過した今Aを書きつつ、来年へのQを再
度発している、ことになる。
ただでさえせわしい暮れのこの時期に、頭の中がこんがらがることを書き始
めたが、要するに現実の世界ではQとAとの間には1年の長い長い時間が経過
しているにも拘わらず、あたかも暮れに発したQへの答えAが正月早々に返っ
て来たと錯覚して幸せな気分になっている。
テレビニュースの現場中継などでキャスターとレポーターとの間で行われる
Q&Aでは数秒或いは長い時など10秒近い無言の時間(遅延)を実感する。
年賀状ではそれ(遅延)が1年間の通信システムなのだ。
ここまで書いて、論理的に正しいのか?と不安になってきた。
でもねぇ、暮れに年賀状を書けることやまた正月に年賀状をいただけること
は、本当に幸せなことだ、と心の底から思う。もう八十を超えたのだから「出
すのは今年限りにしよう」などとはゆめゆめ思いますまい。やれるうちは作ろ
う、書こう。
上記のやゝっこしいことを考えるのは、頭が未だ正常に働いているからだ!
と自分では思っているが、他から見れば、既に妄想の領域に迷い込んでいる、
と見えるのか?
そこのところは不明であるが、極めて明確に現実を見詰め、それを詠んだ歌
人に遭遇(ただし、新聞の歌壇で)したので紹介する。
生きているか死んでいるかも分からずに年賀状書く季節となれり
(筑紫野市 二宮 正博)
(朝日新聞 2016.12.19 朝刊「歌壇」からコピー)
七技会の皆さん、今年1年のご愛読ありがとうございました。
いいお正月をお迎えください。
来年もよろしくお願いします。
以上
2016.12.24 米田書き込み
次回更新は2017年01月09日の予定です。
いつものように年賀状を書く(作る)時期である。郵便局は25日までに出
せとせっつく。
年賀状を作りながら「年賀状って面白いシステムだ」とつくづく思う。
例えば、ひと言、毎年同じように「元気ですか?」と書く。これに対して
「去年もお陰さまで無事元気で生き抜きました」と書いた年賀状を正月に受け
取る。
これでQ&Aが成立し、幸せな気持ちになる。
しかし、よく考えると、今書いている年賀状は、約一年前の今年の正月にい
ただいた年賀状を見ながら書く(のが普通だろう。)。
だから去年の暮に発したQに一年経過した今Aを書きつつ、来年へのQを再
度発している、ことになる。
ただでさえせわしい暮れのこの時期に、頭の中がこんがらがることを書き始
めたが、要するに現実の世界ではQとAとの間には1年の長い長い時間が経過
しているにも拘わらず、あたかも暮れに発したQへの答えAが正月早々に返っ
て来たと錯覚して幸せな気分になっている。
テレビニュースの現場中継などでキャスターとレポーターとの間で行われる
Q&Aでは数秒或いは長い時など10秒近い無言の時間(遅延)を実感する。
年賀状ではそれ(遅延)が1年間の通信システムなのだ。
ここまで書いて、論理的に正しいのか?と不安になってきた。
でもねぇ、暮れに年賀状を書けることやまた正月に年賀状をいただけること
は、本当に幸せなことだ、と心の底から思う。もう八十を超えたのだから「出
すのは今年限りにしよう」などとはゆめゆめ思いますまい。やれるうちは作ろ
う、書こう。
上記のやゝっこしいことを考えるのは、頭が未だ正常に働いているからだ!
と自分では思っているが、他から見れば、既に妄想の領域に迷い込んでいる、
と見えるのか?
そこのところは不明であるが、極めて明確に現実を見詰め、それを詠んだ歌
人に遭遇(ただし、新聞の歌壇で)したので紹介する。
生きているか死んでいるかも分からずに年賀状書く季節となれり
(筑紫野市 二宮 正博)
(朝日新聞 2016.12.19 朝刊「歌壇」からコピー)
七技会の皆さん、今年1年のご愛読ありがとうございました。
いいお正月をお迎えください。
来年もよろしくお願いします。
以上
2016.12.24 米田書き込み
次回更新は2017年01月09日の予定です。