七技会のひろば

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臨死体験

2013年10月09日 | お話サロン
          臨死体験

                              波多野

 私は一昨年の九月、それまで通っていた近所の水泳教室で感染したレジオネラ肺炎が悪
化して意識不明に陥り、救急車で病院へ運び込まれました。同じ水泳プールから私を含め
18名の感染者をだしたこのスポーツジムは長期間営業停止になり、そのニュースはNHK
-TV等でも報道されました。

 感染者18人のうち最重症の60代の男性は入院一ヶ月後に亡くなり、二番目に重症だ
った私は、救急搬送された先が県下でも有数の大病院だったことも幸いして三週間後に全
治退院できましたが、退院間際に医師から実は私も一時危なかったのだと告げられました。

 全入院期間三週間のうち初めの二週間程は現実世界の出来事に全く覚えがなく、その間
絶えず夢を見続けていました。通常の夢であれば二三日もすれば忘れてしまいますが、私
の場合二年経った今でも全ての夢をはっきり覚えています。

 これまでに死の淵から舞い戻った多くの人々の話によると、人は死ぬ間際に美しい花園、
川のある風景や「神」の夢を見るそうです。花園や川の夢は全世界共通のようですが、
「神」はその人の暮らす文化圏によって異なり、欧米ではキリストであったり日本では仏
様であったりするケースが多いようです。

 私の母は11年前に93歳で亡くなりましたが、息を引き取る寸前私に手を取られなが
らしきりに『川が見える、川が見える・・・』とうわ言を言っていました。多分川の対岸
で、太平洋戦争の激戦地ニューギニアで終戦の直前に戦死した私の父が、50余年ぶりに
会う最愛の妻を心待ちにしていたのかも知れません。

 私が入院中に見た夢は花園でも川でもなく「神」、具体的には仏様(仏像)でした。夢
の中で、私の体は仏像の手と数メートル程の長さの鎖でつながれていて、その鎖の輪が一
つずつ外れだんだん短くなり仏像に近づいて行くのです。自分でもこの鎖の輪がなくなっ
た時が仏の世界へ行く時だと言うことを夢の中で自覚していて、静かに仏像の前に横たわ
りその時の来るのを待っていました。

 しかし、だんだん短くなって行った鎖が、最後に二つ三つの輪を残すのみとなったとこ
ろで二週間ぶりに夢から覚め意識が戻りました。ちょうどその時期、度重なる私のメール
無応答から私が入院中であることを知り、はるばる千葉県から鎌倉の病院まで駆けつけて
くれた同窓のTさんの顔を見て、長い夢から覚め現実の世界へ戻った実感が湧いてきまし
た。

 後の医者の話と照合すると、夢の中で私が仏像の前に横たわっていた頃、私の肉体は集
中治療室の中でかなりクリティカルな状態にあり、家内は医者から万一の場合の覚悟をし
ておくようにと言われていたそうです。あの時、鎖の輪が完全に無くなっていたら、多分
そこから先は、誰も行ったきり戻ったことのない「無」の世界へ入って行ったのでしょう。
そう思うとそこへ行くことは割合簡単なような、反対に恐ろしいような複雑な気持ちに襲
われました。

 後になって脳科学に造詣の深い同窓のMさんから聞いた話によると、当時の私は「臨
死状態」にあり、その時に見た「夢」は脳科学的には単なる幻覚、特殊な夢または事象の
実体験のいずれではないかと推論されるけれど、どれもまだ現在解明途上にあり今後の研
究結果を待たなければならないとのことでした。ただあの時夢の中で鎖の輪が切れていた
ら、私があの世に旅立っていたことは間違いないようで、その際全てが「無」の世界には
ならず、意識は物質波動世界とは異なった「別波動圏世界」で生き続けると言う学説が、
京都大学のカールベッカー教授から提起されていると言う話を聞かされました。

 いずれにしても私は一時臨死状態にあった訳ですが、この臨死体験に関連してちょっと
不思議な話があります。私が生死の境をさ迷っていたころ、ニューヨーク在住の当時4歳
の孫娘(娘の長女)が急に私に会いたいと言い出したそうなのです。私の家内は、異国で働
く多忙な娘に心配をかけまいとして私の入院のことは知らせていなかったので、日ごろ私
のことなどあまり話さない孫娘が、突如私に会いたいなどと言い出すので娘も妙に思って
いたそうです。

 後になって娘はその時期私が臨死状態にあったことを知り、孫娘のことは単に偶然の一
致とするだけでは理解できない不思議な出来事だったと、私に国際電話してきました。

 技術者の端くれでもある私は日ごろから超自然現象など信じてはいませんが、今回の自
分自身の臨死体験や孫娘にまつわる出来事を自然科学的にどう説明できるのか、あれから
二年経った今でもまだ頭の整理がついていません。

 特に、遠く海外に住む孫娘の「テレパシー」はどう説明できるのか、先日現在通ってい
るスペイン語学校でたまたま「夢占い」がテーマの文学作品を購読中だったので、外国人
先生や同年代の級友にも孫娘のことを話し教室で議論しましたが、どうも世の中には従来
の自然科学だけでは説明のできない出来事がありそうだと言うのがその時の結論でした。
 はたして孫娘の「テレパシー」も京大・カールベッカー教授唱える「別波動圏世界」説
に関係があるのでしようか? 興味尽きない話題です。

 この臨死体験以来、私は死について考えることが多くなりました。人は加齢とともに少
しずつ脳機能が衰えて行きだんだん死に対する恐怖はなくなると言われますが、ノーベル
文学賞受賞作家の川端康成は晩年、迫り来る老いへの絶望と死への恐怖から睡眠薬を多用
して魔界へ入り込み、ついにそのまま帰らぬ人となってしまいました。

 彼は70歳を過ぎてから10代のお手伝いさんに恋するなど、晩年になっても心は「青
春」だったので、着実に進む肉体の老化を直視できず、老衰状態におちいる前に自らの手
で己の人生の幕を引いたのかも知れません。三島由紀夫などとも共通する彼の人生美学な
のでしょう。

 一方、稀ではありますが世の中には百歳を過ぎても心身共に健全な、聖路加病院の日野
原先生のように人もいます。彼はどのようにして日々刻々と目前に迫る死の恐怖へ立ち向
かっているのでしょうか? 

 生涯現役を実践中の、日々多忙な人には死など考えている暇はないのか、それとも死な
ど超越し悟りきった、高僧のように心穏やかな「あるがまま」の心境に立ち至っているの
でしょうか? 

 ともあれ私が今回別世界の入り口から戻ってこられたのは、そこへ行くのはまだ早く、
やることが残っているとの夢の中の仏様のお諭しだとMさんに励まされ、これからもより
悔いのない晩年を送ろうと改めて自分に誓った次第です。

                           以上