分子栄養学講師の気ままなブログ

メンタルを変えるために奮闘!
栄養のこと、健康のこと、分子栄養学や日常やつぶやきなど
気ままに綴っています

些細なことで動揺しやい、パニックになりやすい人の対策

2018年08月17日 | 発達障害
些細なことで動揺しやすい
パニックになる

そんな人は、扁桃体に異常がある
前回そのように書きました



では、そういった扁桃体に不具合を抱えている人は、どうしたらいいのか?



扁桃体がおかしく、動揺やパニックに日々悩むわたし🤯

そんなわたしが行なっている"対処法"はこちらです👇



🌟パニック、動揺にひたすら暴露され続ける
🌟有酸素運動の習慣化
🌟認知行動療法(具体的には→認知再構成法・行動活性化・リラクセーション)
🌟視床機能を鍛える(注意機能を鍛える)
💫(良い意味でに限る)回避



大きく分けると、この4〜5つ


もっと魔法のような…🧙‍♂️🧙🏻‍♀️
動揺やパニックが消えて無くなるような対処法があればどんなに良いことかと思えてなりませんが


残念ながら、そうではありません


どちらかというと、
"パニックや動揺が起きる時のために準備を整えておく"といった感じで、
普段の日常生活での取り組みがメインと言えます


なぜならパニック動揺は無くならないから


そもそもパニックや動揺は扁桃体の不具合からきてるんでした


扁桃体は、危険を察知したりするために重要な働きを担っています


扁桃体を切除されたサルの実験では、そのサルは天敵の蛇を恐れなくなります🐍

これが仮に毒蛇や猛獣だったならば、噛まれて死ぬか喰い殺されてしまいます


つまり、扁桃体の働きを無くすことはできず
そしてそれが、
パニック動揺しやすい人たちというのは、その"反応が過剰である"というだけのこと


("だけのこと"と言うには、あまりに辛く苦しい脳だけど)


この脳である限り、過剰な動揺やパニックから早々逃れられないのですから、


慣らしていくこと
対処法によって軽減させていくこと



これが大事です


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

些細なことで動揺、パニックになる脳

2018年08月16日 | 発達障害

些細なことで動揺して、パニックになる

 

昔は、なぜ自分がこんなにも”おかしい”のか、分かっていなくて…

とっても苦しかったです

 

わたしの"おかしさ"は、脳に関係していた!!

と分かった今は、改善のため色々と取り組んでいますが、

それでもやっぱり私の脳が”ふつう”になるということは、決してないのです

 

わたしの場合は、主に偏桃体の発達に不具合が確認されていますが、

わたしに限らず、些細なことで動揺したりパニックになりやすい人というのは、

わざわざ脳検査などしなくても、左右どちらか、

または両方の偏桃体に問題を抱えていると言ってもほぼ間違いないと思います

 

たとえば、突然の交通事故などで、(とくに自分が加害者になってしまった場合など)

頭の中が真っ白になって、

何も考えられなくなってしまうというのは

決して珍しい話ではないと思います

 

警察や先方に自宅の電話番号を聞かれても、

いつもなら当たり前のように出てくるのに、思考が停止してしまい分からなくなってしまう…

 

困ったことに、偏桃体に生まれつき(もしくは成長過程において)問題がある人の脳は、

日常の何気ない生活を送るなかで、これが頻繁に起こってしまいます

 

私は仕事のミス(しかもすごく些細なミスでさえ)が発覚したときや、

みんなのペースについていけない時など、

パニックになって、手が震えだして、身体中から汗が噴き出して、

すごっく大変な精神状態になります…

 

今でもそれは変わらず、

自分にとって"不快・恐怖・不安"などの状況に晒されれると

当たり前のように勃発します

 

偏桃体が人より暴走しやすいせいでそうなっているのだと分かっている今は、

昔より幾文マシというくらいで、

その状況はやはり苦しいことに変わりありません

 

ただし

正体が分かっていることで、対策を練ることは可能です

 

扁桃体に問題があると、"不快・恐怖・不安"などの許容範囲が

人より果てしなく狭いと言えるのです

 

そのことを自分で分かっていないと、

突如襲う訳の分からない精神状態に悩まされ続け、

対人恐怖・不登校・引きこもり・ニートへと発展してしまう可能性大です…

 

扁桃体が暴走する苦しさを知らない人にはなかなか理解しがたい悩みですが、

本人はどうしようもないその"脳"にとても悩まされていることでしょう

 

なんたって、見た目には表立って出てこない症状なわけですから…

 

本人がパニックになっていることに、周りが気づくことはまぁないでしょう

 

HSPはインディゴチルドレンには

この扁桃体の不具合を抱えて悩んでいる人は多いと思います

 

次回は

わたしが行っている対処について書いていきます

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プログラミングの出力結果は全て幻想?

2018年08月03日 | 心・メンタル

プログラミングをいじるプログラマーになりましょう

それこそがあらゆる苦悩と上手にお付き合いできるための奥義です

 

と、そのように書いて最先端の認知行動療法のネタをしめくくりました

(締めくくったつもり

最先端の認知行動療法をINDIGO塾的に学ぶ①から読んでください 

 

行動分析のABC分析と、認知療法のABC分析

そして、その両方をカバー出来ちゃう最先端の認知行動療法について

 

それぞれ数回にわたって書いてきましたが

こういった高度なプログラミングを脳内で行うことが出来るのは、実は人間だけです

 

これこそが人間の醍醐味とも言えるかもしれませんが、

時にそれがやっかいでもあり、わたしたちを悩ませ苦悩させます…

 

 やっかいと捉えるか

最高のギフトと捉えるか

 

この出力結果を存分に楽しめ!!とよく言われたりもしますが…

楽しむかどうかは個人の判断に任せるとして、

(脳内におけるセロトニンやオキシトシンが少ないであろうわたしにとっては、それを楽しめ!というのは少々難題であり、無茶ぶりもいいとこです(笑))


ただただ冷静に眺める…


まるでプログラマーかのように様々なプログラミングを試してみたり、

プログラミングの図式・全体像を眺めてみたり、、

ただそれだけでいいのです


わたし的には、楽しめと言われるより、よっぽど気が楽でホッとします


そもそも、ここで言わんとしたことの本当の意味が理解できたならば、

【楽しい】というその感情や思考でさえも、ただの出力結果に過ぎず

”プログラミングの全体像を眺める"ということは、【楽しい嬉しい悲しい】などを超えた、もっと上の次元(別次元)であるということに気づくと思います

("楽しい"は"楽しくない"のただ反対…結局のところそれも出力結果に過ぎません)


大事なのは(意識すべきは)プロセスであり、図式です

そのためには、出力結果を見る(出力結果だけに捉われる)のではなく、

一歩引いて、、もしくは一段階上から全体を見下ろすのです


お釈迦様がこの世は幻想だ

(この世はマーヤ)

と言ったのは

このプログラミングの全体像が見えたからです

プログラミングによって沢山の出力結果が生じてくる…

なんだ、ただそれだけのことじゃん?

と、悟ってしまったのですね


色々な出力結果が生まれてくるけど、

それにいちいち振り回されるな飲み込まれるなということです


思考や考えを止めることは決して出来ないのです…

そして、自分の中にある信念や思い込みも、三つ子の魂百までという言葉があるくらい、そうそう簡単に変わるもんじゃないのです…


ならば、ただただ、それらが生じるプロセスを眺めてりゃいいじゃん?

変えることも、無くすことも出来ないんだからさ…

なら眺めて、せめて幅を広げて、意識を全体に広げていこうぜ…

 

これが出来るようになることが、人間が苦悩と上手に付き合うようになるための奥義なのです

 

ちなみに、お釈迦様がもともと苦行に励んでいたのは、あらゆる思考感情を無くそうと当初はしていた訳ですね

でも、そうではないということを悟った

 

ただ、自分の頭・脳のプログラミングによって、そのプログラミングを基に世界が映し出されることに気付いた

(まさに全体像が見えた瞬間…、プログラマーである自分に気づいた瞬間です)

 

この全体像、プロセスが見えてしまったお釈迦様ですが

この境地にいくための修行として、ヴィパッサナーや、サマタ瞑想があるのだと思われます

 

せっかくここまで最先端の認知行動療法について小難しく書いてきたので、

次回はこの最先端の認知行動療法になぞらえて…

 

人間とは何か?

宇宙創造について

創世記の秘密

 

こちらに迫ります

 

なんで認知行動療法と関係あるのかって?

大ありです

 

その続きはまた明日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最先端の認知行動療法をINDIGO塾的に学ぶ④

2018年08月02日 | 心・メンタル

前回は、最先端の認知行動療法は行動分析の技法も認知療法による技法も、

その両方をカバー出来ちゃう優れものであるということについて書いてきました

 

最先端認知行動療法において、わたしの中にあった確固なる信念(時には歪んだ信念・)の、その内容が重要だとは考えていない

ということが少し分かって頂けたかと思います

 

だからべつに、その内容を無理に変えようっていうんではないんですね 

ただ、変えようとする必要はなくとも、考えの幅を広げることは出来ます

 

PCで例えるならば、

(今回はこのプログラミングを組んでいるから、出力がこういう結果になったのだな…うむうむ…)

(じゃあ、このプログラミングにしたら今度はどうなるだろう?ちょいと試してみようかね)

となるわけです

 

プログラマーですから、プログラミングの組み方は自由自在です

別に、そのプログラミングが悪い無くせとは言わないんです

 

(あなたにとってそのプログラミングは大のお気に入りだということは、重々承知している

 

だからそのプログラミング、それはそれで別に構わないけど、

他のプログラミングもあるわよと言うことです

 

ちょっと考えてもみてください

信念によって、プログラミングによって、出力結果はいくらでも変わるというのに、

果たしてその結果に執着する必要ってあるのでしょうか?

(沢山のプログラミングを持ち、沢山の情報処理に対応出来るプログラマーの方が優秀に決まってます)

 

確かに、自分の中に様々な確固たる信念やルールがあるかもしれませんが、

その信念は都度同じとは限らないし、変えたって別にいいわけです

 

そのプログラミングに執着する必要なんてないし、そんなプログラマーは時代に乗り遅れてしまうことでしょう

(そのプログラミング、もう時代遅れだよ、古いよ、いつまでそのプログラミング使ってんのってね…)

 

プログラマーは様々なケースによってプログラミングを変え、色々試してみることでしょうが、

その時はいたって冷静です

 

なぜならば、自分の開発した、設定したプログラミングの全体像がいつも分かっているからです

どこをどういじればいいのかも大概は分かっています

 

数学も、方程式が分かっていないとお話になりませんよね

逆に方程式をしっかりマスターしていれば、テストで沢山の問題が出ようとも、そんなに焦ることもないでしょう

 

 わたしたち人間のなかで湧いては消える様々な感情や思考ってやつが、

ただ、それぞれのその時その瞬間のPC(脳)のプログラミングによる出力結果であることが分かれば、

いちいちそれに飲み込まれたり、振り回されたりはしなくなります

 

出力結果を無くすことは出来ないですから、もちろん感情や思考がなくなるということもありません

いちいち出力結果に振り回されないということです

 

A→B→C

Bを変えると、おのずとCは変わります

 

どれが正しい、間違っているということではありません

沢山のBやCが存在し、その組み合わせも無数に存在し、それぞれの方程式がある…

ただそれだけのことです

 

プログラマーはBをいじりますが、

 それが出来るようになるには、全体のプロセス、つまり全体の図式が見えないことには無理です

 

これまでは出力結果にしか目が向いておらず、プログラミングがどう組まれているのか?ということにすら気づいていませんでした、、が

プログラマーが自分であり、プログラミングは自由自在なのだと気づけば、色々なプログラミングを試してみればいいのです

 

 出力プロセスの図式が分かるようになるには、常に自分を客観視する姿勢が大切であることが分かると思います

みなプログラマーにならなくてはなりません

 

そして、たまには自分のなかのルールを変えてみたり、違う角度や視点から物事を考えてみる

考えの幅を広げる

沢山の考えを持つことが出来るよう意識する(つまりは考えの幅を広げる)こと、これが大切です

 

これはまさにプログラミングをいじるプログラマーの仕事です

 

今自分が何を思っていて、何に不快を感じているのか、

その都度その都度、自分の考えや思考や感情に意識的に気付けるようになること

 これこそが、周りの状況や出来事によって都度沸き上がる様々な感情や思考に振り回されずに、セルフコントロール出来る術なのです

 これが最先端の認知行動療法で行わている介入、技法です

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最先端の認知行動療法をINDIGO塾的に学ぶ③

2018年08月01日 | 心・メンタル

最先端の認知行動療法をINDIGO塾的に学ぶシリーズ

そろそろ最終章に突入です

 

最先端の認知行動療法が凄いところは、

全く違うこの両者(行動分析と認知療法)のABC分析の、その両方をカバー出来てしまうところにあります

(前回👉最先端の認知行動療法をINDIGO塾的に学ぶ②の最後で、これを画期的な温冷風機に例えました

 

これまでは行動分析のABC分析と、認知療法のABC分析、

それぞれをABC分析する必要があったのに対して、

最先端の認知行動療法に関しては、それぞれ別個に分析する必要はありません

(もちろんした方が良い場合もあります

 

ちなみに、認知療法のABC分析を行う目的は、その”偏った信念”や”思い込み”を変えていこう、変容させていこう

という考えを基にアプローチされています

 

その一方で、最先端の認知行動療法では、わたしが何を考え、何を思って、どんな信念を持っていたのか…

という、その細かな内容については、実はそれほど重要ではないと考えます

つまり、変容は必須ではないという考えなのです

 

何故なら、所詮それらの思考や考えというのは、

常に湧いては消えるただの産物にすぎず、流れゆくものに過ぎない、幻想に過ぎないという考えだからです

 

それに、そもそも湧いては消える”思考”、”考え”というものは、

早々簡単になくなるもんじゃないし、《三つ子の魂百までと言う言葉があるくらいです…

変えるなんてことは、そんなに簡単なことではないからです

 

なので、その情報プロセスを変えていくというよりも、そういう信念があってそれを基に情報プロセスが行われている

ということにただ気付くだけでいいのです

 

私の今回の例で言えば、、

出る杭は打たれる、嫌われものの私には価値がない的な、そんな信念があり、(もちろん、これ以外にも沢山の信念があります)

それによって、偽りの回答をして人に白い目で見られないようにしたりという行動が引き起こされていましたが、

 

それら信念を変える!とかって言う事ではなく、

ただ単に、わたしの中にそういう信念があって、それによって思考感情を湧き上がらせ、行動が引き起こさていた

このプロセスに気付けるようになるだけでいいのです

 

そのことに気付くと、

これまでは出力結果にしか焦点が合っていなかったものが、この出力結果は、こういうプロセスによって引き起こされているのだな

と、全体の図式、全体像が浮き上がってくるのです

 

PCで例えるならば、

(今回はこのプログラミングを組んでいるから、出力がこういう結果になったのだな…うむうむ…)

と、プログラマーのように冷静に判断できるというわけです

 

(プログラマーはまさにわたしたちひとりひとり、人間のことであり、

プログラマーがいじるPCというのがわたしたち人間のであることは言うまでもありません)

 

見るのは出力結果ではなく、全体のプロセスです

すると、

本音を言って冷ややかな目で見られようとも、

偽りの回答をして、相手をその気にさせようろも、笑

 

別にどっちでもいいのです

どっちに転がろうとも、わたしはそのプロセスにしか注意を向けないからです

 

これにより、これまで”冷ややかな目で見られるという不快からの回避”という機能・役割を持っていた、

偽りの回答をするという行動は、

別にその機能を持たなくなってしまいます

 

最先端の認知行動療法が、

”機能そのものを変えてしまう”というのは、こういうことなのです…

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする