分子栄養学講師の気ままなブログ

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発達障害の診断

2018年08月28日 | 発達障害

昨日は、発達障害になりたがる人…という批判(?)に物申しました

発達障害になりたがる人…という批判(?)に物申す


もちろん、発達障害の正しい改善策対応策がアメリカやイギリスなどに比べてかな~り遅れている日本においては、

発達障害という言葉ばかりだけが一人歩きしている感は否めなく


もし仮に”発達障害になりたがる人”というのがいるとしたならば、

その当人すらも、発達障害と診断されただけで人生が楽になると勘違いしている人もいなくはないかもしれません


つまり、発達障害になりたがる人がいるなどと批判する人が一方で、

実は本人も診断だけで、自分の努力は必要ないと思っちゃっている人がいるかもしれないということです


残念なことに、とんでもないです

発達障害と分かっただけで、診断されただけでは少しも変わらない

発達障害と向き合い、対策に取り組んでいかなければ、現状なにも変わらないのです


さらに取組みはスモールステップでしか取り組めないので、いきなり劇的に変わるということでもありません


数年取り組んできているわたしですら、やはり今でも派遣やアルバイトで慣れない仕事に入ったりすると、

職場の環境や仕事の内容によってはみんなのように落ち着いて出来ずに、パニックになり、それを必死で隠し、

そんな自分が悔しくて悲しくて、休憩や帰り道にそんな自分恨みながら泣きべそをかくことがあります

(そんな時ほど、こんな苦しいだけの世界から消えていなくなれたらどんなにいいことだろうと心底思いますね


 

もし仮に発達障害の診断が成されなかったのならば、

みんなとは明らかに違う、出来ないことだってあるのに、それをみんなと同じ方法、やり方で、、

無理くり"みんなと同じように"と型にはめ込まれてしまいます

 

(二次障害の多くはこうして生まれる‼︎)

それは、腕を本来とは逆の方向へ曲げようとするようなもの…

 

だからこそ、腕を曲げる方向を間違えないためにも、発達障害の診断が大事になるのです

(と言っても現在の病院で発達障害の診断がグレーゾーンにくだることはまずないので、自分が発達障害の気があると認めることが大事)

 

発達障害と分かったことで、その人に合った、発達障害なりの対策が見えてくるようになるわけで、

彼・彼女たちはある意味これまでとは違った視点からの努力が必要になってくると言えのです

 

それは、みんながしている努力とは

少し違うと言えるかもしれません

 

(というか、みんなは当たり前のように出来るわけだからそれは別に努力でもなんでもない、とも言える

 

脳の構造上に問題がなくて、何の気なしに掃除も片付けも出来る人に

脳の構造上の問題で片付けが上手く出来ない、得意ではない人に、【努力が足りない】などと言われる筋合いはないかもしれません

 

その人は努力なんてしないで出来るのだから、”片付けられない人たち”からすると、定形発達の人はずるい(羨ましい)と思えることでしょう

 でも、

 

 脳の構造上の問題で片付けが出来ないのではやはり困るのです

だったならば、その人はその為の対策を練っていくしかない…

 

それを出来ないのだから仕方がないと諦めて良しとするか、

対応策によって改善させてマシにしてくかは…

もちろん本人次第です

 

ただでさえ生きづらさに悩み、苦労しているというのに、

改善策に取り組んでいかねばならない戦士たちに、

 

 それを知らずして発達障害になりたる人などと言うのはお門違いなのです…

 

発達障害になったところで、改善策に取り組まなければならいわけですから、大変なのです

多くの人が発達障害と分かると安堵するのは、"この腕は曲がらないのだ"と分かるからです

 

そこから正しく曲がる方向を模索出来るようになり、義腕で対応するなどの向かうべき方向性が見えてくるようになるのです

コメント (3)
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