パパとりの雑記帳

酉年生まれの後期高齢者。健康不安を抱えながら、新聞、TV等からの情報を元に、好奇心に駆られて、近郊の社寺を中心に散策。

桜井・等彌(とみ)神社

2017年11月23日 | 日記
新聞に奈良の紅葉の記事で「等彌神社」が紹介されていたので行ってきました。
今年は、何処とも紅葉が早かったように「ここも見ごろ…と言うよりは過ぎ気味…」
神社の方の話では、本殿の横が辛うじて綺麗に残ってくれています…」と。
ライトアップもあるようですので、これは見栄えするかも…。

神武天皇・金鵄…と記されると「神武東遷伝」から「長髄彦」を思い出します。
そして、その記紀で長髄彦(ナガスネヒコ)の根拠地とされる鳥見(登美)とは、当地を含む富雄川の流域。
神武天皇の東遷において最大・最強の障害となった軍及び一族の長であったとのこと。
別名「登美能那賀須泥毘古」とも言われ、近くの地名から「富雄」、「登美ヶ丘」、「鳥見町」…
音では「トミ」。
奈良北西部の地名は、「長髄彦」に因んで、付けられたものかもしれません。

ここ桜井は、「鳥見山」、「等彌神社」…行ってきました。

 
第一鳥居
H27.5.4「伊勢神宮第60回式年遷宮 旧内宮鳥居 中重鳥居」譲与
*中重鳥居(なかのえのとりい) 
外玉垣南御門(とのたまがきみなみごもん)と,
内(うち)玉垣南御門の中間にある鳥居




   

由緒(パンフレットより)
鳥見山の西麓に鎮座する当社の歴史は古く、10世紀前半に制定せられた『延喜式』の神名帳にすでに記載があります。
千数百年の悠久の歴史と伝統を有するとともに、昭和15年の紀元二2600年当時には、旧村社から県社に列せられ、
爾来、地元桜井は元より、全国的な崇敬に預かる県下有数の古社にして名社です。

境内には、160余基の石燈籠が並立し、参道を進むと上社①「上津尾社」に至り、
裏参道を下ると下社②「下津尾社」に至ります。御祭神は、天照皇大神、下社には八幡大神・春日大神をお祀りするとともに、
その他八社(③弓張・④恵比須・⑤金毘羅・⑥黒龍・⑦稲荷・⑧猿田彦・⑨愛宕・⑩桃神)の境内社及び桜井市護国神社が
鎮座されています。


第二鳥居への参道


石段下の狛犬

 
第二鳥居             扁額

 
第二鳥居から振り返ると…


鳥居を潜って参道へ     「式内等彌神社」

下津屋社
  
拝殿

 
拝殿(左右二殿)守護の狛犬

 
左殿、春日社 
御祭神 高皇産霊神・天児屋根命


右殿、八幡社 
御祭神 磐余明神(いわれみょうじん・神武天皇)・品陀和気命

上津屋社
 
上津屋社参道      拝殿


拝殿

  
拝殿守護の左右の狛犬

御祭神 大日霊貴尊(おおひるめのむちみこと・天照皇大神)。
本殿は、元鳥見山中にあり、天永3年(1112)現在地に遷されました。
拝殿は、大正13年に新設されました。

 
 
本殿を守護する左右の狛犬

 
拝殿への渡り廊下       神饌所


渡り廊下越しに

 
裏参道からの鳥居

 
裏参道鳥居の左右の狛犬


 
境内には160以上の様々な形の燈籠が奉納されています。


「献燈」(燈;登の下に火)

 
桃神社の池に映る紅葉は「さかさ紅葉」と呼ばれています。
特に、ライトアップされると幻想的に映るそうです。


土偶の写真ですが等彌神社のイメージキャラクター
「ヤタガラスのご神像」です。
社務所の窓口にレプリカが並べられていました。
元文元年(1736)下津尾社の敷地内にある磐余の
松の枯れ株の下から掘り出されたそうです。

 
「神武天皇聖蹟鳥見山中霊畤顕彰碑」


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