知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『COVID-19との長期戦に備えて(参考にすべき国々と比較 02)』『比較した国、日本・台湾・韓国・中国・英国・独国・仏国・米国・全世界』

2022-11-20 17:40:45 | 政治・経済

『COVID-19との長期戦に備えて(参考にすべき国々と比較 02)』

『複雑極まる、グループ・型・株では、スペイン風邪対策同様の自然終息待ち?

                                                              

傘寿世代としは、貴重な余生を、3年近くも、活動を制限された生活を強いられています。 特にボケ防止に有効な『カラオケ』は、いくら勇気があっても家族からは厳禁で、諦めています。 表題を久しぶりに備忘録にしました。

 

この度の本当に厄介な感染症は、日本では『新型コロナウイルス感染症』と呼ばれ、報道されていますが、世界中で、WHOの定義、病名が『COVID-19』、ウイルス名が『SARS-CoV-2』で使われています。 感染予防を徹底させるには、関係者は状況を、PPM(パーツ・パー・ミリオン)数値とその傾向・経緯を、一部の他国との比較で報道したらいかがと思います。

 

人口100万人あたりのCOVID-19の感染者数推移(2022/11/19)

7日間の新規感染者数(人口100万人あたり・PPM)2022/11/19現在

(新規感染者数PPMは、7カ国中の中國・仏国・日本・米国が世界平均以上、台湾情報なし)

World

363.7

112.2%

China

101.3

222.1%

France

3354.6

148.3%

Germany

2050.2

82.1%

Japan

4611.2

116.5%

South Korea

7105.2

102.4%

United Kingdom

343.7

97.0%

United States

912.6

116.9%

パーセントは先週比
2021年人口

札幌医科大学医学部 附属フロンティア医学研究所 ゲノム医科学部門の情報

 

人口100万人あたりのCOVID-19の死者数推移(2022/11/19)

 

7日間の新規死者数(人口100万人あたり・PPM)2022/11/19現在

(新規死者数PPMは、7カ国中の、仏国・韓国・米国が増加、台湾の情報なし)

7日間の新規死者数(人口100万人あたり)2022/11/19現在

World

1.3

116.2%

China

-0.2

- %

France

7.5

124.9%

Germany

12.2

97.3%

Japan

4.4

103.4%

South Korea

7.1

124.9%

United Kingdom

9.8

- %

United States

7.1

127.0%

パーセントは先週比
2021年人口

 

札幌医科大学医学部 附属フロンティア医学研究所 ゲノム医科学部門の情報

 

『COVID-19』は、スペイン風邪対策が参考になるかと思い、調べてみました。

スペイン風邪の世界的な流行は、大きく分けて、1918年の春にはじまる第一波、1918年の秋にはじまる第二派、1919年の春にはじまる第三派という三つの流行の波に分かれていく形で感染拡大が進行、スペイン風邪による死者の多くは、ウイルスが『強毒株へと変異』した後の第二波と第三波の感染拡大の時期に発生することになったと考えられています。

 

防疫対策などを通じて人間の社会における社会活動が停滞していくことにより、ウイルスが次第に効率的に感染を拡大する場を失っていくことによって、スペイン風邪の流行は徐々に終息へと向かっていくことになっていったとも考えられることになるのです(この度は、このような楽観視はできないようです。)

 

感染者が第六波で急増したが第六波まで抑え込んできた台湾は、中国武漢から最も近いにもかかわらず、当初は成功しましたが、最近はずいぶん厳しい状況になっています。 『ITによる徹底した水際対策と、陽性者把握・隔離と、三密回避』だけでは、どうかという観点から、日本がもっとも苦手な総括的検証が必要かと思えます。

 

いろいろな統計表や、グラフが発表されていますが、このCOVID-19は強力で、第1波から、第7波まで、簡単には判断できないほど、世界中の各国・地域に各々、複雑な展開をしています。

 

台湾の人口は、2354万人で、韓国の5165万人の半分弱で、人口密度も大差はありませんが、コロナ禍が始まったころは、韓国も、台湾・ドイツと並び、優等生でしたが、最近は、『韓国』『台湾』が急増です

 

以前は、日本も『日本のコロナ対策はミステリアス』、「ジャパンミラクル』とか言われていますが、今は,一部の海外の関係者から、日本の関連数値に疑問が出始めています。

 

この記事内容を思い出して、今迄の対策の『総括的評価』をやって頂き、最近、急に、日本で猛威を奮っているのは、どの、グループ・型・株、でしょうか。 厚生労働省HPには、各種の数値が発表されていますが、さて、この度の『COVID-19』は、浅学菲才のズブ素人には、ただ混迷だけです。 関係者の皆様には、欧米の抑え込んでいる国々のいいところは、ご参考にしていただき、更なる対策と改善をお願い致します。

(記事投稿日:2022/11/19、#603)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『日本は凄い・日本人は凄い (石舞台古墳、天皇家と蘇我一族)』『蘇我入鹿は影の天皇とまで!(系図は稲目―馬子―蝦夷―入鹿)』

2022-11-20 14:49:00 | 歴史・日本

『日本は凄い・日本人は凄い (石舞台古墳、天皇家と蘇我一族)』 

『蘇我入鹿は影の天皇とまで!(系図は稲目―馬子―蝦夷―入鹿)』

『更に凄い系図、孝元天皇・・武内宿祢・・蘇我満智・・蘇我高麿―蘇我稲目』

 

今こそ『頑張らなければいけない、日本は・日本人は』ですが、やはり『古代日本は凄かった・古代日本人は凄かった』特に縄文人は、それに続く天皇家と蘇我一族についても知りたいことが沢山あります。

 

古墳時代では、古墳が権力の象徴のように見えますが、最近は、形と大きさだけで、権力の大きさ、判断はできないことが分かりました。 先ずは蘇我馬子の石舞台古墳です。 本来なら石室の上に土盛りがされていますが、今は石室の上部が出ており、石舞台などと呼ばれていますが政敵にあばかれたものです。 日本史上、最大の石室を持った蘇我馬子古墳を再現して頂きたいとものです。

 

先ずは、77トンと、60トンの石材を天井石に積み上げた、石舞台古墳・蘇我馬子古墳を、初めて見た時、特に石室内部を見上げた時には、その構造に驚いた記憶があります。

 

石舞台古墳全景

ウキペデイア情報から引用

 

石室側面

ウキペデイア情報から引用

 

石室出入口

 

ウキペデイア情報から引用

 

石室内部

 

ウキペデイア情報から引用

 

日本史には、弥生時代と飛鳥時代の間に、世界でも珍しく古墳時代と呼ばれた時代がありました。 古墳時代は、3世紀中頃 ~ 7世紀頃ですが。 およそ16万基は建設されたようですが、当時の日本の人口は500~600万人ですので、この古墳建設のエネルギーはどこから来たものか、楽しみな今後の課題です。 古墳と蘇我一族の凄さを少し調べました。

 

古墳の時期区分

時期       前期        中期       後期

        3世紀後半       4世紀末        5世紀末  

               ~4世紀後半      ~5世紀後半      ~7世紀

  

分布        近畿中央部       近畿中央部から    全国に拡大

                    各地へ

 

形態    近畿中央部は大規模な  前方後円墳巨大化    近畿中央部は大規模な

      前方後円墳       周囲に堀や陪塚       前方後円墳

 

内部   竪穴式石室       竪穴式石室      横穴式石室が

構造   粘土槨・木棺・石棺   木棺・石棺      全国に普及

 

実例   ホノケ山古墳      大仙陵古墳      石舞台古墳

     (奈良県)       (大阪府)      (奈良県)

      箸墓古墳        誉田御廟山古墳    藤ノ木古墳

             (奈良県)       (大阪府)      (奈良県)

 

主な   ヤマト政権成立       5紀の初めから       527年 磐井の乱

出来事                約1世紀の間、

                  倭の五王が中国の

                  に朝貢

    391 倭軍が百済・                  592年 推古天皇即位

    新羅を破る

 

石舞台古墳;権力者・蘇我馬子(墓説)は前方後円墳ではなく方墳

箸墓古墳(奈良県):卑弥呼の墓と推定されるが、邪馬台国北九州説?

磐井の乱;磐井の乱は、527年に朝鮮半島南部へ出兵しようとした近江毛野率いる大和朝廷軍の進軍を筑紫君磐井がはばみ、翌528年11月、物部麁鹿火によって鎮圧された反乱、または王権間の戦争。

 

日本の古墳の形は大きく分けて前方後円墳、前方後方墳、円墳、方墳の4つに分類されます。 古墳時代は大和政権により墓制(埋葬の風俗・風習)が敷かれていてこの中で最も高いランクに位置付けられていたのが前方後円墳です。 前方後円墳は3世紀中ごろに成立した形で大王やその一族、大和政権と密接な関係の地方の有力首長が埋葬されています。 前方後方墳は3~4世紀に流行した形でルーツは東海地方西部と言われています。

 

前方後円墳は3世紀ごろから造られ始めて5世紀には岩手県から鹿児島県までに広まっていきます。 そして前方後円墳は7世紀初め頃には造られなくなります。 大きさは墳丘長、10mのものから数百mのものまであります。
大阪府大山古墳(仁徳陵古墳)の大きさは墳丘長、486mもあって面積ではエジプトのクフ王のピラミッドよりも大きいのです。

 

 身分の差と時期によって異なる古墳の種類  ウエブ情報から引用

古墳は、時代によって築造された、その形状が異なる。 前方後円墳や前方後方墳は古墳時代の初期から見られ、後期にあたる6世紀まで築造されていた。また帆立貝(ほたてがい)式古墳は、前方後円墳の変形あるいは円墳の変形であるが、5世紀を中心に築造されたものであった。 円墳と方墳は初期から古墳時代の終末期である飛鳥時代まで続くものである。 ちなみに最も多い形は円墳であり、全国に20万基ともいわれる古墳のほとんどを占める。


その他には、数が少ない特殊なものがいくつかあげられる。双方中円墳(そうほうちゅうえんふん)は前方後円墳の変形で、前方後円墳に方の段が取り付いたものであり、前期に見られたもの。一方、双円墳(そうえんふん)には後期の例がある。上円下方墳や八角形墳は時代が下った7世紀代に見られる形で、八角形墳は天皇陵と見られるものであった。

 

蘇我一族の系図

(日本史を選択せずとも知っていたこの系図、稲目―馬子―蝦夷―入鹿)

ウエブ情報から引用

 

政権争いの結果、政敵に破壊されてもこれだけ残った別名『石舞台』の巨石の方墳墓、大化の新政権は蘇我宗本家の旧政権否定から始まり、飛鳥京の上方部の馬子の巨大墳墓の破壊から開始された。

 

蘇我馬子墓、『説』、と言われるが三重中京大学のコンピュータ―画像解析で、石室内部の羨道の玄門上部に、馬と子の字の半分が読めた。大宝律令条文にも、『墳墓には碑文を立てよ』とある。

 

欽明天皇(571年2月没)の円墳が先で、蘇我馬子(626年5月没)は後で方墳。 これも馬子墓説の裏付けの一つ。 著名の考古学者曰く、『歴史に確実はないが、定説でいえば、・・・』、とあり、これは蘇我馬子の墓が確実に近い、定説と言えそうです。 蘇我一族の祖先の渡来人説調査は楽しみな課題です。             

(記事投稿日:2022/11/20、#602)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『「地震予知」を民間会社JESEA(株式会社地震科学探査機構)が』 『国土地理院が設置の約1300ヶ所の電子基準点のGPSデータ使用』

2022-11-16 07:27:11 | 地震・津波

『「地震予知」を民間会社JESEA(株式会社地震科学探査機構)が』

『国土地理院が設置の約1300ヶ所の電子基準点のGPSデータ使用』

 

先日、『地震予知』に関する次のような情報、JESEA(株式会社 地震科学探査機構)が提供する『MEGA地震予測』・『測量学、世界的権威である村井俊治・東大名誉教授が、主催する、地震予知』のことを知りました。 凄いことですのでこれから勉強をしたいと思います。

ウエブ情報から引用 

ウエブ情報から、

MEGA地震予測とは、

測量工学の権威である村井俊治東京大学名誉教授によって開発された、人工衛星の各種データを使用した全く新しい方法で地震の前兆現象を捉え、解析した予測情報をスマートフォンアプリで配信しています。

地震予測アプリをお探しなら、

iPhoneやアンドロイドにインストールできる地震予測アプリをお探しの方は、JESEAが提供する「MEGA地震予測」アプリをお試しください。

こちらは、人工衛星を使い、絶えず動き続ける地表を観測し続けることで、異常変動を検知し、地震を予測しています。 自分や家族が住むエリアの地震警戒レベルをチェックしたり、動画による地震予測の解説サービスを利用したり、予測の基となる前兆現象の詳細を閲覧したりと、様々な特徴があります。

有料アプリですが、月額380円(税込)と安い価格でご利用いただけます。 初回1ヶ月は無料(web版は初月無料)ですので、40代・50代と幅広い年代に人気の地震予測アプリをお探しの方はお気軽にお試しください。

MEGA地震予測で「これまでにない予兆」 11月上旬までに「連続大地震」の可能性も、今年は震度5以上の大地震が相次いでいるが、次々と的中する予測を出しているのが、測量学の世界的権威である村井俊治・東大名誉教授だ。そんな村井氏が「現在、これまでにない予兆が現われている」と緊急警告する。 

村井氏が会長を務める地震科学探査機構(JESEA)は、今年3月の福島県沖地震、最大震度6強)、6月の能登地方地震(同6弱)などを発生直前に予測し、次々と的中させてきた。 これらはすべて村井氏が開発した「ピンポイント予測」によるものだ。 

JESEAは、国土地理院が全国約1300ヶ所に設置した電子基準点のGPSデータを使って地表の動きを捉え、1週間ごとの上下動の「異常変動」、長期的な上下動の「隆起・沈降」、東西南北の動きの「水平方向の動き」という3つの主な指標を総合的に分析し、地震を予測する。 

その予測法に衛星画像の解析などを組み合わせて発展させ、昨年実用化したのが「ピンポイント予測」だ。 より地震発生の切迫度が高い時に限って、場所や時期、規模を明示し、警告を発する。 そしてJESEAのメールマガジン「週刊MEGA地震予測」の最新号では、現在、以下の3つの「ピンポイント予測」が出されている。 

・関東甲信地方周辺

〈11月9日まで〉

〈M5.0±0.5〉

・東北地方から北海道

〈11月8日まで〉

〈M6.0±0.5〉

・九州地方

〈10月31日まで〉

〈M6.0±0.5〉

村井氏はこの状況を、「非常事態だ」と語る。 「いずれも別々に衛星画像の解析などで異常を観測しましたが、同時期に複数のエリアで大地震の前兆が現われることは極めて稀。 11月上旬までに連続して大きな地震が起こる可能性は否定できません。 

特に、関東甲信でピンポイント予測を発出したのは初めてのことです。 『隆起・沈降』では、9月中旬に山梨の大月周辺が大きく隆起する一方で静岡の駿河湾周辺の沈降は拡大したため、歪みが溜まっている。 昨年10月の千葉県北西部地震(M5.9)の震源エリアも周辺地域と違って依然沈降しており、要注意です。地盤の緩い首都圏警戒ゾーンは、マグニチュードが低くても震度が大きくなる可能性がある」(以下、「 」内は村井氏) 

以下、ほかの警戒ゾーンを詳しく見ていく。 

東北警戒ゾーン

10月以降に福島県沖や宮城県沖で震度3の地震が相次いでいるが、まだエネルギーは放出され切っていないという。 「『水平方向の動き』では、9月下旬に東北地方北部までの反時計回りに対し、宮城県北東部の牡鹿半島付近からは時計回りになっており、境目に歪みが溜まっていると考えられます」 

北海道警戒ゾーン

9月以降に網走地方や十勝沖などで震度3の地震が発生している。 「『隆起・沈降』では、根室半島から釧路までの広い範囲で沈降しているのに対し、それ以外の地域は隆起している。上下差が拡大しているため、要注意です」

そのほか、「九州警戒ゾーン」はこの1か月「異常変動」が集中して見られ、「南西諸島警戒ゾーン」も最新のAI(人工知能)による危険度判定で上位となっているという。 

別掲のMAPで警戒ゾーンを要チェックだ。

【MEGA地震予測 MAPの見方】

地図中では、2022年4月10日から2022年9月17日の間に、要警戒とされる「1週間で5センチ以上の上下動」があった地点を示した。 それに加え、地表の長期的な「隆起・沈降」と、地表が東西南北のどの方向に動いているかの「水平方向の動き」の分析を加味し、過去の地震発生の前兆現象と比較した上で「震度5以上の地震が発生する可能性があるエリア」を警戒ゾーンとしている。

※週刊ポスト2022年11月4日号 

ネット上では、いろんな意見があるようですが、半世紀前に、『東京大学地球物理学竹内均教授と上田誠也教授の共著「地球の科学」と「続地球の科学 大陸は移動する」』を香港日本人会図書コーナーで、見つけて夢中になって読みました。  

そんな時期に、竹内均教授が小説『日本沈没』(小松左京著)の原作執筆ブレーンとなったことを知って、ますます『地球』のことに興味を持つようになったことを思い出しました。 『地震予知』のこと、ますます楽しみな課題です。

(記事投稿日:2022/11/16、#601) 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『世界の城郭・宮殿 029(カステル・デル・モンテ イタリア)』  『銃の発達は稜郭・星型要塞を造ったが、それとは無縁の城郭』

2022-11-14 21:26:25 | 城・城郭・城塞・宮殿

『世界の城郭・宮殿 029(カステル・デル・モンテ イタリア)』 

『銃の発達は稜郭・星型要塞を造ったが、それとは無縁の城郭』

『軍事上でも、居城でもなく、別荘または客をもてなすために使用』

 

カステル・デル・モンテCastel del Monte)、「カステル」が城、「モンテ」が山で「山の城」を意味する、イタリアの南部郊外にある中世の城。 13世紀にローマ皇帝フリードり2世によって建築された。 八角形を象徴的に取り入れた設計になっており、世界遺産(文化遺産)に登録されている。 

 

カステル・デル・モンテ外観

ウキペデイア情報から引用

 

カステル・デル・モンテ城の平面図

ウキペデイア情報から引用

丘の上にぽつんと立つ美しい城で、フリードリヒ2世の数学へ造詣を表す黄金比を用いた八角形を象徴的に取り入れており、全体が八角形の平面で構成され、中央に八角形の中庭を内包し、8つのコーナーにはそれぞれ八角形の小塔がそびえる。 小塔の中心にはそれぞれ螺旋階段がある。

稜郭・星形要塞は火砲の発達に対応するため『15世紀半ば以降のイタリアで発生した築城方式』で、イタリア式築城術とも言われますが、この『カステル・デル・モンテ』は、戦いとは無縁の『おもてなし』の城ですが、後の『銃の発達は星形要塞を造り、大砲の発達が星形要塞を終焉に』といわれる戦いの城『星形要塞』を造らせたと思うと皮肉な因果関係です。 

人間ってのは、不思議なものです。

(記事投稿日:2022/11/14、#600)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『権力を握ると弟(兄弟)を討つ 権力者の兄弟は利用されやすいから』 『「鎌倉殿の13人」に見る権力を握るには弟(兄弟)・身内を討つ』

2022-11-12 23:26:13 | 歴史・世界

『権力を握ると弟(兄弟)を討つ 権力者の兄弟は利用されやすいから

『「鎌倉殿の13人」に見る権力を握るには弟(兄弟)・身内を討つ』 

権力者の兄弟殺しは、新しいことではありません、北朝鮮の金正恩の兄暗殺から歴史上枚挙にいとまがない。 兄弟に能力があったら『それ自体が危険』であると言われるのはもっともな理由だが、実際は『存在さえも許さない』例もあり、どちらも枚挙にいとまがない。

NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を見ながら、数年前(2018/10/10)日経新聞の記事(天皇と将軍の関係が分かりやすく説明)を思い出し、詩歌教養欄『日本史ひと模様』引用です。 

過去に日本では、足利尊氏は弟の直義を天下二分して、争い滅ぼした。 織田信長は弟たちの信行・信勝を殺害した。 毛利元就は相合元綱を、伊達政宗は小次郎を。 源頼朝の義経に対する仕打ちに対して『判官(ほうがん)贔屓』と言う言葉が使われ始めた。 兄弟殺しの権力者が皆無常・冷徹かと言うとそうでもないらしい。 

源頼朝の義経殺しは、なぜこれほど、突出して責められるのか、室町時代に『義経記』が愛読され、義経=ヒーロー、頼朝=かたき役・悪のボス、みたいな図式ができたためと言われる。  

平治の乱で捕縛された時に、頼朝・義経兄弟を『この子らを助けて』と言って助けてくれた平氏側の池禅尼の実子・平大納言頼盛は、爾後、討伐はされず鎌倉で歓待された。 伊豆で20年に渡る流人生活に付き従ってくれた藤九郎盛長は有力御家人に。

そして何より、世間に名高い・恐妻政子を、頼朝は終生大事にした。 政子は当時、結婚適齢期を過ぎた、有力な家柄の出のお姫様というガラでもなかった。 まして、鎌倉に政権樹立の後であれば、京都から美姫をめとることはできたハズ、でも頼朝はやっていない。 たまに浮気がばれると『ゴメンナサイ』といったと云われる。 一つは計算があったとも、『垢ぬけない政子』は、公家の『色白の姫様』より関東の荒武者に『うけた』。 これに真逆であったのは、暗殺された三代の歌人実朝でしょうか。  

頼朝自身が意識していたかどうかは別として中世社会は『権門体制論』とそれを批判してできた『東国国家論』があると。 『権門体制論』は、天皇の王家・武士の武家・僧侶の寺家であった。 これらはみな世襲によって、特権を受け継いでゆく『権門』であるので『権門体制論』と言われる。 『東国国家論』は、日本は本当に一つの国家だったのか問いかける。 関東の幕府は一つの国家とまで考えずとも、東の国家たる幕府(王は、将軍・武士が支える。 都は鎌倉)と西の朝廷は(王は天皇、貴族が支える。 都は京都)が並び立っていた。 

二つの考え方の相違点は、天皇と将軍の相違点は、天皇と将軍の関係にある。 将軍は武家を率いて天皇に仕える。 天皇が上、将軍が下。 これが権門体制論。 これに対して、将軍と天皇も共に王様で横並び、これが東国国家論。 

平清盛は権門体制論、源頼朝は東国国家論。 駿河の富士川で平家に率いられた朝廷の追討軍を打ち破った頼朝は、京に上ろうとしたが、東国の武士たち止められ、関東を治めることになった。 

頼朝は、『権力を握ると弟(兄弟)を討つ 権力者の兄弟は利用されやすいから』の表題からは外せるほどの人物かなと思う、傘寿のズブ素人です。 頼朝の後400年後に関東江戸に幕府を開いた家康は、権門体制論を形骸化させて東国国家論を実践したのではないでしょうか。 さらに明治時代は、権門体制論になります。 日本の天皇制興味は尽きません。 大山古墳(仁徳天皇陵古墳)発掘して、諸懸案事項の解明に期待しています。 

表題の『権力を握ると弟(兄弟)・身内を討つ 権力者の兄弟は利用されやすいから』もレベルの違う、凄まじい骨肉の争いがあります。 先ずは、今後の継続調査に備えて、イスラム世界のオスマン帝国の皇帝が「兄弟殺し」をする理由を調べてみました。 

 

ウエブ情報から引用です。

オスマン帝国の「兄弟殺し」の慣習、皇帝になった者は「兄弟を殺してもよい」という慣習です。 もちろん、どこの王朝でも後継者争いや王族間の権力争いは起こります。 その争いを避けるために始まった制度です。

 とってもオスマン帝国では最初から兄弟を殺していたわけではありません。 反乱者を処分することは行われていました。 やがて反乱を起こしていない兄弟への処分も行われるようになります。 なぜこのような習慣ができたのか!

オスマン帝国の皇帝はなぜ兄弟を殺すのか?   

ムラト1世が行った反乱者への目潰し。

1362年ごろ。第3代皇帝ムラト1世が即位。

1371年、息子のサヴジュがビザンツ帝国の皇子アンドロニコスと同盟して反乱を起こしました。 

ムラト1世は反乱を鎮圧。息子のサヴジュを捉えて目を潰しました。 アンドロニコスもビザンツ皇帝に捕まり目を潰されました。 このときは反乱を行った者への処分。 兄弟ではなく息子でした。 

ムラト2世が行った兄弟への目潰し

1421年。第6代皇帝 ムラド2世が即位しました。ところが即位直後の不安定な時期を狙って反乱が起こりました。

ひとつは伯父ムスタファ(オスマン帝国では偽ムスタファと呼んでいました)。もうひとつは弟ムスタファの反乱です。

即位したばかりのムラト2世は伯父と弟の二人のムスタファの反乱を鎮圧。捉えて処刑しました。彼らは反乱を起こしたので処刑されても仕方ないかもしれません。

ところがムラト2世は反乱をおこしていない2人の弟ユースフとマフムトの目を潰しました。

目が見えなければ将来、王の役目を果たすことはできません。ふたたび反乱がおこらないように弟たちの目を潰したのです。

王位争いに負けた者への処分はオスマン帝国だけではなかったビザンツ帝国(東ローマ帝国)では王位争いに破れた者が「目潰し」されるのはよくあることでした。

他にも手を切り落とす、鼻を削ぎ落とす、去勢することもありました。またイスラム社会ではカリフ(イスラム国家の指導者)になる者は「五体満足でなければいけない」という決まりがありました。

身体障害者は指導者にはなれないのです。そのためイスラム教国でも王位争いに破れた者が「目潰し」された例がありました。ムラド2世はこうした当時の習慣に従って処分をおこなったのでしょう。

兄弟殺しの始まり メフメト2世

メフメト2世 

ウエブ情報から引用

反乱を起こしていない兄弟を殺した皇帝はメフメト2世が最初です。1451年。メフメトは第7代皇帝になりました。このとき、メフメト2世は弟のアフメトを処刑しました。

当時、アフメトは生まれてまもない乳児でした。すぐに反乱を起こすとは考えられません。ところがメフメト2世は幼い弟の処刑を命じたのです。 

『権力を握ると弟(兄弟)を討つ 権力者の兄弟は利用されやすいから』、『権力を握るには弟(兄弟)・身内を討つ』、人間の『業(ごう)』、『性(さが)』は、やはり恐ろしいです。

(記事投稿日:2022/11/12、#599)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする