知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『奈良のこと 3.1(日本にもあったオーパーツ 益田岩船』―哲学者・梅原猛は著書「飛鳥とは何か」で飛鳥で一番奇怪なのは益田岩船と—

2024-09-14 10:58:25 | 歴史・日本

『奈良のこと 3.1(日本にもあったオーパーツ 益田岩船』

『哲学者・梅原猛は著書「飛鳥とは何か」で飛鳥で一番奇怪なのは益田岩船と』

 

毎度のことですが、古代の石造物や、山城を訪ねるのはアプローチが大変です。 なぜか、行くときは決まって高温・多湿時期です。 気温32C以上、湿度は80%以上。 その上いつでも、やぶ蚊の顔・首・腕への凄まじい攻撃に会います。 過去の経験は生かされず防虫スプレーも防虫ネット帽子も準備せずに。

 

岩船山登山口に『益田岩船』の看板

 

 

やっと見えてきました『益田岩船』

 

現在の益田岩船の表面(用途が『横口式石槨』であれば本来ここが上部なる。 現在の上部の角穴の水が割れ目から漏れ出しており、当時仕上げ途中で放棄説)

 

 

丘の中腹の高いところから見た『益田岩船』の上部

 

7世紀頃の建造と推定される、奈良県橿原市の南端の岩船山(130m)の頂上近くにある古代の巨大石造物のひとつが益田岩船(ますだのいわふね)。 東西11m、南北8m、高さ4.7mの花崗岩の巨岩で、重量は推定800トンとも。 哲学者・梅原猛は、著書『飛鳥とは何か』で「(飛鳥で)いちばん奇怪なのは益田岩船である」と断言しています。

 

ここで、余談です。 世界では;

ギザの大ピラミッドに使われている最大の石材が、女王の間と王の間の屋根の梁には、巨大な花崗岩と石灰岩が使われていて、一個の重さが60トンを超える石もあります。 石を切り出して積み上げるのが得意な古代のヒトも、これが限界でしょうか。 石の切り出し・運搬(滑車と傾斜上の逆レール状の橇使用)・構築方法に関しては推測されている。

 

15世紀構築のインカオリャンタイタンボの6枚屏風岩6枚中最大のものは、高さ4m、幅2.5m、厚さ平均1m、重さ約80トン。 80トンもの重量のある巨石を330mの高さの山上で切り出し、一度山の麓まで降ろし15キロもの距離を運ぶ途中で、川を渡らせ、再び、150mもの丘の上に上げたことになる。 具体的な、石の切り出し・運搬・構築方法に関して分かっていません。 特に運搬方法は。

 

日本にもありました。

石舞台古墳(いしぶたいこふん)は、奈良県明日香村にある古墳時代後期の古墳。 国の特別史跡に指定されている。  元は土を盛りあげて作った墳丘で覆われていたが、その土が失われ、巨大な石を用いた横穴式石室が露出している。

この石舞台には、77トンと60トンの天井石が載せられていますが、全く加工はされておらず、無垢の自然石です。 具体的な運搬・構築方法に関して分かっていません。 特に運搬方法は。

 

さて、益田岩船に戻ります。 

余談の巨石と比較、推測できますが、『かつては、益田岩船は、他から運ばれて来たという説もあったが、現在では最初から今の場所にあった』と考えられている。

 

さて諸説ある用途(ウエブ情報から);

  1. 石碑の台石説 
  2. 占星術用の観測台説 
  3. 火葬墳墓説 
  4. 物見台説
  5. 横口式石槨

現在有力視されている説。南東500mほどの場所にある牽牛子塚古墳は横口式石槨であるが、岩船の穴の形状もこれと似ているため、同じように古墳として造られ、完成時には現在の北壁面を下に横転させ古墳石室とする予定だった。また東側の穴と違い、西側の穴には水が溜まらないことから、後者にはひびが入っていることが分かっている。 このため、建造途中で破損が判明し、放棄したのではないかとの説がある。 下部にのみ格子状の溝があるのも整形途中で放棄されたと見ることができる。 猪熊兼勝は、益田岩船は大阪府寝屋川市の石室の露出した石宝殿古墳に酷似し、この2つの石造物と同様な構造をもつ完成品は、牽牛子塚古墳石室しかないので、牽牛子塚古墳石室の完成までに益田岩船、石宝殿古墳で二度の失敗を繰り返した後、軟質の凝灰岩の石室で完成させたものが、牽牛子塚古墳であるという説を提唱している

 

実物を見て感じたことですが、岩船山の『天辺に近い傾斜地』にある800トンの巨石を四分の一半回転させて横置きにする困難さ(モアイ像・20~90トンは、前に穴を掘って、そこに滑り込ませて立てたが)を考えると、『益田岩船』は、このままの状態で使う『2.占星術用の観測台説』が最有力の説かと思いました。 ここにも『日本は凄い』、『日本人は凄い』がありました。

(記事投稿日:2019/07/29、最終更新日:2024/09/14、#112)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『大ピラミッドのこと 5(... | トップ | 『植物の根っこの不思議 1... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史・日本」カテゴリの最新記事