小学生攻略法

このブログも10年目。久しぶりに担任復帰です。

娘の担任から電話がありました

2019-01-25 16:31:53 | 保護者への攻略法
小学1年生の娘がかぜで学校を休んだ日の夕方,自宅に担任の先生から電話がありました。
偶然その電話を私が受けました。

「花子さんの具合はいかがですか?」
「お友だちが持っていったプリントはちゃんと届いていますか?」
「今日は生活科で大根を収穫したんですよ。」
「明日は来れるといいですね。お友だちが会いたがっています。」

私も学校では担任です。
クラスにお休みの子がいたら電話して伝えるお決まりのセリフ。
それを,初めて「親」という立場で受けました。

受けてみると,先生の一言一言が,こんなにも大切で,温かく感じるとは,知りませんでした。
かぜをひいている我が子のことが心配なので,それを気遣ってくれる先生の思いは,親として本当にありがたいものでした。
親として先生と一対一で話ができる機会というもの自体がそう多くあるものではないので,この特別な電話が貴重にも思えました。

幸い,子どものかぜはたいしたことなく,次の日には登校できました。
我が子は,うれしそうに
「担任の先生に手紙書いたんだ!」
と言いながら。

私も,担任として欠席の家庭へ電話をするときは,もっと心をこめようと思いました。
「お決まりのセリフ」ではあっても,その一言一言が相手にとっては大切なものであることを忘れずに。

3年生社会「昔の道具」は『洗濯板VS洗濯機』でスタート

2019-01-15 21:03:29 | 授業中の攻略法
3年生の社会「昔の道具」
この単元はなかなか担任泣かせだと思います。
ちょうどよく学校に「郷土資料室」なんて場所があって、そこに「鉄瓶」やら「黒電話」やらが眠っていれば、ここぞとばかり使えますね。
(普段は「こんなものいつ使うんだろ」って思われている代物ですが 笑)

やはり3年生にとって馴染みがものすごく薄い「昔の道具」ですから、実物に勝るものはありません。
しかし、そんな教室はない学校も多いでしょう。
あっても、使える物はすくなかったり。
そこで、担任の先生は、地域の高齢者の方々に尋ねて回り寄贈を依頼してみたり、地域の郷土資料館や博物館への見学を計画してみたり、そんな骨の折れる仕事をすることになります。
それが難しいときは、実物とはいかなくても何とかICTで代用し、画像や動画でカバーしたり。

なかなか大変な単元です。

さて
この単元の導入にあたり、ちょっと盛り上がる面白い授業になったので紹介します。
昔の道具の中から1つ「洗濯板」をピックアップし、これについて考えていきます。
ズバリ
『洗濯板 VS 洗濯機』
の勝負です。
言い換えれば
『 昔  VS  今 』
ですね。

洗濯板の使い方の説明をした後、
「では、昔の洗濯板と、今の洗濯機を比べてみて、それぞれの『いいところ』を見つけてみよう」
と投げ掛けます。
「どちらでも思い浮かぶ方でいいですよ。いくつ書けるかな」

ノートに向かう子どもたちは、どちらにもきちんと想像をめぐらせて、結構な数を書けます。
そして書けたものを発表させていき、黒板の左右に分けて並べていきます。

『洗濯機』
◎楽ちん!
◎一度にたくさん洗える!
◎手をぬらさなくてすむ!
◎時間がかからない!


『洗濯板』
◎丁寧に洗える
◎汚れを見つけながら集中的に洗える
◎汚れが落ちるのが見えてうれしい
◎いい音がする(実際に触ってみたときにそうだった)
◎いい運動になる
◎がんばるから気持ちが込められる
◎洗濯機と違って場所を取らない

私はてっきり『洗濯機』の圧勝かと思っていました。
まあ実際にはもちろんそうなのでしょうが、子どもたちはなぜか「健気な洗濯板」を推す子が多くて、結果は洗濯板の勝利になってしまいましたね。
発表をしているうちに、自然と「洗濯機派」と「洗濯板派」みたいに分かれていき、どちらかに一票はいるたびに盛り上がっていました。

ここではもちろん勝負をすることが目的ではなく、それぞれの道具に、それぞれの時代に思いを寄せて、そこにある工夫や苦労を想像するというねらいがあり、こういった活動にすることでそこに迫れるものがあるように感じました。

3年生 算数「2桁のかけ算」思うほどうまくいかない理由

2019-01-12 06:54:05 | 授業中の攻略法
3年生算数「2桁のかけ算」です。
2学期までにかける数が1桁のかけ算とその筆算を学習してきているので、基本的な考え方や筆算のアルゴリズムは身に付いています。
だから、今回桁数が増えても基本は同じだと言うことに気付けば、子どもたちにとってはそう難しくないだろう…

これが大間違いです。
子どもたちの多くは、初めて臨む「2桁×2桁」の筆算に面食らってしまいます。

基本は同じなのになぜか。

それは、筆算をしたときの、あの、並ぶ数字の量です。
  45
×37
315
135
1665
この、積み重なる数字のボリュームに圧倒されるわけです。
そしてさらに、この中にはたくさんのかけ算やら、繰り上がりのあるたし算やらが混じっていることが分かり、もうパニックになりそうです。笑

筆算を構成する1つ1つの数字や計算の意味は、先生が説明する通り整理して考えれば分からなくはないのですが、このパニックは理屈ではなくインパクトの問題です。

だって、これまでの算数でこんなのみたことないもん!!

なので、授業をデザインする際は、2学期からの流れでいけるたろうなんて思わず、圧倒される子たちに優しい授業をデザインすることですね。
序盤は問題数は極力減らし、丁寧に。
そして、いつまでも圧倒されっぱなしではいけませんので、徐々に慣れさせていく必要があります。
中盤はやはり数をこなす必要があるでしょう。
しかしここら辺に来ると必ずぶつかるのは個人差の壁です。
できる子とそうでない子の対応をうまくやっていかなくてはいけなくなります。
問題量に差をつけたり、タイミングを見てペアを組ませ教え合うスタイルにしてみたり。


3学期のスタートに、先生の決めゼリフ

2019-01-08 20:29:13 | 学級生活の攻略法
新年明けましておめでとうございます。

ブログの更新を大変長くお休みしてしまいました。
ちょいちょい読んでくださっていた皆様,大変申し訳ありません。
私が体調を崩したとか,仕事に追われていたとかそういうのではなく,ちょっと「休憩」させてもらた感じです。

また再開しようと思いますので,よければおつきあいください。
私が受け持っている3年生のことや,校務に関わることなどについて,背伸びするのことなく,ちょこちょこと「攻略法」を紹介していこうと思います。

さあ,3学期のスタートですね。
「3学期にくっつく『一番〜』ってなーんだ?」
というクイズに,勘のいい子はすぐに
「一番『短い』!」
「一番『最後』!」
と答えてくれます。
「だから,一番『大事』!」
なんて幅を広げてくれる子も。

そこから,
「じゃあ,その3学期を,どんなふうに過ごしたいですか?」
と投げ返すことで,子どもたちなりに先を見通して,この短いファイナルシーズンのポイントを考えようとしてくれます。

それに加えて,先生も所信表明をすることが必須です。
「先生には,この3学期にかける強い思いがあります。」
息を飲み,間をとって。
「それは,このクラスの全員,この子もこの子もこの子もこの子もみーんなを。」
ごくん。
「3学期の最後の日には,『りっっっぱな3年生になった!』と自信をもって言えるようになりたいんです。」
そして,付け加えるこの言葉にインパクトがあります。
「そうして,堂々と4年生へと送り出したいんです。」

ずっとべったりとくっついていた先生と子どもたちですが,初めて「送り出す」という言葉に触れ「お別れ」を連想させます。
これが子どもたちには新鮮に響き,(中には少し寂しくひびく子もいるでしょう)この学期は今までとは違うんだと気持ちを引きしめる効果を上げます。

3年生「ちいちゃんのかげおくり」②根本的な違い

2018-10-20 20:50:05 | 授業中の攻略法
前回の続きです。

3年生国語「ちいちゃんのかげおくり」の初発の感想が,「かわいそう」「よかった」がそれぞれ半分ずつという実態でした。
この違いはどこから生まれるのか…
考えてみました。
それは,根本的な物語の「読み方」というか「入り方」が違うんだろうと。

「かわいそう」ととらえた子は…
物語を「客観的」に読んでいる子だろうと思いました。
必要以上に登場人物に感情移入せず,戦争という舞台も含めて客観的に物語り全体をとらえ,ちいちゃんや家族の死も,戦争の犠牲としてもたらされた「死」として真っ直ぐとらえている子だろうと。

一方,「よかった」ととらえた子は…
物語を「主観的」に読んでいる子だろうと思いました。
3年生という発達段階から,登場人物に強く感情移入し,戦争そのものを見るというより,ちいちゃんとその家族を強く見ており,最後の花畑での家族の再会をハッピーエンドととらえている子だろうと。

私が「かわいそう」という感想を予想していたのは,もちろん私は大人で自然と「客観的」な読み方しか,私自身がしていなかったからだろうと,後から分かりました。
まだまだ未熟です。
「主観的」に読む3年生という発達段階はあとから理解できましたが,もう一つ,きっとこの子たちの中に存在しているのは,「ハッピーエンドと,とらえたい」という願いです。
ちいちゃんに感情移入するがあまり,自然と,「悲しい話にしたくない」「残酷さを直視できない」というフィルターのようなものができあがり,それが自分の感想を前向きな方へと持っていたのだろうと思います。