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今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

大梅拈華山 正法寺(岩手県奥州市水沢区黒石町正法寺)

2016年09月23日 | 神社・仏閣
正法寺
1348年(貞和4年) 無底良韶は、天台宗の古刹黒石寺奥の院に曹洞禅の道場を建てた
これが東北地方初の曹洞宗寺院、正法寺の始まり
約1km離れた場所に正法寺駐車場の案内板があり、そこに車を駐め、歩いてここまで来た
受付所の横に駐車場があることがわかり、周辺の風景を楽しみながら車を取りに戻ることにした



総門(重要文化財)
寛文5年(1665年)建立の四脚門である



扁額には、山号の「大梅拈華山(だいばいねんげざん)」



本堂(重要文化財)
総門の石段を上ると視界が開け、目の前に本堂が見えてくる



境内のあちこちに電線があり、画面に入り込まないように苦労したことを思い出した



正法寺開創2年後の観応元年(1350年)に崇光天皇が、「出羽奥州両国における曹洞の第三の本寺」として、住職に紫衣の着用が許された
大本山の永平寺、總持寺に次ぐ第三本山と呼ばれた



正法寺僧堂。曹洞宗寺院は永平寺もそうであったが堂内を自由に見学でき撮影も許可されている



本堂から庫裏が見える



庫裏(重要文化財)
正法寺は火災が多く、1444年から1799年まで6回を記録
1799年の最後の火事は、庫裏から出火、惣門、土蔵、宝蔵を残しほぼ全焼した



江戸時代後期の再建。寄棟造茅葺きである



「蛇体石」:開祖の化を蒙った大蛇の神体



庫裏の左側部分、右側に入口がある



内部の様子。炉内の石の配置といい、細かな配慮がなされている



破れた障子の修繕をしている修行僧に声を掛けた。これも修行の一環だそうだ
このゴミ一つ無い廊下をみると大本山永平寺を思い出した



外からみるとこの部分になる



正法寺七不思議「文福茶釜」
茶席などでお湯を沸かしていたこの茶釜は、お湯を汲んでも汲んでも減らず、どんどんお湯が沸いたと言われている
それが、福を招く茶釜として珍重され、今日まで語り次がれてきた



今から200年前、仙台藩伊達家による全面援助で今の伽藍が再建された
それ以後、藩主が正法寺参拝の際、この駕籠で迎えた



各部屋の様子。曹洞宗寺院は撮影禁止の制限箇所が他の宗派より寛大である






「座禅堂」:行も亦禅 座も亦禅



私の知っている曹洞宗僧侶に「永平寺で修行したの」と尋ねると「あそこは厳しいので総持寺にしました」と
確かに永平寺での修行僧を見ていると鍛えられているという感じがした。さて、ここはどうなのか、ふと考えた
 


「釈迦涅槃図」: 江戸時代 縦411cm 横484cm



沙羅双樹に囲まれた寝台の上で、北枕西面し右脇を下にして身を横たえ入滅する様子を描いている
私も体調が悪いときこの姿勢を取ることが多くなってきている



「道元禅師坐像」:永平初祖 道元大和尚 禅師と書かれている。



「韋駄天像」:日本の禅宗では厨房や僧坊を守る護法神として祀られる



鐘楼堂(重要文化財)
梵鐘に太鼓の組み合わせを初めて見た



 


庫裏の右隣にあり重要文化財には鐘楼堂を附(つけたり)指定とするとなっている



正法寺七不思議「児なきの池」
ある母親が子供を育てられなくなって、7月15日の夜に寺内の池に子供を捨ててしまった
それから毎夜、池から悲しい子供の泣き声が聞こえるようになり、不憫に思った和尚は、子供が成仏できるよう読経した
それ以来泣き声が聞こえなくなったと言われている



「御開山お手植えの柏の木」



緑一色の境内に赤い花を見つけた。花など興味はないのだが、このような空間に入ると意識してしまう



惣門の左に私の愛車。結構長い時間滞在したが、参拝者は私一人だった



この惣門に魅力を感じていたので最後にもう一枚



撮影 平成28年5月25日

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