訪問日 令和6年9月24日
車載のサブバッテリーの他にポータブルバッテリー2個を積んできているが、ポタ電の1個が故障
メーカーとの連絡が取れず、最悪、旅を中断し北海道に戻る事も考え新潟港付近に留まることにした
雲高山 国上寺(こくじょうじ)
和銅2年(709年)に越後一の宮弥彦大神の託宣により建立された越後最古の古刹
今回が2度目の訪問となる
ぼけ防止・癌防止地蔵
他人事とは思えない症状もあるので手を合わせた

やすらぎ観音

参道途中から右に入ると本堂が見えてくる

鐘楼

良寛像
良寛が玉島より帰国してしばらく転々とした後、文化元年、良寛47歳頃から文化13年までの最盛期を過ごした草庵がある


六角堂

額には「開運大黒天」

本尊:大黒天像
文治3年(1187年)源頼朝に追われる身となった義経は、武蔵坊弁慶をはじめ数人の家来と共に奥州へ落ちのびる途中、寺泊を経て当寺に参詣

今後の無事を祈願して持仏の大黒天木像を寄進したといわれている
文化3年(1816年)六角堂を建立し、大黒天像が本尊として安置された

天井画


欄間にも美しい絵が描かれている


石碑「聖徳太子報恩」


本堂
国上山は、雲高山もしくは雲上山と言われていた
聖徳太子がこの山に登って雲上記を書かれたとも伝わっている

扁額の文字が読めない
山号なら「雲高山」なのだが……

堂内の様子

本尊:上品上生阿弥陀如来(行基菩薩の作)<秘仏>
開帳は12年に1度の開帳(次回2026年)
聖武天皇の后である光明皇后より奉納された

堂内の配置図

須弥壇

開山 泰澄大徳 像

萬元上人 像
「五合庵」と呼ばれる草庵は当寺を再建した萬元(ばんげん)の住居として建てられたもの

引声祭用神輿

イケメン偉人空想絵巻
謙信、義経、弁慶、良寛、酒呑童子がモデルとなっている








閻魔大王
本堂裏に安置されている




この空想絵巻、賛否両論があるようだ(私は否定的な考え)


大師堂(御仮堂)
宝永8年(1711年)に建造
本堂(阿弥陀堂)を建立している間、本尊:阿弥陀如来・脇侍等を安置していたことから、「御仮堂」とも言われている

弘法大師像を安置


天井画

五鈷掛の松
弘法大師が中国より帰国の途次、仏具である「三鈷と五鈷」を投げられた
三鈷は高野山の松に、五鈷が国上寺のこの木に掛かり真言道場になった

唐から806年に日本に帰国した年代からすると1200年前の松になる

雷井戸
「今昔物語」にも記載のある井戸



次回に続く
撮影 令和6年9月24日
車載のサブバッテリーの他にポータブルバッテリー2個を積んできているが、ポタ電の1個が故障
メーカーとの連絡が取れず、最悪、旅を中断し北海道に戻る事も考え新潟港付近に留まることにした
雲高山 国上寺(こくじょうじ)
和銅2年(709年)に越後一の宮弥彦大神の託宣により建立された越後最古の古刹
今回が2度目の訪問となる
ぼけ防止・癌防止地蔵
他人事とは思えない症状もあるので手を合わせた

やすらぎ観音

参道途中から右に入ると本堂が見えてくる

鐘楼

良寛像
良寛が玉島より帰国してしばらく転々とした後、文化元年、良寛47歳頃から文化13年までの最盛期を過ごした草庵がある


六角堂

額には「開運大黒天」

本尊:大黒天像
文治3年(1187年)源頼朝に追われる身となった義経は、武蔵坊弁慶をはじめ数人の家来と共に奥州へ落ちのびる途中、寺泊を経て当寺に参詣

今後の無事を祈願して持仏の大黒天木像を寄進したといわれている
文化3年(1816年)六角堂を建立し、大黒天像が本尊として安置された

天井画


欄間にも美しい絵が描かれている


石碑「聖徳太子報恩」


本堂
国上山は、雲高山もしくは雲上山と言われていた
聖徳太子がこの山に登って雲上記を書かれたとも伝わっている

扁額の文字が読めない
山号なら「雲高山」なのだが……

堂内の様子

本尊:上品上生阿弥陀如来(行基菩薩の作)<秘仏>
開帳は12年に1度の開帳(次回2026年)
聖武天皇の后である光明皇后より奉納された

堂内の配置図

須弥壇

開山 泰澄大徳 像

萬元上人 像
「五合庵」と呼ばれる草庵は当寺を再建した萬元(ばんげん)の住居として建てられたもの

引声祭用神輿

イケメン偉人空想絵巻
謙信、義経、弁慶、良寛、酒呑童子がモデルとなっている








閻魔大王
本堂裏に安置されている




この空想絵巻、賛否両論があるようだ(私は否定的な考え)


大師堂(御仮堂)
宝永8年(1711年)に建造
本堂(阿弥陀堂)を建立している間、本尊:阿弥陀如来・脇侍等を安置していたことから、「御仮堂」とも言われている

弘法大師像を安置


天井画

五鈷掛の松
弘法大師が中国より帰国の途次、仏具である「三鈷と五鈷」を投げられた
三鈷は高野山の松に、五鈷が国上寺のこの木に掛かり真言道場になった

唐から806年に日本に帰国した年代からすると1200年前の松になる

雷井戸
「今昔物語」にも記載のある井戸



次回に続く
撮影 令和6年9月24日
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